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 獣。


 人は皆、俺をそう呼ぶ。

 月夜に照らされて、俺は人間を忘れて四つん這いになり、屋根の上を走り回る。最も音を立てずに、速く走れる方法だから。俺は、それを夜闇を渡り歩く野良猫に教わった。獣から教わった、獣の習わしだ。

 だが、俺は獣ではない。強いて言うならば、除け者だ。人間という枠から外され、名前さえも持たされていない。

 だから、俺は月夜に屋根を這いまわり、金や餌・水を求めて彷徨うのだ。


 今宵の標的は、城でもないのに、金のしゃちほこなんぞを上等な瓦屋根に添えた、豪華絢爛な屋敷。俺のようなゴロツキを阻む、分厚いしっくいの壁も、屋根伝いに飛び移れば、ただの足場だ。

 民家の屋根からしっくいの壁を足場にして、さらに跳躍し、“お城まがい”の屋敷の屋根に飛び移る。金のしゃちほこも目立つが、屋根の軒丸瓦も負けじと金箔が張られている。だが仕事が粗いのか、ところどころ、すでに金箔が剥がれ落ちている。見てくれだけは立派だが、繊細な仕事ではない。こういう施工の屋敷に住んでいる者はたいていあぶく銭に現を抜かす成金どもだ。こつこつと金を貯めて体制を成し遂げた本物の稼ぎ人は、主張しないも、しっかりとしたつくりの物を好む。

 よってこの類の屋敷ならば、盗みに入られても、ざまあみろとぐらいしか思われない。


 屋根に姿勢を低くしてべったりと張り付き、息を潜める。塀の上から見た屋敷は障子からうっすらと灯が漏れていた。まだ中にいる住人は、起きている。この夜半という時間に、寝静まったころが盗み時なのは言わずもがなだが、案外夜中の密談というものは、入れ込み過ぎて警戒心が薄れるときでもある。とくに情事の絡むものならば、鼻の下とともに警戒心も緩んでしまうというのが定石だ。


 耳をそばだてると、三味線の音色が聞こえる芸者でも呼んでいるのだろうか。これはさらに好機かもしれない。酒が入っているとあらば、正常な判断など成し得ない。捕らぬ狸の皮算用をするとともに、さらにへまをするわけには行かないと心の中で言い聞かす。

 俺とて、良心というものがないわけではない。生きるために盗みを働くときは本当に、金や食料が底を尽きたというとき、標的も嫌味たらしい成金ばかりにしている。だからと言って、盗みを働きながら自らを義賊などと厚顔にのたまうこともしない。ごろつきはごろつきらしく、夜を這い回り、忌み嫌われる鼠のごとく暮らすのみだ。


 三味線の音の隙間から会話が漏れ聞こえてくる。さらに神経を研ぎ澄ます。麹の粕の入った汁から澄んだ酒を搾り取るがごとく、雑音の中から、自らの得たい情報を抽出する。常人をはるかに超えた俺の聴力ならば、音の発信源の距離感と位置関係から、かなり正確に中の様子を探ることが出来る。まるで蝙蝠がそうするように、これも俺が人を外れた獣と呼ばれる所以だ。


 客人を招き入れる声の響き方が複雑だ。

 ふすまの上にある欄間による乱反射だ。

 畳を踏みしめる音が重たい。体格の大きな人物だ。

 敷居をまたぐ際に、身をかがめた。

 これは、背の高い西洋人がよくやる仕草。


 散切り頭を叩けば文明開化の音がする。


 世間では、その誰だかが詠んだ狂歌が流行っている。魚以外の肉食を慎んでいた者たちが口々に、牛鍋を食わぬは開花不進奴と囃し立て、侍どもが髷を落として刀を捨てる。随分と世の中も変わったものだが、生憎俺は生まれたときから、散切りどころか散ばらの頭に無精ひげという出で立ち、何も変わっちゃいない。

 変わっていくのは、盗みに入る成金どもの屋敷の中の様子だけだ。近頃の成金は、西洋人をよく屋敷に招き入れている。彼らはいい金づるになる。愚かな成金どもは、それが売国行為であり、西洋人のなすがままの飼い殺しにされるという行為であるということを知らない。いや、知ろうともしない。成金は所詮、金さえ手に入れば何でもいいという腐った商人でしかないのだ。

 例にも漏れず、ここもその類らしい。西洋人が異国の言葉を話し、その間にもうひとり、通訳の者が挟まって商人が話す。異国の言葉は俺には少しも分からないが、こういう場面を何度も聞いてきた俺には、何とはなしに商人がうまく転がされているということだけは分かる。そして、この島国の土地に西洋人の革靴が踏み入ったと同時に、あちらの国に渡り、異国の言葉を身に着けてきた人物は、国を憂う心を持たない、利に聡い心に足が生えたかのような切れ者。目の前で、かつての同じ国の友が手のひらで弄ばれることを意にも介さないのだ。


「では、その鼻の高い御人は、私の管理する港を使わせてほしいと」

「ええ。我々の船をつけて、武器や食料品を売買する拠点にしたいと。この黄金の国ジパングの資源を我々ども貧弱な西洋の粗末な珍品をして、買うてみたいと申しておられます」


「なるほど……さようにござりますか。して、珍品とはいかようなもので」


 表向きは、交渉を持ちかけるならば、それ相応の土産をよこせと言っているのだろうが、その下の心は西洋の珍品への単純な興味だけだ。人間の薄っぺらさが声色から漏れ出てしまっている。この島国の言葉も西洋から見れば、異国の言葉だが、声色から人格を読み取るのはおそらくは万国共通。とくに数々の商人と交渉をしてきたような人物ならば、その読心術で右に出るものはいないといった具合だろう。浅はかで薄っぺらい人間性。商人のそれを読み取ると、ひっそりとばれないように舌なめずりをする西洋人。不穏な仕草だが、酒の回った商人は全くそれに気づかない。風向きが変わったということを知らせるようにして、床の間に書けてある掛け軸が揺れてカンカラと壁を打つ。


「それは……?」


「面白いものを見せてやると言っております」


 西洋人が、懐からガラス製のものを取りだしたようだ。漆塗りの座卓の天板とガラスが打ち鳴らす音がふたつ。音の響き方から察するに、片方は瓶。もう片方は杯のようなものだろう。


「ほう、ギヤマンか」

「いいえ、面白きものはこの瓶の中のものでございます」


「……ただの水のように見えるが」


 ぽんっと小気味のいい音が鳴った。軽い木で作られた円錐台形のものが畳の上にからりと落ちる。それとともに、しゅわしゅわと水の中で泡沫が生まれては弾け、儚く消えて行く音。その弾け続ける奇妙な水が注がれると、ガラスの中でしゅわりしゅわりと渦を巻いて反響し、せせらぎが満ちて行くかのような涼しげな音を奏でる。


「こ、これは……」

「シャンパンというものにございます」


「プリーズ、テイスト」


 異国の言葉が聞こえると、商人はその奇妙な水を口に運んだ。盃を傾けるとともに、新たな泡沫が生まれては弾ける。それは聞いているだけでも、この島国にはない新しい飲み物であると分かった。そして、商人はそれを飲み干す頃には、西洋の虜になってしまっていたのだろう。少しは見栄で厳格な態度を取り繕っていたのが、泡にほぐされるようにして軟化してしまっている。三味線を打ち鳴らす芸子が静かに呆れのため息を漏らしたが、商人には聞こえていない。


「誠に面白き国よ、他にも面白き珍品はあるか」


「ええ、交渉に応じるならば、いくらでも……そうです。とっておきの珍品をあなたに差し上げましょう」


 西洋人はとっておきの珍品を用意していた。虜をさらに自らの傀儡へと貶めるために。三味線の音色がはたりと止まり、撥が畳の上に落とされる。珍品の中の逸品、それは畳をなれない足取り踏みしめながら現れた。それもまた西洋人だった。不慣れながらもしなやかで美しい足が音から想像できる。西洋の女だ。


「ジパングの女子も、中々のものですが、おしろいを塗らずとも、白い肌を持ち、琥珀色の髪に瑠璃色の瞳を持つ姫君はいないでしょう」


「ハーネイムイズ、フローラ。アイシャル、メリーハー、トゥ、ユー」


 何を言っているのかわからない。ただ、西洋人はこの西洋の女を交渉のための道具として扱っているのだろう。人身売買とは売るも買うも外道とされる、最も邪な商いだ。自らの流儀というものを持っている聡明な商人ならば、まずこれを切り出した時点で西洋人を追い返し、二度と敷居をまたぐなと吐き捨てるだろう。だが、この商人は金に目がないどころか色にも目がなかったらしい。これから盗みを働こうという俺が言うのもおかしいが、虫唾が走る。だが所詮は己とは関係のないことと言い聞かす。

 目の前で咲き乱れる花の、この島国の女子にはない香りと色に商人は首を大きく縦に振ったのだろう。握手が交わされると、西洋人は早速女を商人の隣に座らせた。


 そろそろこちらも実動を始めなければならない。もっとも商人が鼻の下を伸ばしているであろうこの瞬間に、俺は屋根から、屋敷の庭に降り立った。もう屋敷の中を探るには距離や障害が多すぎる。松やキャラボクを配した一般的な庭園は無駄に広い上に、木の植え方に気配りや才能というものを感じさせない。きっと、わびさびなど意にも介さぬまま言い値だけを聞いて買ったのを植えたのだろう。動かぬ木々だが密かに漏らすため息が聞こえてくるようだ。

 一階には案の定、人の気配がない。こちらの気配を殺していれば、ばれることはないだろう。あとは西洋の女と商人の情事が長引くことを願いながら、忍び込んで金目のものをかすめ取るだけだ。

 生き抜くためには欲を出さず、部屋の中に飾ってある装飾品を盗んでさっさとずらかるのが得策。小さく丸めることが出来る上に軽い、掛け軸を盗み、闇市で売りさばくのが最も賢い選択だ。


 無駄に欲を出して倉に忍び込もうなどというのは、盗みに快楽を感じるような偸盗の成すこと。ただ生きるために盗みを働く俺はそんな危ない橋は渡らない。尚更、この商人が人身売買に易々と乗っかるような外道であろうと、その鼻を明かしてやろうなどとは思わない。


 趣味の悪い庭園から床下に忍び込み、闇の中を這い回るごきかぶりや鼠と俺は同化し、彼らに道を尋ねる。ごきかぶりほど俺は平たくはない。だが鼠に聞けば、彼らが前歯でかじり続けて脆くなった土間と床の隙間を埋める壁にたどり着ける。懐から小刀を取り出し、鼠がかじり開けた指が二三本入るだけの小さな穴に、刃先をあてがってぐりぐりと広げていく。きっと建てたままで一切その後の世話をしていないのだろう。壁は砂を固めて作ったかのようにぼろぼろと崩れ落ち、あっという間に身体をくぐらせるほどの大きさの穴を開けることが出来た。

 だが、その瞬間奇妙なことに俺の獣の感覚が人の気配を捉えた。人が暮らしているというものではない。誰かがそこにいるというものだ。だが、屋根に張り付いていたときには、西洋人と彼が連れてきた西洋人の女。数人の芸子と、商人の他には何も気配は感じなかった。


 よもや同じ屋敷に同じように忍び込もうというものがいるのであろうか。いいや、そんな偶然などあり得るはずもない。


 俺は心に言い聞かせ、床下から土間へと己の身体をくぐらせる。何とも警戒心のないことに灯ひとつすら点いておらず、使用人すら雇っていないらしい。異変に気づきうる人物は上の階で三味線を奏でる、またはそれに耳を奪われている者ども。そして、この屋敷が盗みに入られようが知ったことじゃない連中だけだ。


 俺の蛮行が気付かれる可能性は無に等しい。


 と思っていたが、土間で立ち上がるとともに不自然な音を俺の耳は捕らえた。そして、それは床下で感じたかすかな気配と同じものだ。第六感的なもので感じられたものが五感の中に食い込んできてはいよいよ偶然を信じるよりほかはない。


 間違いなく俺以外の誰かがこの屋敷に忍び込んでいる。


 鼠よりも何倍も質量のあるものが這っていることを表す天井のきしみがそれを物語っている。天井板の悲鳴に耳を澄ませば、その形が露わになる。


 女にしては少し背が高いが、身体の線から考えれば女だ。胸部と臀部が突き出している。西洋人ならば、納得できる体格だが、俺の生きている限りで天井に忍び込んでいる女はくのいちぐらいしか知らない。


 これは厄介なことになった。忍び込む術に長けているものは、俺と同じまでは及ばないかもしれないが、気配を読む術を心得ている。こちらの存在がバレてしまってはまずい。極限にまでこちらも気配を消さなければならない。壁の穴を小刀でほじくり広げていたときの音には、幸い向こうは気づいていないらしい。新たな音を立てなければ、俺の存在には気づかないはずだ。


 猫になれ。弓のように、背中をしならせ、

 床の板に掌で、足の裏で優しく撫でるがごとく触れろ。


 こうすれば床がきしむ音を最小限に抑えることが出来る。敷居を踏もうが知ったことじゃない、この低い姿勢で移動をし続けながら、見ず知らずのそれも外道の商人なんぞにそんな礼儀をわきまえるつもりはない。


 畳の上を這い、床の間に掛っている上等な水墨画に狙いを定めようとしたその瞬間、不自然な揺れに床の間に置かれた壺がかすかに踊った。


「ノー! ノー! ドンタッチミー!」


 西洋人の女の声だ。どうやら酒も入った商人は、主張の激しい西洋人の肉体に抑えが利かなくなったらしい。それと息を合わせるようにして、天井にいた女が、天井から二階の床板をこじ開けた。これはしめた。二階は混乱に包まれている。俺は水墨画の掛け軸を丸めて騒音にまみれながら、足早に屋敷を後にしようとする。あの西洋人の女には悪いが、この機会を逃してはこちらの生命線が絶たれる。障子を開けて庭に出れば、もうあとは塀をよじ登るだけ、掛け軸を懐にしまい込み、縁側からふたたび趣味の悪い庭園へと、そびえ立つしっくいの壁も、松の木を登れば、易々と越えられる。


 俺は勝利を確信していた。

 だが、背後で聞こえた女の叫びが俺の正常な判断を狂わせた。


 商人のものと思われる断末魔。そして、西洋人のものも。次に誰が殺されるのか。おそらく凶手は忍び込んでいたくのいち。そして、抹殺対象は交渉の席に居合わせた、商人から芸子までひとり残らずといった具合だろう。


「ヘー、ヘルプミー!」


 貞操の危機ではなく、明らかに命そのものに迫った危機であることを表す叫び声に、俺のなけなしの良心が俺の汚れた身体の舵を奪った。


 ……あの女を助けねば。


 なぜ、俺はそんなことを思ったのか見当もつかない。自らの発する低く野太い声とは違う周波数に、男の悲しい性が反応してしまったのか、人間から外れて、獣になり、男がオスになっても、それは変わることなく俺の中に息づいていた。いや、どこかで聞いたからだろうか、女の悲鳴というものを幼いころに。


「な、なにやつっ!」


 血塗られた脇差を抜いていたくのいちがこちらを振り返る。気が付いたころには、俺は二階の障子を派手になぎ倒して、商人と西洋人、そして通訳の男の死体が転がり、血染めになった畳の間に身を置いていた。


「……その女に、手出しをするな……」


 西洋人の女は慣れない和服を間違えて死人羽織りにしている。涙に潤んだ爛々とした瞳は、瑠璃色で、髪は琥珀色に輝いており、肌は透き通るように白かった。まさに聞いたままの御伽の存在が現に存在しているかのような彼女に俺の瞳の奥で熱い火が点る。くのいちに向かって小刀を引き抜き、斬りかかり、脇差と刃先を合わせてじりじりと耳に煩わしい音を立てる。


「何者よ!この国を売る不逞な売国奴に天誅を下しただけ」


 ぎりりと歯を食いしばり、脇差を跳ねのける。女とは思えない力の強さだ。くのいちの中でも相当な手練れらしい。忍び装束は胸元がきつく張りつめており、背口元は隠されているが、切れ長の瞳と長いまつげがこちらを鋭い眼光で睨み付けている。艶やかな長い髪は後ろでくくられており、こちらも麗人だ。

 だが脇差を跳ねのけると、一転して女らしくへなへなと腰を折って、歯をひん剥きながらも、尻餅をついて座ったまま後ずさりをする始末。抵抗の術は失ったか。凶行を働いたとはいえ、無抵抗な女にこれ以上刃を差し向けるのは気が進まない。なにより、女を助けるために女を殺しては本末転倒というものだ。いいや、それよりこの女に誰彼を裁く資格などありはしない。くのいちの凶行に続くゴロツキの登場で、芸子は声も上げれず、身をかがめて震えている。


「おい、……これ以上、誰も斬らねえか……」


 くのいちの顎を掴み上げる。線の整った端正な顔立ちが掌を通して伝わってくる。この美貌ならば、くのいちなんぞしなくてもいくらでも買い手はついたろうにと思えてしまう。俺の手の中でくのいちは力なく頷いた。これからどうするのか。性の成すがまま走り出したはいいものの、引き際も引き方も決めかねていた。ここから、成す術もなく立ち去るだけならば、何かよからぬことが起きそうな気がした。だが、それを止める手立ては俺にはない。そして、くのいちに背を向けた途端、予感は的中した。


 延髄に鋭い激痛が走り、俺は意識を失った。

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