19 この婚約を継続するという形で
「昨日も殿下が来られましたので、ベルモンド男爵令嬢はひとりサロンに残り、時間差で退室する予定でした」
ジュリアンがサロンに踏み込むとエミリアがいないという状況があれだけ続いたのに、彼はフェリシアに当たり散らすだけで隠れているエミリアの存在に気付くことはなかった。
寵妃のことを知ってから、ずっとジュリアンがフェリシアを叱責する姿ばかり見続けていたのだ。エミリアの中の恋心が恐怖心と嫌悪感に塗り替えられるのは早かった。
しかし、このようなことを続けていても埒が明かない。
いい加減フェリシアに疑惑を持ってもらうため、昨日はエミリアが一人残るサロンに、敢えてフェリシア自ら鍵をかけた。そして、不自然に思ったジュリアンがエミリアを見つけ出せるよう画策したのだ。
演技力が未知数であったため、エミリアにはその事を告げていない。
時間差で退室出来るように鍵は後程開けにくるとは伝えていたのだが、ジュリアンが戻ってきてサロンの鍵を開けた時のエミリアの心情を思うと、申し訳ないことをしたと思っている。
おまけに無理矢理連れ去られ、一夜を王城で明かし、この場に引き出されることになったのだ──本当に生きた心地がしなかったに違いない。
今も気力でその場に立ち続けるエミリアの顔色は蒼白だ。
フェリシアが普段からジュリアンに誤解を与えるような接し方をしていたのは、彼に自分に対する不信感を持たせ、フェリシアとの婚約を解消したいと思わせるためだった。
王太子をすげ替えるのは問題だが、その妃をすげ替えるのは、より国内の結束が強固になるための選択をしたと思わせれば必ずしもマイナスに取られるとは限らない。
こちらから婚約解消を申し出ることが出来ないための苦肉の策であったが、ジュリアンはフェリシアの言動に怒ることはあっても、疑問を持つことはなく、この婚約を見直そうとする素振りも見せなかった。
そのため、二人の婚姻の予定が決まる御前会議の前日であった昨日、強引ではあったが、ジュリアンに決定的な不信感を植え付けられる確実な手段に出た。
そしてフェリシアの思惑通り、ジュリアンは御前会議の場でやっと婚約の見直しを提案してくれたのだ。
この場に集まっている者は護衛に至るまで、ジュリアンの『難』を理解している者ばかりだ。
少々のことがあっても彼の立太子に響くことはない。
フェリシアはジュリアンから相談や指摘をされる事無く疑惑をかけられたことを理由に、彼に信用されてない自分が正妃となって国政に関わるということは、他国への隙となりリスクが大きすぎると、婚約の解消を受け入れる予定だった。
そう、フェリシアの有責で婚約解消することにより、ジュリアンに傷をつけずに婚約を解消するはずだったのだ。
ここで、この様にジュリアンを糾弾する予定ではなかった。
「エミリアが……私から、隠れていた、だと……!? エミリアは私を愛しているはずだ──」
もう十分だと判断したのだろう。
未だ事実を受け入れられない様子のジュリアンに構わず、静観していた宰相が会場に向かって言葉を発した。
「さて、これで第一王子が告発した『フェリシア・ローゼンバーグ公爵令嬢が犯した罪』、そしてそれに関連した事柄も含めてその全貌が明らかになりましたが──」
宰相はそこで言葉を切ると、困惑しているのを隠そうともせずに、国王を見た。
「そうじゃな……ローゼンバーグ公爵令嬢よ。第一王子が申し訳なかった──」
「へ、陛下……っ」
国王が一介の令嬢に詫びるなどあり得ない。
それに、どちらかといえば申し訳ないことをしたのはフェリシアの方なのだ。
驚いたフェリシアが声を上げるが、結局ジュリアンは自身の婚姻の話し合いの場で、私欲を優先し婚約者の罪を告発し、場に無許可で部外者を招き入れた。
その結果、誰もが呆れるほどの醜態を晒してしまったのだ。
フェリシアも今回の件ではじめて知ったが、ジュリアンにこのように思い込みの激しい面があるとは、誰も思っていなかったに違いない。
挙げ句、視野が狭くなり長年支えてくれていた婚約者を犯罪者扱いし、嫌がる令嬢を寵妃として迎えようとするような暴君と化するとは……
会場に集う者の顔に浮かぶのは、失望。
しかし、ジュリアンを次期王太子と決めたのは自分達である。
この国はもちろん他国にも触れを出した以上、挿げ替えるにはそれなりの覚悟がいる。
幸いジュリアンは感情に振り回されなければ国王として最低限の役目は果たせるだろう。現時点での最良は、そこに期待し、当初の予定通り皆が全力でジュリアンを支え、国政を平穏に保つこと。
そしてジュリアンには早々に子を儲けさせ、早期の世代交代を行うこと──
フェリシアには、ここに集う貴族たちが望む妃への期待の比重が、ジュリアンの支えとなる事ではなく、次期国王の母となることへと大きく傾いたのが手に取るように分かった。
『王室典範』に基づき側妃を迎え入れるまで待ってはくれないだろう。
「──其方はこれまでも第一王子を支え、よく補佐してくれていた。
しかし、無実の罪であろうともこの場で正式に発言された以上、婚約については一度採決を取らねばならぬ。
其方さえ一連の出来事を、考えの足りぬ男の一時の気の迷いであると水に流せるのであれば、このまま婚約を継続するという形で収めることも出来る。其方の希望を聞かせてくれないか」
国王は思う。
浅慮であると分かってはいたが──おそらく初恋がジュリアンから思考を奪い、感情のままに動いてしまったのだろう、と。
──一時の気の迷い。
フェリシアも、年頃の令嬢だ。
国民の憧憬を一身に集めるジュリアンの妃になる事を夢見、これまで彼の隣に立ち続けてきたのだ。
あと一年でその夢が叶うという時にこの騒動……きっとこの一年、悔しい思いをしていたに違いない。
フェリシアは奥ゆかしい娘ゆえ、ジュリアンに婚約の解消を望まれた以上、自分から婚約継続を望むことなど出来ないだろう。
国王は、フェリシアが婚約継続という望みを口にし易いよう、話を振った──つもりだった。
フェリシアは焦っていた。
国王にその様な聞かれ方をしては、「水には流せない、婚約の解消を」と、その言葉に「否」と答えることは難しい。
フェリシアは目の前が真っ暗になるとはこういうことかと、自身の絶望を他人事のように感じていた。




