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No Look Jamming〜私は見る事ができない〜  作者: 船木
閑話休題
29/35

Everything Looks Like a Target ——弓を持つみい、全てが的に見える

 ことはが、暇を持て余していた。


 旅を始めて十日目くらいだったと思う。森の中は、日数の感覚が曖昧になる。木と、土と、空が、同じ顔をしている。私にとっても、それは同じだった。匂いの変わり方が緩やかで、昨日と今日の境目が分からなくなる。


 「まだ森ですね」


 みいさんが言った。何回目か、分からない。みいさんは毎朝、これを言う。言うたびに、少しずつ、語尾が沈んでいく。ことはがチーの背中で、転がっていた。仰向けで。空を見ていた。見飽きたのだろう。


 「ひまーーー」


 しおりさんが振り返った。


 「ことは、落ちるよ」


 「落ちない。チーうまいもん」


 チーが「任せろ」と言わんばかりに、尻尾を振った。ことはが起き上がった。起き上がって、何かを考え始める気配がした。ことはがこの気配を出す時は、だいたい、ろくなことが起きない。あの村を守った夜に、私はこの気配を知った。あの時は、村を守るための策だった。今回は、暇つぶしのための策だった。同じ気配で、方向性だけが、まるで違う。


 最初の被害者は、みいさんだった。昼の休憩で、みいさんが荷物を開けた。穀物の袋を出した。袋の中から、木の実が、ごろごろ出てきた。


 「な、何ですか、これ。入れてないのに」


 ことはが口笛を吹いていた。口笛が、下手だった。


 「ことはちゃん?」


 「知らない」


 「あの、木の実」


 「知らないって」


 知っていた。全員、知っていた。次の被害者は、チーだった。朝起きたら、チーの尻尾に、花が編み込まれていた。白い、小さな花。丁寧に。綺麗に。明らかに、時間をかけている。チーは気づいていなかった。尻尾を振るたびに、花が揺れる。みいさんが「かわいい」と言った。ことはが「でしょ」と言った。隠す気が、なかった。しおりさんが「ことは」と言った。ことはが「チーが喜んでる」と言った。チーは、喜んでいた。しおりさんが「……まあいいか」と言った。


 三番目の被害者は、私だった。気づかなかった。半日、気づかなかった。みいさんが昼の休憩で私の方を見て、固まった。


 「あ、さゆりさん、頭に」


 「……何が」


 「え、えっと、小枝が」


 頭に手をやった。小枝が、刺さっていた。いつからかは、分からない。朝からかもしれない。目を閉じて歩いているから、視覚で気づくことが、ない。私の世界は、音と匂いでできている。頭の上の小枝は、音も立てず、匂いもしない。だから、半日、私の頭の上で静かに旅をしていた。ことはがチーの背中で転がっていた。笑いを堪えている体が、揺れていた。


 「……ことは」


 「半日気づかないの、面白すぎる」


 面白くなかった。でも、抜かなかった。面倒だったから。みいさんが「あの、抜きましょうか」と言ったが、「いいです」と答えた。どうせ、また刺される。しおりさんが「ことは、いい加減にしなさい」と言った。声に、力がなかった。笑いを、堪えていた。


 「だって暇なんだもん」


 「暇でも、人の頭に枝を刺すな」


 「みいみいの荷物に木の実入れるのは?」


 「それもダメ」


 「チーの花は?」


 「……あれは可愛かったから、許す」


 「基準がおかしいよ、しおりん」


 基準は、おかしかった。


   *


 ことはのイタズラがエスカレートしたのは、その翌日だった。


 「ご飯、どうにかしたい」


 ことはが言った。夕方。みいさんが鍋の前に座っている。今日も、鍋の前にいた。穀物を出そうとしている。粥を作ろうとしている。干し肉はあった。あの村でもらった干し肉。みいさんがそれを粥に入れた。肉粥になった。粥だった。おいしかったが、粥だった。ことはが地面を見ていた。木の枝で、何かを描いていた。


 「ことは、何描いてるの」


 しおりさんが覗き込んだ。


 「トラップ。獲物を捕まえる。罠。お兄ちゃんが教えてくれた」


 ことはの気配が、鋭くなった。シンクロニシティの時と、同じ気配。策を練る時の気配。ただし今回の目的は、晩ご飯だった。


 「ここに紐を張って、ここに重しを置いて、獲物が通ったら足が引っかかって」


 「ことは。誰が引っかかる想定?」


 「みいみい」


 「え、私、ですか!?」


 みいさんが鍋を持ったまま、振り返った。


 「違う違う。みいみいが通りそうな高さに張ると、動物もちょうど引っかかるかなって」


 「私、基準ですか!?」


 「みいみいと森の動物、だいたい同じ警戒心でしょ」


 「え、それ、褒めてないですよね」


 褒めていなかった。しおりさんが「やってみなさい」と言った。条件付きで。人に向けない。寝る前に必ず場所を教える。私が確認する。ことはが「うい」と答えた。ことはが仕掛けに行った。みいさんが一緒に行った。なぜか、みいさんが、一緒に行った。「え、あの、手伝います」と言って。ことはが「じゃあ紐持って」と言って。二人で森の中に、消えていった。しおりさんと二人になった。焚き火の前。


 「……大丈夫ですか」


 「何が?」


 「……トラップ」


 しおりさんが笑った。


 「ことはの頭は信用してるよ。問題は」


 言いかけて、やめた。問題は、すぐに分かった。


   *


 翌朝。悲鳴が聞こえた。しおりさんの、悲鳴だった。走った。音の方に。みいさんも走った。ことはが走った。チーが走った。しおりさんが転がっていた。地面に。仰向けで。足に紐が絡まっていた。トラップだった。ことはのトラップに、しおりさんが、引っかかっていた。


 しおりさんが地面に転がったまま、空を見ていた。


 「え、しおりん!? みいみいが引っかかるはずだったのに!」


 「え、私、ですか!?」


 みいさんが、二重にショックを受けていた。しおりさんが起き上がった。土を払う音がした。髪から葉を取る音も。足首の紐をほどく音が続いた。


 「……ことは」


 低い声だった。ことはが一歩下がった。チーの後ろに隠れた。チーの尻尾の花が、揺れた。


 「あの、その、朝の散歩ルート変えるって、聞いてなくて」


 「場所を教えるって、約束したよね」


 「教えた! 寝る前に!」


 「私が確認するって、言ったよね」


 「……暗くて、よく見えなかったかも」


 「ことは」


 「ごめんなさい」


 速かった。謝罪が、速かった。生存本能だった。しおりさんが転んだのを、私は初めて聞いた。いや、正しくは、転がる音を聞いた。身体強化で岩を砕く人が、細い紐に足を取られて、転がった。組手で主人様にすら食らいついていくあの人が、ことはの張った一本の紐に、あっけなく、ひっくり返った。


 怒られた。ちゃんと、怒られた。でも最後に、しおりさんが言った。


 「……トラップ自体は、悪くなかった」


 ことはが顔を上げた気配がした。


 「仕掛け方も、紐の張り方も、高さも。ちゃんと考えてある。ただ、場所が悪い。獣道じゃなくて、人が通る道に仕掛けてた」


 「……そう、なんだ」


 「獲物が通る道を見極めて。足跡とか、糞とか、枝の折れ方とか。観察して、それから仕掛けなさい」


 ことはの声が、変わった。イタズラの声から、学ぶ声に。


 「やっていい?」


 「やりなさい。ただし今度こそ場所を」


 「教える。絶対教える。しおりんは、二度と転ばせない」


 「……一度目も、転ばせないでほしかったけどね」


   *


 ことはのトラップが獲物を捕らえたのは、その二日後だった。兎だった。みいさんが「え、捕れた。捕れました!」と叫んだ。森に、声が響いた。ことはがガッツポーズをした。チーの上で。チーも嬉しそうだった。問題は、誰も兎の捌き方を知らなかったことだった。しおりさんが捌いた。ナイフの使い方が、手慣れていた。野営も、火の起こし方も、獣の捌き方も、この人は何でも知っている。なんで、こんなに、手慣れているんだろう。まるで、この旅を、何度も生き直してきた様に。聞かなかった。しおりさんはいつも、私たちの一歩先で、当たり前みたいに全部をこなしていた。みいさんの気配が、横にずっと張り付いていた。呼吸を忘れたみたいに静かで、真剣さが伝わってきた。衛生兵志望らしい、そんな気配だった。


 粥を作り続けたあの鍋に、初めて肉が入った。みいさんが鍋の前に座った。穀物は、入れなかった。肉と、草と、塩と、水。粥じゃなかった。汁だった。肉の汁だった。匂いが違った。穀物の匂いじゃない。肉と脂と香草の匂いが、混ざっていた。鍋から立ち上る湯気の匂いも、今までよりずっと濃かった。器に注いだ。飲んだ。


 「……おいしい」


 ことはが言った。声が、違った。


 「おいしい!! みいみい!! 毎日これがいい!!」


 みいさんの息が、弾んだ。声が震えていた。


 「え、本当ですか」


 「本当!! 粥より全然いい!!」


 「ことは」


 しおりさんが言った。


 「事実だよ、しおりん!!」


 事実だった。しおりさんも、二杯目をよそっていた。みいさんが「よかった、よかった」と繰り返していた。粥じゃないものが、作れた。初めて。鍋は、同じ。火も、同じ。でも、中身が、違う。それだけで、みいさんの世界が、少し、広がった。あの狭い台所で、一人分の粥だけを作ってきた人の世界に、今、肉の匂いという新しい部屋が、一つ、増えた。


 「捕まえればいいんだ」


 ことはが言った。汁を飲みながら。


 「もっと捕まえよう。毎日肉が食べたい」


 「毎日は無理かも」


 しおりさんが言った。


 「じゃあ効率上げる。トラップ増やす。場所も変える。獣道のパターン、もうちょっと調べる」


 ことはの頭が、回り始めていた。イタズラのエネルギーが、そっくりそのまま、食糧調達に、向いていた。しおりさんの気配が、みいさんの方へ向いた。


 「みい。弓、やってみない?」


 「え、弓」


 「トラップだけじゃ安定しない。弓があれば、見つけた時にすぐ獲れる」


 「え、でも、弓、やったことないです」


 「知ってる。でもみいの目なら、たぶん、すぐ覚える」


 みいさんの目。動体視力。周辺視野。反射神経。リンデンフォードで木の実を空中で掴んだ目。戦闘で、敵の動きを読んだ目。あの目が、弓に向いていないわけが、なかった。みいさんが「え、あ」と言葉を探していた。


 「やってみたい、です」


 小さい声だった。でも、はっきり、聞こえた。


   *


 しおりさんが弓を教えた。村で買った、安い弓。旅の途中、みいさんがしおりさんの後を追いかけて走っていった日があった。あの時持っていた、細長い何か。あれが、弓だった。しおりさんが「これ、使えるかも」と言って、買っていた。この人はいつも、まだ誰も気づいていないうちから、先のことを静かに準備している。構え方。引き方。呼吸。狙い方。しおりさんが手本を見せた。的は、木の幹。距離は、近い。みいさんが弓を構えた。手が震えていた。放った。外れた。大きく外れた。矢が明後日の方向に飛んでいった。ことはが「危なっ」と叫んだ。チーが伏せた。


 「ごめんなさい、ごめんなさい」


 みいさんが弓を持ったまま、縮んだ。


 「大丈夫。最初はそんなもんだよ」


 しおりさんが拾ってきた。矢を。笑っていた。二射目。外れた。三射目。外れた。四射目。少し近づいた。五射目。


 当たった。


 「え、当たった。当たりました!」


 みいさんが跳ねた。弓を持ったまま、跳ねた。


 「五射目で!?」


 しおりさんの声が、変だった。驚いている。本気で、驚いている。


 「え、あ、まぐれです」


 「もう一回」


 「え、はい」


 六射目。当たった。七射目。当たった。八射目。外れた。九射目。当たった。十射目。当たった。しおりさんが黙った。腕を組んで、黙った。みいさんが不安そうに振り返った。


 「あ、あの、下手、ですか」


 「……逆。上手すぎる。十射で七中って何。初日で。初めて弓を持って。何」


 しおりさんの声が、平坦だった。でも、怒っているわけじゃない。引いていた。教えた側が、引いていた。


 「私が今まで見てきた弓兵で、初日にそんな当たる奴、見たことない」


 「え、あ、すみません」


 「謝ることじゃない。……褒めてる」


 「え、褒め」


 「褒めてる」


 みいさんの弓の才能は、異常だった。標的の動きが、見えている。風も、距離も、みいさんの体は最初から、分かっているみたいだった。三日で近距離は外さなくなった。五日で中距離が安定した。一週間で、走っている兎に、当てた。


   *


 みいさんが、変わった。弓を持ってから、みいさんが、変わった。朝起きると弓を持っている。歩いている時も弓を持っている。休憩中も弓を持っている。寝る時だけ、手放す。木の実が高い枝にあった。


 「弓で落とします!」


 しおりさんが「登れば」と言いかけた。


 「弓で!」


 矢が飛んだ。枝が折れた。木の実が落ちてきた。三個。正確に、三個。


 「……弓じゃなくてよくない?」


 ことはが言った。


 「弓がいいんです!」


 みいさんの声が、弾んでいた。暗くても、分かった。獲物が大量に獲れる様になった。兎。鳥。たまに、鹿。みいさんの弓とことはのトラップで、食糧問題は、完全に解決した。鍋は毎日、違う匂いを出す様になった。粥の日もあったが、肉が入った。野菜が入った。木の実が入った。みいさんのレパートリーが、増えていた。余った獲物を村で売った。お金になった。


 みいさんの方へ、気配を向けた。輪郭がぼやけていて、細かい表情までは分からない。でも、体の向きで、分かった。胸を張っている。声にも、いつもと違う張りがあった。たぶん、ドヤ顔をしているんだと思う。あのみいさんが。声を殺して生きてきたみいさんが。肩を縮めて歩いてきたみいさんが。弓を肩にかけて、胸を張って、得意げな声を、上げていた。


 「今日も、三羽です!」


 「みいみい、昨日も三羽だったよ」


 「明日は、四羽狙います!」


 「競争じゃないんだけど」


 「あ、でも、弓、楽しいです」


 楽しそうだった。声の弾みで、それが分かった。粥の時と、同じだった。褒められた。当たった。役に立った。その感覚から、離れられずにいた。木の実も。鳥も。兎も。みいさんの世界は今、弓を中心に、回っていた。ああ、これは、あの日の私と同じだ、と思った。猫を見つけて、褒められて、「私、やれます」と二回言った、あの日の私。そして、粥を褒められて上ずった、あの日のみいさん。私たちは、同じ形をしていた。


 粥と違うのは、成果が出ていることだった。みいさんの弓は、実際に獲物を獲っていた。鍋の中身を、変えていた。だから、誰も止めなかった。止める理由が、なかった。しおりさんだけが、時々、黙り込んでいた。才能がありすぎることの怖さを、あの人は知っている。一つのことに夢中になりすぎる、その危うさを。でも、今は言わない。みいさんが嬉しそうだから。みいさんが初めて、自分の力で、何かを掴んでいるから。言わなかった。今は。


 みいさんが夕食の兎を掲げて戻ってきた。ことはが「おー」と拍手した。チーが尻尾を振った。尻尾の花が、少し、しおれていた。


 「今日はシチューにします!」


 「シチュー!? みいみい、シチュー作れるの!?」


 「しおりさんに、教わりました!」


 「いつの間に」


 「昨日!」


 みいさんが鍋の前に座った。あの鍋。粥を作り続けた鍋。今は、肉と、野菜と、しおりさんに教わった香辛料が、入っている。粥しか知らなかった世界が、少しずつ、広がっている。弓で。鍋で。みいさんの手で。おいしかった。本当に、おいしかった。粥じゃないものが、こんなに、おいしい。


 「おいしい!!」


 ことはが叫んだ。


 「おいしいです」


 私が言った。みいさんが「よかった」と言った。同じ言葉だった。粥の時と。でも、少しだけ、違った。粥の時のみいさんは、怯える様に「よかった」と言った。今のみいさんは、胸を張って「よかった」と言った。弓を覚えたみいさんは、少しだけ、大きくなっていた。私もいつか、そんなふうに胸を張って何かを言える日が、来るのだろうか。来るといい、と肉の匂いのする鍋の前で、そっと思った。

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