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No Look Jamming〜私は見る事ができない〜  作者: 船木
閑話休題
31/37

She'll Think About It Later ——困ったことにしおりは後で考える

 森が、終わった。


 唐突だった。木と木と木の間を歩いていたら、急に、開けた。木の気配が、途切れる。足音の返りが、どこにも当たらなくなった。頭の上まで、何もない。一ヶ月ぶりに、空の下に出たのだと、音で分かった。何より先に、匂いが、変わった。土と木と葉の匂いが消えて、代わりに、煙と、石と、人の匂いが来た。火を焚いている匂い。食べ物を焼いている匂い。動物の匂い。金属の匂い。全部が混ざって、一つの塊になって、鼻に、押し寄せてきた。街の匂いだった。知らない匂いだった。リンデンフォードにも、森にも、道中の村にも、なかった匂い。人が、たくさんいる場所の、匂い。


 「匂いが、違う」


 みいさんが立ち止まって言った。違った。全部、違った。目を開けた。接続が見える。いつも通りに、見える。でも、密度が違う。森の中は、接続がまばらだった。木と、木と、動物と、たまに、人。ここは、違う。接続が、密集している。人と人と、物と物が、ぎゅうぎゅうに、重なっている。まるで無数の糸が一箇所で結ばれた様に、その奥に、建物の輪郭が、見えた。ぼんやりと。大きい。たくさん、ある。目を閉じた。情報が、多すぎた。


 しおりさんが笑っていた。


 「着いたね。ヴェーブルク」


 街の名前だった。しおりさんだけが、知っていた。ことはが黙っていた。チーの背中で、口を開けて、街を見ていた。あのことはが。喋り続ける、あのことはが。言葉が、出ていなかった。みいさんは小さくなっていた。いつもの。人が多い場所で、縮む。でも今回は、縮み方が、違った。怯えより、圧倒されている方が、大きかった。


 「でかい」


 ことはが、やっと声を出した。


 「でかい!! 街ってこんなにでかいの!?」


 「これでも中くらいだよ」


 しおりさんが言った。軽く。当たり前の様に。


 「中くらい!?」


 「王都はこの三倍はあるかな」


 「三倍」


 しおりさんの足取りが、変わっていた。森の中とは、違う歩き方。足音に、迷いが、ない。振り返る気配も、なかった。街の歩き方を知っている人の、歩き方だった。どうして、こんなに、街に詳しいんだろう。ふと、そう思ったけれど、すぐに、どうでもよくなった。街は、しおりさんの、庭だった。


   *


 街に入った。石畳の道。両側に建物が並んでいる。店がある。人がいる。声がする。森の中では聞こえなかった音が、たくさんある。人と、人と、人の間を、縫って歩いた。


 誰かと、すれ違った。匂いが、一瞬だけ、引っかかった。甘い匂い。花の匂いだった。でも、知らない花。蜜みたいに、とろりと甘い。その甘さの、奥の方に、乾いた、冷たいものが、混じっている。花なのに、どこか、花じゃない。嗅いだことのない、匂いだった。


 それを、鼻より先に、体が、拾った。仲間の匂いとは、違った。しおりさんの、汗と鉄。ことはの、花と土。みいさんの、薬草。あの匂いは、ばらばらのまま、隣にいる。ほどけたまま、温かい。でも、この匂いは、違った。一輪の花なのに、その茎が、見えない糸で、どこかへ、きつく、繋がれている。そんな匂いだった。理由は、分からない。分からないのに、背筋が、一瞬だけ、こわばった。


 その奥に、同じ甘さが、まだ、隠れている気も、した。でも、薄すぎて、確かめられなかった。


 振り返った時には、甘い匂いは、もう、消えていた。何だったのか、確かめる間もなく、街の匂いの奔流に、飲み込まれていった。人が、多すぎた。掴めないものは、流すしかない。私は、それを、流した。忘れることにした。


 大きな何かが、横を通った。音が低い。地面が揺れた。みいさんが飛び上がった。


 「な、何ですか、今の!」


 「魔道自動車。荷物を運ぶやつ」


 しおりさんが振り返りもしなかった。


 「ま、魔道」


 「触らなければ大丈夫だよ。通りの端を歩いてれば、轢かれない」


 「轢かれ、ますか!?」


 みいさんがしおりさんの後ろに隠れた。ことはがチーの上から身を乗り出して、魔道自動車を見ていた。興味の音がした。息を吸う音。子供が珍しいものを見つけた時の、息。


 「あっちの通りは避けてね」


 しおりさんが言った。声だけ、急に低くなった。


 「柄が、悪いから」


 風向きが変わって、饐えた匂いが、そちらから流れてきた。すぐに、しおりさんが歩く向きを変えた。私たちごと、反対側へ、寄せる様に。


 「こっちは商店街。あっちは職人街」


 軽い声に、戻っていた。腕を振る音がした。指す方向が変わるたびに、声の向きも変わった。全部、知っている声だった。この街に来たことがあるのか、それとも街の構造を知っているだけなのか。たぶん、両方だった。


 「しおりん、何でも知ってるね」


 「まあね」


 しおりさんの声が、軽かった。森の中より、軽かった。嬉しそうだった。


 金属を叩く音が、遠くから響いてきた。職人街の方角だった。


 「しおりさん、あれ、何ですか」


 ことはが訊いた。


 「あれは酒場。昼間から開いてるところは、食事もできるよ」


 石の重なる、硬い足音の反響が、少し先から聞こえた。


 「あの、大きい建物」


 「教会。この国のやつ」


 しおりさんが言葉を切って、それから付け足した。


 「王国のとは、ちょっと違うけどね」


 「しおりさん、すごいです」


 みいさんが純粋に感心していた。しおりさんの声が、さらに弾んだ。三人に褒められて、しおりさんの足取りが速くなっていた。案内の声が大きくなっている。腕を振る音が大きくなっている。歩幅が広くなっている。森の中では、聞いたことのない声だった。いつも私たちを守るために張り詰めていた気配が、今は、得意げに、緩んでいる。


   *


 商店街を歩いた。みいさんが鍋を見つけた。金物屋の店先。新しい鍋が並んでいる。みいさんが立ち止まった。私も、あの鍋のことを、思った。粥を作った鍋。肉を煮た鍋。雨の夜に、水受けになった鍋。一ヶ月使い続けて、底が薄くなっている。取っ手が緩い。


 「鍋、新しいの、買っていいですか」


 みいさんが振り返った。


 「いいよ。むしろ買おう。あの鍋、もう限界だったでしょ」


 しおりさんが笑った。みいさんが嬉しそうに鍋を選び始めた。真剣だった。大きさを確かめて、重さを確かめて、底を指で叩いて。台所の人間の、手つきだった。粥しか作れなかった人が、今は、自分の鍋を、自分で、選んでいる。ことはが花屋の前で、立ち止まっていた。花の匂いが、幾種類も重なっている。森にはなかった匂いだった。ことはが一束買った。小さな花束。「白と黄色にした」と、ことはが言った。チーの前にしゃがんで、尻尾の枯れた花を外した。乾いた花びらが崩れて、散る音がした。あの、悔しさの一週間の間に、枯れていった花。ことはが、新しい花を編み込んだ。丁寧に。綺麗に。チーが尻尾を振った。新しい花が、揺れた。


 「かわいい」


 みいさんが言った。


 「でしょ」


 ことはが笑った。同じやりとりだった。森の中と、同じ。それが、嬉しかった。木を睨んでいた静かなことはは、もう、いない。みいさんが私の方を見た。


 「あ、さゆりさん。小枝、まだ付いてました」


 手が伸びてきた。髪に触れた。小さな、引っ張る感覚。抜かれた。あの小枝。ことはが刺した小枝。半日気づかなかった小枝。そのまま何日も、何週間も、刺さったままだった、小枝。


 「……ずっと、付いてたんですね」


 みいさんが小枝を持ったまま、困った様に笑う息をした。


 「……知ってました」


 「え、知ってた、んですか」


 「途中から」


 途中から、は、嘘だった。最初から、知っていた。抜かなかっただけだった。面倒だったから。そう、自分では思っていた。でも、本当は、たぶん、違った。ことはが静かだった一週間、あの小枝だけが、賑やかだった頃のことはの、痕跡だった。抜いたら、何かが、なくなる気がした。


   *


 酒場に入ったのは、夕方だった。しおりさんが「ご飯食べよう」と言って入った店は、大きかった。天井が高い。声が大きい。人が多い。テーブルがたくさんある。カウンターの向こうで、肉が焼けている匂い。みいさんが小さくなった。ことはが落ち着きなく首を回している気配がした。チーは店の外で待っている。大きすぎて、入れなかった。


 しおりさんの足が、急に止まった。木の板が、風でかたかたと鳴る音。壁に打ち付けられた、何かの掲示だと分かった。


 「……力比べ?」


 しおりさんが読み上げる声が、少しずつ、弾んでいった。「力比べ。腕相撲。賞金あり。今夜開催、だって」息を吸った。吐いた。吸った時に、胸が、膨らんだ。嬉しそうだった。


 「……しおりさん。……出るんですか」


 「出ていい?」


 聞いてきた。聞く必要が、なかった。もう決めている声だった。


 「……止められません」


 「止めないでしょ」


 「……はい」


 しおりさんが笑った。声を出して、笑った。森の中では、聞いたことがない笑い方だった。


 ご飯を食べた。肉だった。焼いた肉。みいさんの粥でも、みいさんのシチューでもない。知らない人が焼いた、知らない味の肉。しおりさんが酒を飲んでいた。「街に来たら、まず酒だよ」と言って。みいさんが「お酒」と呟いた。ことはが「私も飲みたい」と言って、しおりさんに「ダメ」と言われていた。


 力比べが始まった。テーブルが中央に運ばれる、重い音。椅子が、二つ、軋みながら引かれた。足音がいくつも重なって、列を作っていく。地面を踏む音が、重い。荒れた息遣い。鍛冶屋か、荷運びの匂いを纏った男たちの列だと、分かった。しおりさんが立ち上がった。列に並んだ。しおりさんが並んだ途端、周りの声が止まった。一瞬だけ。それから、含み笑いの気配が混じった。場違いだったんだと思う。


 しおりさんの番が来た。相手が椅子に座る音は、太い体が軋ませる音だった。手を握る音。肘をつく、鈍い音。テーブルが、ぎしりと鳴った。


 静かだった。誰も、声を出さなかった。木の軋む音だけが、続いていた。長い、長い静寂。


 叩きつけられる音が、した。


 一瞬だった。テーブルが、大きく鳴った。相手の息が、詰まった呻きに変わった。しおりさんの側からは、何の音もしなかった。軋みも、力む息も、なかった。


 「え、もう終わり?」


 しおりさんが言った。相手が息を呑んだ。周りの声も、一斉に止まった。次。また、同じ音。木が鳴って、相手の息が詰まって、静まり返る。次。また同じ。次。次。次。どの相手も、テーブルの音と息の詰まる音だけを残して、あっという間に終わっていった。身体強化を使っているのかは、分からなかった。使っていないかもしれない。しおりさんの身体能力は、能力を使わなくても、常人の上にある。酒場が騒ぎ始めた。「あの女、何者だ」「全員一瞬じゃないか」「ただ者じゃないぞ」


 しおりさんが賞金を受け取った。笑っていた。声が、完全にドヤ顔だった。みいさんのドヤ顔より、ことはのドヤ顔より、ずっと堂々としていた。大人の、ドヤ顔だった。隠す気が、なかった。爪を隠す鷹の話を、いつか主人様がした。でも、この家族は、みんな、爪を隠すのが、下手だった。私も。みいさんも。ことはも。そして、しおりさんも。


 「さゆり、見た?」


 「……見てました」


 「どうだった?」


 「……強いのは、知ってます」


 「褒めて」


 「……強かったです」


 「もっと」


 「……とても」


 しおりさんが笑った。満足そうだった。ことはが「しおりん調子乗りすぎ」と言った。しおりさんが「今日くらいいいでしょ」と言った。みいさんが「かっこよかった、です」と言った。しおりさんが、さらにドヤ顔になった。


   *


 宿屋を取った。賞金で。いい宿屋。ベッドがある。布団がある。枕がある。一ヶ月ぶりだった。みいさんがベッドに座って、動かなくなった。


 「……ベッド」


 「ベッドだよ」


 「……ベッド、です」


 みいさんの声が震えていた。たぶん、涙だった。一ヶ月、地面と木の穴で寝ていた人間の、涙だった。ことはがベッドに飛び込んだ。チーも飛び込んだ。ベッドが軋んだ。


 「ふかふかーーー!!」


 しおりさんが酒を持ってきていた。部屋で飲むらしい。


 「今日はお祝いだよ。一ヶ月、よく歩いた」


 一ヶ月。森を歩いた一ヶ月。粥を食べた一ヶ月。弓を覚えた一ヶ月。雨に濡れた一ヶ月。トラップを仕掛けた一ヶ月。探し物をした一ヶ月。木の穴で眠った一ヶ月。全部、この四人と一匹で、やってきた。あの家が燃えて、二人と一匹で草原に立ち尽くしていた頃の私には、想像もできなかった、賑やかな一ヶ月だった。


 「乾杯」


 しおりさんが言った。器を持った。みいさんとことはは、水だった。私も、水にした。しおりさんだけ、酒。


 「乾杯」


 みいさんが小さく言った。


 「かんぱーい!!」


 ことはが叫んだ。


 「……乾杯」


 私が言った。しおりさんが飲んだ。一口。二口。三口。息に、酒の匂いが混じり始めた。


 「いやー、街はいいね。飯がうまいし、酒があるし、ベッドがあるし」


 「しおりん、顔赤いよ」


 「赤くない」


 「赤いです」


 「赤くないって」


 赤かった。しおりさんが酒を飲みながら、ずっと喋っていた。街の話。昔の話。酒の種類の話。宿屋の選び方の話。しおりさんの声が、明るかった。森の中より、明るかった。森の一ヶ月で、しおりさんは、ずっと先頭を歩いていた。道を決めて、村で交渉して、みいさんに弓を教えて、ことはを叱って、全員の面倒を見て。ずっと、大人を、やっていた。街に着いて、しおりさんは、少しだけ、自分に戻っている気がした。酒を飲んで、自慢をして、褒められて。大人をやめたわけじゃない。でも、力を、抜いている。


   *


 翌朝。宿屋の主人が言った。


 「昨日、力比べで全勝した人って、あんたらのところの?」


 しおりさんが「あー、はい」と言った。二日酔いの声だった。


 「もう街中で噂になってるよ。力自慢の女がいるってね。酒場の連中が騒いでるらしい。『あの女には勝てない』って」


 しおりさんの声が、少し固くなった。一瞬だけ。すぐに、いつもの明るさに戻った。


 「目立ちすぎたかな」


 一ヶ月、森の中を、隠れる様に歩いてきた。小さな村を転々として、名前も出さず、静かに、旅をしてきた。それなのに、街に着いた途端、一晩で、バレた。しおりさんらしかった。殴られるより先に殴れば勝ちなのだろう、と、しおりさんは考えている。たぶん。先に動く。先に決める。先に笑う。それが、しおりさんの旅の仕方だった。でも、その先手が、どこかの誰かの耳に入ることまでは、考えていなかったのだろう。後のことは、後で考える。この人は、いつも、そう。


 しおりさんが窓を開けた。街の音が、一気に流れ込んでくる。人が動き始めている。匂いが変わっている。朝の匂い。パンを焼く匂い。あの家の朝を、少しだけ、思い出す匂い。


 「まあ、いっか」


 しおりさんが言った。軽く。いつもの声で。困ったことは、いつも、後回し。悩む前に、笑ってしまう。それが、この人だった。だから私も、つられて、少しだけ、口の端を緩めた。しおりさんが振り返って、器に残った水を飲み干して、それから、二日酔いの頭を軽く振って、まだ行き先も決めていないくせに、いつもの様に、迷いのない足取りで、扉の方へ、歩き出した。


 「次、行こう」

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