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やりがいの、燃えカス  作者: K3/KASANE
二合の炊飯器

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1/16

前編 ふたり分、炊ける

一人暮らしを始めた部屋で、なぜか、炊飯器が毎晩ひとりでに二合炊ける。


 一人暮らしのはずの部屋で、炊飯器が毎晩ひとりでに二合炊ける。


 おれは一合しか、といでいない。


 朝、ふたを開けると、いつも向かいのぶんが、湯気を立てている。


 先月、二十一で、生まれて初めて一人になった。


 みどり荘の二階、六畳一間。


 台所は、ちゃぶ台をひとつ置けばいっぱいの広さだ。


 それでもおれには、広すぎた。


 若葉園にいたのは、六つのときから十八まで。


 退所してからは整備工場の相部屋の寮で、先輩と三年。


 誰かの寝息を聞かないで眠るのは、この部屋が初めてだった。


 最初の夜は、静かすぎて眠れなかった。


 外を通る車の音を数えているうちに、朝になった。


 静けさというのは、慣れるまで、こんなに大きな音がするものかと、そのとき知った。


 一人になれた、とおれは思った。


 誰にも迷惑をかけないことを、ずっと自立と呼んできた。


 呼んできたつもりだった。


 異変に気づいたのは、引っ越して十日ばかりたった朝だ。


 その日は非番で、腹が減って目が覚めた。


 とりあえず飯でも食おうと炊飯器を開けて、手が止まった。


 白い飯が、釜の半分まであった。


 前の晩、おれは一合しかといでいない。


 眠る前にセットして、朝には一合ぶんが炊けているはずだった。


 なのに二合、きっちり炊けて、保温のランプが灯っている。


 湯気のにおいが、部屋にこもっていた。


 炊きたての、甘いにおいだ。


 一人の朝に、そのにおいは、場違いなくらい、あたたかかった。


 寝ぼけて、二回といだのかと思った。


 次の朝も、二合だった。


 その次も。


 捨てるのはもったいなくて、無理に二食に分けて食った。


 工場の弁当を持っていく身には、朝から二合は多すぎる。


 多すぎる、というのが、いちばん妙だった。


 一人ぶんが少し余る、という量じゃない。


 きっかり、もう一人ぶん、多い。


 冷めて硬くなった白い飯を、夜、麦茶で流し込みながら、おれは、向かいの、誰もいない畳を見ていた。


 誰かのために炊いたみたいな量の飯を、一人で、二回に分けて食う。


 それは、思っていたより、こたえた。


 中古の炊飯器だった。


 寮を出るとき、リサイクルショップで千円で買った三合炊きだ。


 予約のタイマーが壊れているのかもしれない。


 そう思って、コンセントの差し込みを何度も確かめた。


 あるいは、おれが寝ぼけてといでいるのか。


 若葉園では、六年のあいだ朝の炊事当番をやった。


 眠い目をこすって米を計り、大鍋で炊いた。


 手が、順番を覚えている。


 夜中に起きて、覚えていないだけで、自分でといでセットしているのかもしれない。


 だとしたら、それはそれで、怖かった。


 自分のやったことを、自分が覚えていない。


 おれは頭がおかしくなったんじゃないか。


 そう思いはじめると、夜、炊飯器のほうを見ないで眠るのが癖になった。


 一度、夜中に目を覚まして、台所をうかがったことがある。


 暗がりで、炊飯器は、ただ黙っていた。


 おれは立って、米びつのふたを確かめた。


 しゃもじは、流しの縁に、おれが置いたとおりに掛かっていた。


 何も、動いていない。


 それなのに、朝には、二合になっている。


 自分の手が信じられないというのは、静かに、おれを追い詰めた。


 みなと食堂の女将さんに、その話を漏らしたのは、なかば愚痴のつもりだった。


 みどり荘の下にある、カウンターだけの古い定食屋だ。


 佐野タエさんという六十いくつの女将さんが、非番の晩、たまにおれに飯を食わせてくれる。


 金を取らないこともある。


 断ると機嫌が悪くなるから、おれはおとなしく食う。


 その晩も、おれはカウンターで、鯖の味噌煮と飯を食っていた。


 ラジオが、古い歌謡曲を流していた。


 タエさんは、洗い物の手を止めずに、おれの話を聞いていた。


 「二合ねえ」


 タエさんは、湯呑みを拭きながら、少し黙った。


 「あんた、うちで食うときもねえ。いっつも、誰かのぶんを先に取り分けようとするよ」


 そんなことはない、と言いかけて、やめた。


 言われてみると、大皿の煮物が出ると、おれは箸をつける前に、小皿へ半分よけている。


 誰にやるつもりもないのに。


 「神宝町にね、拝み屋みたいなのがいるよ」


 タエさんは、思い出したように言った。


 「祓い屋じゃなくて、気づかせ屋だってさ。うちの常連が世話になった。行ってごらん」


 神宝町の外れ、看板もない借家の一階に、その事務所はあった。


 引き戸を開けると、線香のにおいがした。


 アロハシャツの男が、畳の座卓に頬杖をついて、灰皿へ灰を落としていた。


 目は、糸みたいに細い。


 年は三十前くらいに見えた。


 「拝み屋の慈恩です」


 男は顔を上げず、そう言った。


 「炊飯器の話ですか。ま、座ってください」


 まだ何も言っていない。


 おれが黙っていると、慈恩はようやくこちらを見た。


 「タエさんから、電話が来てましてね。二合の若いのが行くから、追い返すなって」


 なるほど、と自分の間抜けさに苦笑して、おれは座った。


 座卓を挟んで、おれは事情を話した。


 二合のこと。


 若葉園で当番だったこと。


 夜中に、自分でといでいるのかもしれないこと。


 頭がおかしくなったのかもしれないこと。


 話しながら、自分の声が、少し情けなく震えるのが分かった。


 慈恩は、線香の煙のむこうで聞いていた。


 おれが「二合」と言うたびに、少しだけ、こちらの息を確かめるような目をした。


 それが妙に落ち着かなかった。


 「一人ぶん、余るんじゃなくて。もう一人ぶん、多いんですね」


 「……はい」


 「わかりました。今日、部屋を見せてください」


 祓ってくれるのか、と訊いたら、慈恩は煙草を消して立ち上がった。


 「祓うものが、あるかどうかから、ですよ」


 みどり荘の二階、六畳一間。


 慈恩は靴を脱いで上がると、まずちゃぶ台の前に立った。


 それから台所の、あの中古の炊飯器を、しばらく眺めた。


 糸のような目が、少しだけ開いた。


 妙な間があって、慈恩は言った。


 「悪いものは、いませんよ」


 おれは、拍子抜けした。


 「半分は、あなたの言うとおりだ。この炊飯器は古い。タイマーだって、いつ狂ってもおかしくない。それに、あなたは当番の身体で、覚えずにといでるのかもしれない。夜中に、ね」


 だったら、と言いかけたおれを、慈恩は手で止めた。


 「だから、試しましょう」


 彼はしゃがんで、炊飯器のコンセントを、自分で引き抜いた。


 「今夜、これを抜いたまま、米びつも空にして、寝てください。米がなけりゃ、炊きようがない。それで朝、どうなってるか」


 もし何も起きなければ、と慈恩は言った。


 「原因は、あなたの手です。医者を紹介します。それで片がつく」


 もし、と続けかけて、彼はそこで口をつぐんだ。


 糸目の奥が、ほんの少し、暗くなった気がした。


 「もし炊けてたら、また来てください。そのときは、炊飯器の話じゃ、なくなる」


 その晩、おれはコンセントを抜いた。


 米びつをひっくり返して、最後の一粒まで新聞紙にあけた。


 空になった炊飯器の、抜けたコードを、わざわざちゃぶ台の上に載せて見えるようにした。


 これで、炊けるわけがない。


 布団に入って、暗い天井を見ていた。


 炊けるわけがない、と何度も思った。


 思うほど、目が冴えた。




祓うものなど何もない。(゜Д゜)クワッ!

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