7 甚振っていたのはわたくしなのですが
「殿下のお言葉を借りるならば、彼女を甚振っていたのはわたくしなのですが、全くこちらを気になさいませんでしたわね。
しかも、この程度のことで状況判断が出来なくなるなんて……これほどまでに愚かな方だったでしょうか」
オリビアは自身に課した『至上の命題』を全うするため、好んで眼鏡にシニヨンという地味な装いに徹している。
確かにジュリアンは怒りに支配されていたように見受けられるが、オリビアが彼と会う場には常にフェリシアが同席しているため、彼はオリビア・ベルフェールという侯爵令嬢の存在を、まともに認識すらしていないのかもしれない。
「オリビア、不敬ですわ。気を付けて」
そうは言ってもオリビアがそのような失態を犯すはずがないことを、フェリシアはよく知っている。
「殿下ほどの美しさがあれば、取り乱した姿もまた、違った美しさがあるのですねという褒め言葉です」
そう言って悪びれもせず微笑むオリビアの姿に、フェリシアは苦笑混じりに答えた。
「仕方ないですわね。座学は明日に致しましょう」
開け放たれたままの扉。
誰の姿も見えない空間に、フェリシアは楽しそうに声を掛けた。
一週間ほど公務で王都の外に出ていたジュリアンは、帰都後の細々した仕事が落ち着いたため、久しぶりに『見回り』へと赴くことにした。
しかし、いつもは『見回り』序盤に姿を見せるエミリアが、終盤になっても現れなかったのだ。
不思議に思い、よく昼食後の語らいの場に姿を見せる子爵令嬢に声を掛けると、エミリアはここ最近毎日フェリシアに呼び出されており、放課後はサロンにいると聞かされた。
フェリシアは幼い頃から決められた婚約者だ。
賢く美しく、自分の意に背くことなどただの一度もなかったため、ジュリアンもこれまで婚約者としての義務を怠ることなく接してきた。
しかしあの日、ジュリアンはエミリアと出会ってしまった。
彼女の愛らしさを引き立てる温かみのある桃色の髪と瞳。
そして手を握られた瞬間、一瞬の驚きの後に突如襲ってきた、あの小さく柔らかな温もりに全身の血が沸騰するかのような感覚。
それが恋だと気付いたのはいつのことだったか。
それからも、彼女がひとたび微笑みかけてくれれば清涼な風に吹かれたように疲れも憂いも吹き飛び、その可愛らしい口から飛び出す言葉は、まるで魔力を帯びているかのようにジュリアンの鼓動を高鳴らせ、落ち着かない気持ちにさせられた。
不思議なことにそのことを不快に感じたことは無く、むしろそれが心地よく感じた。
マナーはまだ粗削りだが、日々努力を重ねているようでジュリアンを見つけると嬉しそうに駆け寄ってきて、その成果を見せてくれる。
対するフェリシアは昔から控えめな性質で、優秀ではあるが自身が目立つことを好まずジュリアンの一歩後ろを歩く、そんな令嬢だった。
恥ずかしがり屋であるのか、あまり瞳を見て話すことは無く、エスコート以外で不用意に触れることもなければ、必要以上に近づくこともない──共に居て、心が躍るようなこともなかった。
高貴な身分に相応しく所作も完璧だが、そんな距離感のフェリシアと心を通わせることができるはずもない。
美しくはあるが、凍てつくような冬の空気を思わせる銀髪と何を考えているのかわからない翠色の瞳が、ジュリアンは少し苦手だった。
──そんな時に出会ったエミリアに、ジュリアンの気持ちが傾くのは当然だった。
しかし、そのことを良く思わなかったフェリシアは、マナーのレッスンと称してエミリアを拘束し、ジュリアンとエミリアの逢瀬を邪魔しようとしていたのだ。
先日の茶会で、その事を知ったジュリアンは、自らの言葉でエミリアに対する余計な手出しを禁じたはずだった。
フェリシアが自分の言葉に逆らうことなど、これまで一度もなかったのに!
ジュリアンはサロンへの道を急ぎながらも、苛立ちで頭に血が上り、何も考えられなくなっていた。
気が付けばフェリシアがよく利用しているサロンの扉の前に立っていた。そして──
「──やはり幼少を市井で過ごした弊害かしら……」
扉の向こうからフェリシアのエミリアを侮辱するような発言を聞き、気が付けばノックもせずにサロンの扉を開いていた。
「エミリアっ!!」
怒りに支配されたジュリアンがサロンに足を踏み入れ一番に目にしたものは、震えながらひとりサロン中央に立つエミリアの姿だった。
「あら、殿下。このような場にいらっしゃるなんて──」
いつもと変わらぬ様子のフェリシアがそう言って立ち上がった。
エミリアを理不尽に甚振る現場をジュリアンに見られたというのに、心ひとつ揺れ動いていないことがはっきりとわかる冷笑に、ジュリアンは恐怖と怒りで総毛立った。
「私は貴女にエミリアに手出しをすることは許さないと言ったはずだ」
ジュリアンはその恐怖を断ち切るようにフェリシアの言葉を遮ると、迷わずエミリアの元へ歩み寄り、その体を引き寄せた。
エミリアは安心したのか、全てを委ねるようにジュリアンの胸に収まった。
しかし、その顔色はかなり悪い。
「他の者の目の届かぬ密室で、市井だなんだと彼女を辱め、この様になるまで甚振るとは……っ!
いいか、フェリシア! 私は同じことを言うのは好かぬ! 二度とこのようなことをするな!!」
ジュリアンはフェリシアにそう告げると、エミリアを抱き抱えるようにして、その場を後にした。
廊下には側近が待っていた。
一刻も早くこの場を立ち去りたかったが、彼はジュリアンが婚約者でもない令嬢とそのように寄り添って歩くのは問題があると、断固として譲らなかったのだ。
そのため、先ほどの部屋から一番離れたサロンの一室を特別に借り、エミリアを休ませることになった。




