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No Look Jamming〜私は見る事ができない〜  作者: 船木
ツキナミの生活
19/27

デッドレコニングの夜を行く 3

 足が止まった。

 チーも止まった。ことはが何かを言う前に、チーは自分で足を揃えていた。

「……お姉ちゃん」

 ことはが後ろから、小さな声で言った。

「なんか、焦げ臭い」

「うん」

 ブローチを握りしめた。

 耳を澄ませる。

 パチ、パチパチ。乾いた木の皮がはじける音が、風に乗って届く。その下で、低い「ごうっ」という唸りが続いていた。重い木が折れる音。何かが崩れ落ちる音。それから、布が燃えるときの薄くて速い音。家畜が鳴いていた。遠くで、混乱したように何度も鳴いていた。

「……東の方から」

 喉が乾いていた。

「さっきまで”村がある”って言ってた方向から。何かが大きく燃えてます」

 次の瞬間、しおりさんがハルバードを地面に置いた。

 それから、何かが木に触れる気配がして、そのまま頭上へ消えた。

 歩数を数える間もなかった。枝が一度だけ大きく軋んだと思ったら、もう音がしなくなっていた。

「……えっ」

 ことはが、小さく息を呑んだ。

 私もチーのたてがみを握りしめた。

 上の方で、しばらく何も聞こえなかった。東から届く音だけが、少しずつ厚くなっていった。爆ぜる音。燃え移る音。何かが倒れる音。風が向きを変えるたびに、匂いが濃くなったり薄くなったりした。焼けた布の匂い。その底に、名前をつけたくない匂いが沈んでいた。

「……お兄ちゃん、いるかな」

 ことはが、消え入りそうな声で言った。

 答えられなかった。

 頭上で、枝を踏み変える音がした。降りてくる気配が落ちてくる。さっきと同じくらい速い。でも、音の立て方がさっきより荒かった。

 どん、と土を踏む音。

「ただいま」

 呼吸が少し乱れていた。声だけを、いつもの場所に戻してきた感じがした。額から汗が顎を伝って落ちる音が、すぐ近くで聞こえた。

「どうでしたか」

 自分の声が掠れていた。

「村の端っこがいくつか燃えてる」

 言葉を選びながら、ゆっくり告げられる。

「真ん中から一気に、じゃない。家ごと、あちこちに火が点いてる感じ」

 ことはが息を呑んだ。

「人は……」

「いたよ」

 短い返事。

「走ってる人も、倒れてる人もいた。それから、兵隊。あと、ローブを着た魔術師」

 鼻の奥が、じん、と痛くなった。さっきの匂いが、まだ残っている。

「魔術師の奴らが、村に火を放ってた」

 その一言の途中で、酸っぱい匂いがした。

 全部は、言っていない。

 しおりさんが先に続けた。

「今の私たちがあそこに向かうのは、無理だよ。私たちじゃどうにもできない」

 酸っぱい匂いとは違う。

 土の底みたいな匂いだった。

 ことはが、唇を噛む音を立てた。

 しばらく、何も言わなかった。

 何かを考えている。ことはが考え込むときの、独特の静けさだった。呼吸が浅くなる。チーの毛を指でつまんで、また離す。つまんで、また離す。

 この子なら、できてしまう。それが怖かった。

 でも、ことはは黙ったまま、チーの毛から手を離した。

「……お兄ちゃんに怒られるやつだ」

 それだけだった。

 それだけで、考えるのをやめた。

「じゃあ、どうするの」

 ことはが顔を上げて、しおりさんに向かって言った。

「東は、一回あきらめる」

 しおりさんが言った。

「今の鬼ごっこのフィールドは、南。崖と川の方に変える」

 ハルバードの石突きが地面に当たる音がした。先端で、土の上に線を引いている。

「ここが今いる場所。東が燃えてる方。南に少し行くと、崖と川がある。あっちはまだ静か」

 耳を澄ませた。南の方からは、水音以外の嫌な気配がしない。兵隊の金具の音も、ローブの擦れる音も、今は届いてこなかった。

「東の方が人の気配が多いです。金属の音が、東側は多い。南は自然音が多いですけど、ところどころ……鳥や虫が黙ってる場所があります」

「音の穴か」

 しおりさんが短く言った。

「崖の方は地形が荒いから、そういう場所が出る。でも人の気配じゃなければ、まだ動ける」

「崖って、危なくないですか」

「危ない。でも、崖は避けられる。あっちは、来る」

 ことはが、チーの首に手を添えながら言った。

「崖と川のとこ、お兄ちゃんと遊んだことある。川の下の方に浅くなってる場所があって、晴れてれば渡れる。兵隊もローブの人たちも、あのへんはあんまり来たがらないって言ってた」

「それ、助かる情報」

 しおりさんの声が、少しだけ変わった。

「崖は、ことはの地形知識とさゆりの耳があれば、なんとかなる」

 私はうなずいた。

 東から届く音が、背中越しに追いかけてくる気がした。燃える音。崩れる音。家畜がまだ鳴いていた。さっきより遠くなっているのに、さっきより大きく聞こえた。

 でも、今は振り返らない。

 服の内側で、ブローチの金属が肌に触れた。冷たくはなかった。体温がうつっている。

 主人様の声が、頭の奥で鳴った。

 嫌なことからは逃げていいんだよ。怖かったら助けてって言っていいんだよ。

 あの声の温度だけが、今もちゃんと残っていた。

「チー、南に行くよ」

 しおりさんが号令をかけた。

 チーの向きが変わる。東の火の音を背中で受ける向きに。崖と川の方へ。まだ名前もない音の方へ。

 一歩、踏み出した。

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