辺境の旋律
「アルバイン、一緒に来て」
「あ、あの……ですが、リナリア捜査官。私はあなた方とは違い、捜査の事であまりお役に立てるとは……思えないです……」
「よそ者の私たちより、顔の知れたあなたがいた方が捜査がスムーズにいくのよ。それに捜査のいろはも学べるわよ」
「は、はぁ……」
まったく、行く気のないアルバイン。
「じゃあ、こうしましょう。」
「なんです?」
子犬のように目を輝かせるアルバイン。都合の良い骨を貰えると尻尾を振っているよう。
「王令第百二十四号:王宮捜査官の特権及び協力義務に関する規定。第十条、捜査の受諾義務。王宮捜査官が王命を拝受し、特定の事案について捜査の協力要請、あるいは立入調査の要求を行った場合、被要請者はこれを王自身の命と看做し、遅滞なくこれに従わなければならない。第十一条、代理権の提示と効力。前条の要請において、捜査官が「王の刻印」を付した証票を提示した際、その権限は王の親政に準ずるものとする。何人も、身分や役職を理由に当該要請を拒絶、排斥、あるいは秘匿することは叶わない。第十二条、拒絶に対する罰則。正当な理由なく本規定に基づく要請を拒否、または虚偽の言辞を以て捜査を妨害した者は、王権に対する不敬、及び大罪と見なし、即刻その身柄を拘束、王立省、あるいは該当する機関の裁定に付するものとする。どう? 少しはやる気が出たかしら?」
「…………も、勿論です! リナリア捜査官。喜んでお供致します!! さぁ、早速参りましょう。」
私は効率を優先すべきと判断し、王令を暗唱し終えた唇を冷淡に結んだ。私の隣で、ゼノは「やれやれ」といった様子で大げさに肩をすくめている。
「ゼノ。今の私の発言のどこに、情緒に訴えかける余地があったかしら?」
「一文字も噛まないなんて。法律を物理的な鈍器として使うのは君の悪い癖だよ、リナリア。見てごらん、アルバインの毛穴という毛穴から、絶望が冷え切った脂汗となって噴き出している。まるで安物のオリーブオイルの瓶だ」
ゼノが指を鳴らすと、ゼノの視界――私には決して自由に共有できない、あの非論理的な魔法の視界――には、アルバインが歩いた跡に「極度の恐慌」を示すどす黒い光の飛沫でも見えているのだろう。
「でも、君のそういう『可愛げのない正論』で相手を黙らせる冷徹さ、嫌いじゃないよ。……むしろ、もっとやってほしいくらいだ。法典で殴られるアルバインの姿は、ある種、悲劇的な美学を感じるからね。」
「黙って、ゼノ。騒音のデシベルを下げて。……アルバイン、案内なさい。時間の浪費は死よりも重い罪よ」
私の冷たい一喝に、アルバインは「はっ、はいっ!」と裏返った声を上げた。軍靴を泥に取られながら走り出した彼の背中を見送りながら、私はため息をつく。
道中、アルバインは必死にこの村の「治安」と、依頼主の特異性について釈明を始めた。
「あ、あのですね、リナリア捜査官。今回の依頼主はソラスといって、昔はこのあたりで名を馳せた吟遊詩人だった男なんです。今は引退して、細々とアプリコットの栽培を手伝いながら暮らしていますが、根が……その、繊細と言いますか、ドラマチックな男でして」
「吟遊詩人……。論理よりも韻律を優先し、事実を脚色することに人生を捧げる人種ね。私とは最も相性が悪いわ」
私は無機質な視線で、周囲の風景を薙ぎ払うように眺めた。
陽だまりの中で欠伸をする猫。一時間前と同じ話題を繰り返している老婆たち。風に揺れるアプリコットの枝。
王都での「捜査」は、常に情報の奔流との戦いだった。暗号化された魔法通信、偽造された公文書、幾重にも張り巡らされた魔術的隠蔽。しかし、この街はどうだ。
(……空気が、止まっている。情報の密度が低すぎて、私の脳の処理能力が余り、勝手に背景のノイズまで高解像度で拾い始めてしまう。この街の人々は、自分が『何者でもない』という事実に耐えられるほどに精神が不感症になっているのか……。私にとっては、この平穏こそが、感覚遮断室に閉じ込められたような精神的圧迫に思える)
「着きました! ここがソラスの家です」
到着したのは、石造りの壁に蔦が絡まった、極めて平均的な住宅だった。贅沢でもなければ、貧相でもない。ただ、玄関先に飾られた一輪の花の枯れ具合が、住人の現在の精神的余裕のなさを暗示しているように見えた。(石材の摩耗度と接合部の剥離率から推測される築年数は約40年。メンテナンス頻度の統計的偏差は中央値に収束しており、世帯収入の安定性を示唆している。しかし、外壁を覆う「セイヨウキズタ」の剪定痕が直近の3ヶ月間で途絶えている事実は、ここに住む住人の関心が外部の「体裁」から内部の「自己防衛」へと急激にシフトしたことを証明している。特に、テラコッタ鉢に放置された「アネモネ」の萎凋状態——細胞内の膨圧が完全に失われ、組織が灰褐色に変色するまでの経過時間は、正確に72時間から96時間。これは依頼主の認知資源が「情熱的な詩の執筆」から「その紛失によるパニック」へと全量転換され、生命維持以外のルーチンワークを完全に放棄した「精神的カタストロフ」のタイムスタンプに他ならない)
アルバインが、緊張で強張った手でドアを叩いた。「コン、コン」という控えめな音が、静かなアプリコットの町に場違いに響く。




