自己ポリシー
詰所のソファは、座るたびに「フゴッ」と間の抜けた音を立てて中の藁が弾けた。(音響特性から推測される乾燥によるセルロース繊維の結晶化、および長期間の荷重によるスプリングの金属疲労が限界に達している。排気とともに飛散する粉塵のスペクトルを分析すれば、この空間が換気基準を満たしておらず、かつ利用者の衣服から脱落した角質と微細な煤煙が堆積した「劣悪な衛生環境の標本」であるのは一目瞭然だった。)王都の執務室にあったシルク張りの椅子が、遠い前世の記憶のように感じられる。
窓の外では、先ほどの岩塩騒ぎが嘘のように、またのどかな(殺意を覚えるほど退屈な)風景が戻っていた。
「……洗練されているわね」
私は、指先に付着した詰所の埃を見つめながら、乾いた声で呟いた。
「この、徹底して知性を排した空気感。淀んだ時間の流れ。……これが『辺境』という名の拷問なのね」
私の鑑識眼は、もはや事件を探すのをやめ、壁のシミが「3年前に溢された安いエール」であることを突き止めるくらいしか使い道がなくなってきていた。
私は、アルバインが「一応、これも事件と言えば事件でして……」と申し訳なさそうに(でも期待を込めた目で)差し出してきた、薄汚れた書類の束を掴み取った。日付は比較的新しいよう。しかし、(アルバインの瞬目速度が直近の5秒間で120%上昇、軽度の頻呼吸を伴っている。これは意図的な隠蔽工作によるストレス反応。だが眼輪筋に典型的な「敵対的収縮」が見られない。むしろ、上毛のわずかな挙上と鼻翼の拡張は、上位権力者への「期待」と「依存」を示す服従シグナル。彼の虚偽報告は利己的な隠蔽ではなく、無能の烙印を回避するための防衛的策謀——つまり、王宮捜査官である私への過度な恐怖心が、事実の断片を都合よく改竄させているに過ぎない。少し挨拶が効き過ぎたようね。またこの書類。繊維の摩耗係数から算出される閲覧頻度は、重要書類のそれではなく、単なる「回覧」の域を出ていない。付着した褐色斑は酸化したヘモグロビンではなく、安価な植物性油脂——詰所の配給食に含まれるラードの飛沫だ。さらに、紙葉の端に生じた「ドッグイヤー」の角度と、親指の圧着による皮脂汚染の分布密度は、管理者の著しい注意力の欠如と、この書類が「解決すべき課題」ではなく「放置すべき残務」として扱われていた組織的な怠慢を物語っている。)既に読まずとも、必要に値しない書類なのは明白だった。しかし、このまま何もせず、脳みそを腐らせていくわけにもいかない。
「ゼノ……一つ選んで」
私は、その「紙屑の束」を、力なくゼノの前に突き出した。
「どれを引いても、私の経歴に消えない泥を塗ることになるでしょうけど。……今の私には、自分でこの泥沼に手をつっこむ勇気がないわ」
ゼノは「おやおや」と楽しげに目を細め、細長い指先で、束の中から一番「ピンク色の香りが漂ってきそうな」封筒を抜き取った。
「これにしよう、リナリア。僕の『足跡直感』が、この依頼書から凄まじい熱量を感知しているよ。……ほら、見てごらん。この依頼主の名前の書き方。震える筆致、滲んだインク。これは恐怖や憎しみじゃない。……もっとドロドロとした、自己愛と羞恥の混濁だね」
私は無言で、その書類をひったくるように受け取った。
そこには、悲痛な叫びのような文字が並んでいた。
『緊急事態です。私が昨夜、勢いで書き上げた「運命の恋人への情熱的な詩」を認めた手紙が、机の中から盗まれました。内容が内容です。読まれる前に、犯人を捕らえ、手紙を速やかに焼却処分してください。もし内容が表に出るようなことがあれば、私は村の裏山で、アプリコットの木に首を吊る覚悟です』
(インクの飛沫パターンから推定される筆記速度の異常な上昇、および紙面を突き破らんとする筆圧の不規則性は、血中アドレナリン濃度が臨界点に達した「闘争、及び逃走反応」下での執筆を裏付けている。末尾の「覚悟」の文字に付着した塩化ナトリウムを含む微細な結晶斑は、単なる芝居がかった演出ではなく、重度のストレス性流涙(涙)が乾燥した残留物を思わせる。これは社会的抹殺を死と同等に捉える、辺境特有の硬直した名誉感情と、セロトニン欠乏による深刻な抑うつ状態が生み出した、極めて実行精度の高い「自殺予告書」に見える)
「……恋文の盗難?」
「ただの恋文じゃないよ、リナリア。書いた本人にとって、それは『魂の全裸』を見られる以上の惨劇だ。ほら、プロファイリングしてみなよ。この依頼主がどれだけ追い詰められているか。これは、ある意味で殺人事件より急を要する……『社会的死』を防ぐための水際作戦だよ」
私は、天を仰いだ。
王都の連続猟奇殺人犯。
貴族街の巨額横領犯。
彼らを追い詰めてきた私の頭脳が今、「ポエムを盗まれた村人の羞恥心」のためにフル回転を始めようとしている。しかし、救いを求め、命を絶とうとする者を知った以上、放ってはおけない。これを放置するのは私の自己ポリシーの一つである、デオントロジーに反する。




