交渉材料
ニルスが入った部屋は船でいうところ船長室のようだった。
もっとも船長室らしかったのは室内にあった一つの高級感あふれる木製の机とその上に置いてある装飾品のみで、他の内装は船長室というよりも盗賊団の頭領の部屋のようだったが。
そんな数少ない船長室らしかった木製の机に豪快に両足を乗せ、机と同じ材質が使われているであろう椅子に座り、ニルス達を見上げている女がいた。
おそらく頭領であるシスだろう。
シスの髪は秋に採れる葡萄を潰したような赤紫色の短髪、人の目ほどの大きさの金のイヤリングを両耳に一つずつつけている。
見つめていると飲み込まれそうな黒い目は鋭くニルス達を睨みつけており、盗賊の頭領としての威厳を感じさせる。
背は座っていてわかりずらいが、ニルスと同じかそれ以上だろう、顔に皺などは一切ないが醸し出す雰囲気でニルスは相当経験を積んでいるとあたりをつけた。
ニルスがあたりをつけた瞬間、今まで座っていた女はいきなり勢いをつけて立ち上がった。
立ち上がったことによって明らかになったが、格好はお腹周りを露出した、シンプルな赤のベアトップ、レザー風の赤いタイトなミニスカート、その上に襟元に白いファーがついている膝下まである黒いロングコートを身につけている。
足元は膝上まである黒いニーハイブーツを履いており、ところどころに装飾が施されている。
「お前が金もないのに大戦の遺物、破滅の槍を返してもらいにきたっていう大馬鹿者かい? あたしは五万枚の金貨を要求したはずだよ、お前みたいなガキがそんな大金を持っているとは思えないね」
「ガキとは失礼だな、これでもお前以上に名は通っていると思うが」
「ほぉ、言うじゃあないか」
ニルスを見るシスの目は未だ変わっておらず馬鹿にするような嘲笑うような目をしている。だがその中には何を考えているのかわからないような深い黒の目が広がっている。
「俺の名はニルス。唯一神ザナドゥスに加護を授けられた勇者ニルス=セオスだ」
思ったよりも大物だったことに驚いているのか、シスは目を大きく開いており。明らかに動揺している。だがシスの口角が一瞬僅かに上がったのをニルスは見た気がした。
「なるほど……勇者ね。そりゃ凄い。だが勇者というのはこの場では何のメリットにもならないよ、勇者だろうと何だろうと金はしっかりと払っていってもらう。本物の勇者様なんだったら教国に金をせびれば貰えるんだろう?」
「残念ながら、金はない。だから俺を売ろう」
「お前を雇えっていうのかい?」
「そうだ、勇者を自由にこき使えるなんて、こんな機会は二度と訪れないぞ」
「……お前が勇者だという証拠は?」
シスがそう言うとニルスがおもむろに少し荒んだ白いローブを脱ぎ捨て、ローブの下に隠れていた左腕の袖を捲り上げた。
「これでいいんだろう?」
ニルスは腰に掛けてあったナイフで指に小さな切り傷を作り、シスに見せる。その次の瞬間にはその傷口は消滅し、もとの指に戻っていた。
「そのくらいは道具を使えばだれでもできる! 勇者ならばそれ以上の再生もできるはずだよ」
「……わかった」
ニルスは少しの間をおき、そう言うとおもむろに空中で剣を錬成し、左腕の肘の裏に突きつけた。ニルスの額には大粒の汗が滲んでおり、手は少し震え、呼吸は小刻みに乱れている。
剣の錬成に対してニルスの後ろにいた男が少し反応したが、ニルス自身に突きつけたのを見て安堵し、結局一歩も動くことはなかった。
だがその代わりにアリアが動いた。
「何をしているのですか……? 勇者様!!」
アリアがニルスを止めんと今まさに動き出そうとしている。
アリアが足を踏み出した瞬間、ソキウスがアリアの腕を掴み歩みを止めさせる。
「あいつが覚悟してやることだ、止めちゃあならない」
だがアリアは一人で竜と渡り合えるほどの騎士、弓を主に使っているソキウスにはアリアを止めることは少し荷が重い。
アリアが怒りに身を震わせながらもソキウスを引きずりつつニルスの元へ歩き始める。
「こいつらは悪です! 盗賊です! なぜこちらが譲歩しなければならないのですか! 私ならば一人でこいつらを制圧できます!」
「流石に俺だけじゃきついか……おい!そこのデカブツ! そうだお前のことだよ! 早く手伝え!」
「何で俺が……」
「いいから黙って手伝え! お前もそっちの頭領を消し炭にされたくはないだろ!」
「クソッ……」
男はソキウスの怒鳴り声に気圧され渋々アリアを止めるのを手伝い始めた。
二人がかりだろうとアリアは少し動きが鈍くなっただけで、まだニルスに近づこうとしている。
そんなアリアを横目で伺いながら大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。
自分に言い聞かせるように、そしてアリアに聞かせるかのように落ち着き、はっきりと言った。
「大丈夫だ、死にはしない」
ニルスがもう一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
先ほどまで出ていた汗はピタリと止まり震えていた手はガッシリと剣を握り、もう一本の震えていない腕に狙いをつけている。
一瞬目を閉じ、大きく開いた。
その直後、手に握っていた剣を左腕に叩きつけた。
一筋の閃光がきらめいた。
一瞬にしてニルスの左腕は切り落とされ、空中に血の虹がかかり、おびただしい量の血が切断面より流れ出る。だが流れていたのは数秒で気づいた時には血は止まり切断面の肉がうごめき始めていた。
ニルスの呼吸は不安定になっており、周りにいる仲間たちも盗賊の頭領も皆が動きを止めニルスに視線を向けている。
「これが証拠だ」
そう言うとニルスの腕は苗木が大木へ高速に成長しているかのように、木の根が絡み合うように肉が絡みあい肉塊は段々と元の腕の形へと戻っていった。
だがその間ニルスは低いうなり声を上げ、歯ぎしりの音が脳内に響き渡っていた。顔は苦悶に満ちており、全身の穴という穴から汗が噴き出していた。
そのまま30秒ほどたっただろうか、そのころには腕の形をした肉塊は皮がつき、爪まで生えており切り落とす前の腕に戻ったようだった。
「これでいいな?」
「あ、あぁ、十分だよ……」
シスのその言葉を聞いた直後、ニルスの視界は暗転し、意識は少しの安心感とともに深い海の底に沈むように落ちていった。




