16 あなた、これからどうされるおつもりですの?
エミリアがジュリアンの身分を知らなかったと聞いたとき、それを知ったのだからエミリアは彼から離れるだろうとフェリシアは思った。
どんなに愛し合っていようとも、人の心は流動的だ。若さを失えば寵も失う可能性がある。
その時、愛する方と一緒に、我が子も奪われてしまうのだ。
下位貴族に、王家の血を引く子を守り育てるのは無理がある。
仕方がないことだとはわかるが、到底受け入れられない制度だと子を持つ夫人たちは言う。
しかし、エミリアはジュリアンと将来を約束したと、「愛する者同士が結ばれるのは普通のことだ」とフェリシアに力強く言い放った。
だから、エミリアがジュリアンの『寵妃』となることを受け入れると言ったとき、フェリシアは何の疑問も持たなかった。例え未来に別れが来たとしても、愛を優先するのだと。
それどころか、フェリシアの輿入れと共に、エミリアを迎え入れ、彼女にジュリアンの愛と欲を一身に受けてもらおう。
そして自身は白い結婚で政務に励み、次代はいずれ側妃を迎え入れることで解決する──そんな計画を立てていた。
これで次代を産み育てること以外の責務は果たせる……!
長年の悩みから解放された喜びから、フェリシアは少々舞い上がっていたのかもしれない。
まさかエミリアがフェリシアの嫌がらせだと勘違いして、男爵に相談すらしていないとは思わなかったのだ。
(……私の責任ですわ……)
寵妃制度について聞いたエミリアの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちるのを見ていられず、フェリシアは目を伏せた。
──出会った瞬間、二人が惹かれ合ったことを察しながら、直ぐに手を打たなかった。
──ジュリアンの私欲による行動に正当な理由を与えてしまった。
──二人の距離が近付いたと思ったときも、裏から手を回すだけにとどめた……
フェリシアは、ジュリアンの立太子を無事に成し遂げることを優先し、それ以外の問題を後回しにしてしまっていた。
そこに、彼と必要以上に関わりたくないという、フェリシアの個人的な感情が介在してしまったことは否定できない。
エミリアが挑発的で、フェリシアの言葉に耳を傾けるような雰囲気ではなかったとはいえ、妃となることを受け入れると発言したときに、男爵へ相談するようになどと回りくどいことは言わず──いや、二人の密会の事実を知った時点でフェリシア自身が『寵妃』について説明するべきであったのだ。
「──申し訳ありません……」
思わず口をついて出てきたフェリシアの謝罪に、エミリアは制服の袖で涙を乱暴に拭いて言った。
「何でローゼンバーグ様が謝るんですか。悪いのは嘘をついた人です!
そういう制度があるってことは、王族って何人も奥さんがいるものなんですよね? 旦那さんを誰かと共有するってこと?」
少々乱暴だが、間違ってはいない。
正妃との子供の人数などの細かい条件はあるが、側妃を迎える可能性は十分にある。
特にエミリアが寵妃になった場合に関してだけ言えば、確実に後から迎えられる側妃と、ジュリアンを共有することになるだろう。
「そうですわね。殿下には直系の跡継ぎが必要ですから」
「──じゃぁ、王子さまであることも婚約者がいることも教えてくれなかった理由は、私を騙すためだったってことか。 ──最初から体が目当てだったなんて、最低……!!」
エミリアが吐き捨てるように言った。
体目当て──身も蓋もない言い方だが間違いではない。
ジュリアンの認識は知らないが、フェリシアとて寵妃に関してはその認識である。
エミリアは平民としての生活が長いため、その価値観は平民のそれだ。そもそも一夫多妻は直系の跡継ぎを必要とする貴族の特権。貴族社会に疎いエミリアが理解できないのは、仕方がないのかもしれない。
それに彼女自身、男爵の『庶子』である。一夫多妻に思うところがあってもおかしくはない。
「もちろんあたしも悪いところがあるってわかってます。あの人の外見に惹かれて、『そのままでいい』っていう言葉を真に受けて、おかしいって思いながらも何の努力もしなかったし……」
それでもここに足を運び、『王室典範』を手に取ったのだ。エミリアは何もしなかったわけではない。
諦め、自分さえ我慢すればよいのだと何もしなかったのは、フェリシアの方だ。
エミリアはそこで言葉を切ると、フェリシアを見てガバリと頭を下げた。
「あのっ、ベルモンド男爵令嬢?」
「あたし、今までたくさん『不敬』なことをしたと思います。多分今も……
今まで何してたんだって言われるかもしれないけど、マナーとか身分とかそういうの、本当にわからないんです。
お父さまのことはあんまり好きなわけではないけど、あたしのことで迷惑はかけたくないの。
どうか罰を与えるならあたしだけにしてもらえませんか?」
フェリシアはなかなか頭を上げないエミリアに対し、当然不問にすると答えた。先日の合同講習の令嬢たちと同じく、これからの貴女に期待しますと。
平民の社会であれば、エミリアはただ自分の気持ちに素直な女の子なのだ。
ただ、貴族社会に足を踏み入れた以上、それではすまないのが現実でもある。
フェリシアはエミリアとこの国の未来のために、諦めず、出来る限りのことをしようと心に決めた。
「ベルモンド男爵令嬢……あなた、これからどうされるおつもりですの?」
「……あの人とはお別れして、平民に戻りたいです。
このままだと、お父さまに言われた知らない男の人のところにお嫁に行くことになるもの……──あたし、そんなの耐えられない」
平民であれば、好きな人と結ばれることが普通だ。政略など受け入れられないのだろう。
エミリアの気持ちはよくわかる。
おそらくジュリアンは立太子をした後に、男爵家に寵妃としてエミリアを召し上げると通達するつもりでいるはずだ。
正式に認められた妃ではないため、寵妃を出す家には一文の得にもならないが、たとえ断ったとしても、わざわざジュリアンを敵に回してまでエミリアを娶る貴族などいないからだ。
そして、男爵家に引き取られ手入れが行き届いたエミリアは、元の美しさも相まって、すでに平民には見えないほどに磨き上げられている。
いまさら市井に戻れば最悪人攫いに遭い、売られてしまう可能性もある。
この事実はエミリアに隠していても仕方がない。フェリシアがそう説明すると、エミリアはみるみる青くなっていった。
フェリシアは、今回の一連の騒動により、もう以前の様にジュリアンを受け入れることは考えられなくなっていた。
誰が悪いわけではない。
それぞれが少しずつ被害者であり、加害者なのだ。
──フェリシアは一連の出来事に終止符を打つため、ひいては国の未来のために策を講じることにした。
「寵妃とならないと決めた以上、ベルモンド男爵令嬢には早急にマナーと所作を学んだ方が良いでしょう。これは貴女にとって必要なことですから。貴女が望むのであれば、私は協力を惜しみません。
ですがその場合、放課後は毎日、そしてかなり厳しいものとなりますがどうされますか?」
フェリシアの言葉にエミリアは驚いたような顔をしたあと、膝の上で拳を握りしめて表情を引き締め、決心を固めたように答えた。
「よろしくお願いします!」
「──お願いいたします、若しくはお願い申し上げます、です。
ご自分より目上の方とお話しするときは、敬語が必須です。覚えてください」
かくして、エミリアに対する厳しいマナーレッスンがはじまったのだった。




