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No Look Jamming〜私は見る事ができない〜  作者: 船木一底
ツキナミの生活
19/22

サウンドマッピング1

 誰かの寝息と、木の根が軋む小さな音と、自分の心臓の音が、全部ごちゃまぜになって耳に入ってきた。

 目を開けても、世界はいつも通り真っ暗だ。それでも、さっきまでとは違うとすぐ分かる。頭の奥を締めつけていた痛みが、少しだけましになっている。


「……起きた?」


 耳元で、ことはの小さな声がした。すぐ隣で寝転んでいるのが分かる距離だ。


「うん。今、起きた」


 返事をすると、ことはがほっと息を吐く気配がした。


「じゃあ、交代の時間だね。お姉ちゃん、ちゃんと寝れた?」


「途中で一回起きたけど……まあ、大丈夫」


 身体を起こすと、藁と布のこすれる音がする。秘密基地の中の空気はまだひんやりしていて、土の冷たさが腰からじわじわ上がってきた。


「しおりさんは?」


 私が尋ねると、ことはが囁く。


「入口のとこ。さっきまで外の音聞いてたけど、もうすぐ明け方だから、そろそろお姉ちゃんの出番だって」


 秘密基地の入口の方に意識を向けると、そこだけ少し空気が動いているのが分かった。根と土の隙間から外気が入り込んで、かすかに湿った風になっている。


「……交代、行ってくる」


「いってらっしゃい」


 ことはが、いつもの調子で言う。その語尾に、もう震えはなかった。


 私は壁づたいに手を伸ばして立ち上がり、ゆっくりと入口の方へ歩いた。木の根が頭上すれすれを通っているのを指先で確かめながら、慎重に。


「おはよ、さゆり」


 外との境目あたりで、しおりさんの声がした。根の隙間から差し込む風音に混じって、低くて落ち着いた声。いつもと少し違う、何かを考えているような声。


「おはようございます、しおりさん」


「頭はどう?」


「まだちょっと重いですけど、さっきよりはましです」


「なら、合格」


 軽く笑う気配がする。


「外の音、少しだけ一緒に聞いてみる?」


「……うん」


 しおりさんに手を握ってもらい、根の間をくぐって、外に出る。


 森の空気は、夜の冷たさをわずかに残しながら、どこか薄くなり始めていた。遠くで鳥が一羽だけ鳴き、また静かになる。


「ここに座って」


 しおりさんが、私の手をそっと引いてくれる。

 私はその優しい誘導に身を任せ、根の出っ張りに腰を下ろすと、背中にひんやりした幹の感触が当たった。


「じゃ、ご挨拶」


 しおりさんが、少しふざけた声で言う。


「ここから先は、さゆり先生の“サウンドマッピング”の時間です」


「サウンド……何ですかそれ?」


「ほら、耳で地図作るやつ。昨日、逃げてる時にやってたじゃん!」


「あれめちゃくちゃ助かったんだよね!」


 先ほどまでの落ち着いた声のトーンとは打って変わって、いつも通りの——そう、いつも通りのしおりさんの声だった。


 私は思わず笑ってしまった。


「そんなかっこいい名前、付けた覚えないですよ」


「今つけたから万事オッケー!」


 しおりさんが、いたずらっぽく言う。


「じゃ、とりあえず、いつものみたいに……今までのように、周りの声を聞いてみて」


「……分かりました」


 私は目を閉じ、胸元のブローチにそっと指を添えた。


 安心する。心の底から安心する。

 主人様の歩く時の音、私を撫でる時の腕を動かす音、こんな私を優しく褒めてくれる時の音——それが脳内にフラッシュバックする。


 「ルック」しなくても分かる。私の大切な恩人は、大好きな人は、今は遠く離れていても近くにいる。


 自分の耳に、周囲の音に、この森の、私の大好きなこの場所の声を探した。


 秘密基地の中から、藁が擦れて、布がすれる、ことはのたてる小さな寝返りの音。チーの鼻息。あくびする気配。


 少し外側。意識を少しずつ外側に移していく。


 湿った土の中を、小さな虫が一生懸命生きる声。木の幹を登る小動物たちの、いつもの生活音。


 もう少し遠く。もう少し遠くの声を聞きたい。


 太い幹を渡る風の声。葉の裏を撫でる悪戯っ子な風の声。朝露が滴る水の声。鳥が一羽、二羽、短く挨拶をするように鳴いて、すぐに飛び立つ。羽音の向きで、飛んで行った方向まで分かる。


 さらに向こう。あと少し、あと少しだけ。


 ——かすかに、金属が擦れる音。嫌な音。


 私の居場所に似つかわしくない、ふさわしくない、とてもとても嫌な音。

 鎧なのか、剣の鞘なのか、それとももっと違うものなのか。私には見当もつかない。


 でも一つだけ確かに言えることがある。


 これは異物の音だ。

 異音だ。


 足音はまだ遠くて、土の震えまでは届かない。でも、嫌というほど存在感を発している。分かりたくないのに、「どこにいるのか」という情報だけが、勝手に頭の中に入り込んでくる。


「……南の方に、三人か四人くらい。何かが歩いてます。嫌な音が……鉄と鉄がぶつかる嫌な音がします」


 私は、ゆっくりと口を開いた。


「真っ直ぐこっちに向かってるんじゃなくて……森の外側に沿って、ぐるっと回ってる感じです」


「なるほどね。なら巡回してるのかも」


 しおりさんが、小さく呟く。


「西は?」


「西は、風と鳥だけ。大きい足音は……今のところ、ないです」


「さっきのバケモンは?」


 その問いに、私は耳をさらに澄ませた。


 ……あった。


 すごく遠くで、何か重いものが、時々、土を叩いている音。

 でも、そのリズムは不規則で、さっきよりもずっと弱い。


「南西の方に、まだいる感じがします」


 私は言った。


「でも、かなり遠い。昨日の落とし穴の近くから、あんまり動けてないみたいです。たまに暴れてるけど……土を踏む場所はほとんど変わってない」


「よし」


 しおりさんの声に、ほんの少しだけ緊張が解ける。


「じゃあ、今日の鬼ごっこのルール決めようか」


「鬼ごっこ……? ルール……?」


「うん」


 しおりさんが、指を一本立てた気配がする。


「ルールその一。兵隊とバケモンには、絶対見つからない。戦わない」


「うん」


「ルールその二。三人とも無傷で森を抜ける」


「……はぁ……?」


「できるだけ。かすり傷くらいは許す」


 少し笑いながら続ける。


「ルールその三。ついでに、変な奴らをちょっとだけ困らせる」


 その言い方に、ことはっぽさを感じて、私はくすっとした。


「それ、ことはが聞いたら喜ぶやつですね」


「でしょ?」


 しおりさんも笑う。


「今日の鬼ごっこは、そういうルールで」


「分かりました」


 胸の奥に、少しだけ誇らしいものが灯った。


「そろそろ、ことはも起こそうか」


 しおりさんが立ち上がる気配を見せる。


「朝ごはんと、脱出ルート会議しないと」


「うん」


 私はもう一度、秘密基地の中へ戻った。


「ことは、起きて」


 肩を揺らすと、ことはは「んー……」と唸ってから、布から顔を出した。


「またまたおはよ、お姉ちゃん……って、あ、もう朝?」


「寝ぼけてるの? 朝というにはまだ薄暗いけど、もう朝だよ」


 入口側から、しおりさんの声がする。


「ことは! これから鬼ごっこの時間だよ」


「鬼ごっこするの!?」


 ことはが勢いよく布から飛び出した。「鬼ごっこ」というワンワードで、完全に寝ぼけ眼も吹っ飛んだようだ。


「今日のルールは?」


「それはしおりさんが決めてくれたよ」


 私は、さっき決めた三つのルールを簡単に繰り返した。


「三つ目……うーん……」


 ことはは少し不安そうに、悩んだ顔をしていた。


 昨日あれだけ派手に爆発させておいてどうかと思うけど、昨日は逃げるのに夢中だった。

 でも今は違う。


 近づこうとしなければ近づかないで済む。

 会わない選択肢も取れるのに、しおりさんはあえて“相手”に会いに行こうと、“敵対行動”とも取れることをしようとしている。


 今になって思えば、少し恐ろしい行動に感じられてきた。


 私とことはが、少し曇った顔をしているのを察したのか、しおりさんは鼻を鳴らし、優しい声で囁いた。


「じゃあ、それに追加で——ルールその四。師匠に怒られない程度にする」


「それ、一番難しいやつじゃん」


 ことはは反射的に突っ込んだ。


「でも、一番大切でしょ?」


「まあ、そうだけど」


「うん。じゃ、それで決まり」


 しおりさんが、ぱんっと手を叩く。


「さゆりはサウンドマッピングであいつらの位置を確認・報告、ことははルートと罠の係、私は何かあった時に動けるように遊撃係。うん、いつも通りだね!」


 からからと、明るい笑い声が秘密基地に転がった。


「そしてそのまま森を抜けましょう! とりあえずあの得体の知れない奴らがここらへんをウロウロしてると、夢見が悪いからね!」


「……」


 ことはは、まだ何かを悩んでいる音を立てていた。


「それにさ」


 しおりさんが、少しだけ肩をすくめる気配を見せる。


「私たちじゃ、あいつらと正面から戦ったって勝ち目なんかないからね。こっそり嫌がらせして、こっそり逃げるのが一番」


 笑いながら言ったその声からは、ほんの少しだけ酸っぱい匂いがした。

 冗談の匂いと、緊張の匂いと——それから、私にはまだ名前のつけられない何かの匂い。


「しおりん、あいつらにちょっかいかけて本当に大丈夫かな? 罠とか置いたら怒って追いかけてこないかな?」


 ことはの心配は、まだ続いていた。


 しおりさんが、少しだけ息を吐く音がした。さっきまでの軽い調子から、ほんの少しだけ真面目な空気に変わる。


「いい質問」


 かちゃ、と腰の短剣の柄を軽く叩く音がする。

 その音はとても冷たく鋭く、秘密基地の中に響いた。


「まずさ、さっきのルール思い出して。『見つからない』『戦わない』が一番上。その次が『無傷』。で、最後に『ちょっと困らせる』」


「うん……」


 不安そうなことはを励ますかのように、優しく、優しく、しおりさんは話を続けた。


「必要なのは、無事に逃げ延びること。そして師匠と合流すること。そのための安全性を上げるには、あいつらがこっちをすぐに追って来れないように時間を稼がなくちゃいけないの」


「それは……そうだけど」


 ことはの声から、まだ迷いが消えない。

 私は黙って耳を澄ませた。


「そのために必要なのは、相手を傷つけることじゃないんだよ。相手を苛立たせて、この広い森の中でどこに向けていいか分からない怒りを溜めさせるの」


 しおりさんは、少し笑いながらそう言った。


「人間は窮地に追い込まれれば追い込まれるほど焦ってしまう。その反対に冷静になることもある。でもね、どうでもいいようなものに対しては怒りが込み上げてくるんだよ。それも、しつこくしつこく積み重ねることで、相手は冷静さを失っていくの」


 しおりさんは続けた。


「おっきい落とし穴一つよりも、片足がハマるくらいの落とし穴十個の方が圧倒的にイライラするの。その苛立ちや怒りが相手の時間を奪っていく。そして相手は正常な判断ができなくなっていく」


「そう、なの?」


 ことはは首を傾げた。


「そうだよ。相手に優秀な軍師がいたとしても、最後に動くのは末端の兵士。その兵士たちにストレスを与えておくことが、今はとても大切なの」


 しおりさんは、優しい声で続けた。


「相手の命を奪う罠、策はある意味とても簡単。でもね、相手に怪我をさせない、命のやり取りをしない罠、策はとても難しい。それをちゃんとやれる人は、ほとんどいないんだよ」


 ことはが、息を呑む音を立てた。


「……じゃあ、私たちのやろうとしてることって」


「そう」


 しおりさんが、少しだけ胸を張る気配がする。


「たぶん、師匠が一番好きなやり方。『勝たなくていい』『生きていればいい』って言ってたでしょ。あれ、裏返すとさ——」


 一度言葉を切って、しおりさんは短く息を吸った。


「『本当は勝つ方法も、戦う方法も知ってるけど、あえて選ばないでいてほしい』って意味でもあるんだよ」


 その言葉が、胸の奥にじんわり染み込んでいく。師匠の声と重なる。


『かっこよくなくていい。生きててくれたら、それでいい』


 あの時の、あたたかい手の重さまで思い出して、胸がきゅっとした。


「……だからね」


 しおりさんが、ことはの方に向き直る気配がした。


「ことはの罠は、人を殺すためじゃなくて、“師匠のわがまま”を守るために使お」


「お兄ちゃんの……わがまま?」


「そう。『生きててくれ』って、けっこうなわがままだよ?」


 くすっと笑いながら言う。


「だったら、そのわがままに全力で付き合うための罠にしよ。時間を奪って、イライラさせて、でも怪我はさせない。こっちは、ちゃんと生きて逃げる」


「……ふふ」


 ことはが小さく笑った。さっきまでの不安が、ほんの少しだけ形を変えたような笑い。


「なんかそれ聞くと、ちょっとだけ楽しくなってきた」


「でしょ?」


 布が擦れる音。ことはが正座し直す気配がする。


「じゃあさ——ルールその三、やっぱり言い換えたい」


「聞きますよ、トラップ担当さん」


「『変な奴らをちょっとだけ困らせる』じゃなくて」


 ことはは、指を一本立てる仕草をした気配がした。


「『変な奴らイライラ大作戦!!』」


 秘密基地の中の空気が、わずかに揺れた気がした。

 言葉が一つ、ちゃんと形になって落ちてくる感覚。


「……もうルールですらないね」


 思わずそう言ったら、ことはが「えっ!?」と驚いた。


「でも、すごくことはっぽい」


「でしょでしょ!?そうでしょ!!」


 ことはの声が一段明るくなる。


「落とし穴も、枝の罠も、爆裂札も。ぜんぶ、『私たちがもういなくなったあと』で踏ませる。そうすれば、怪我はしてもたぶん軽いし、何より——」


「何より?」


「『何処にいるのかわからないストレス』が一番のダメージになるの!」


 ことはが、誇らしげに言った。


「それなら、師匠もきっと怒らないと思う」


「『きっと』なんですね」


「そこは……ほら、ねぇ、まぁ師匠だからさ。」


 しおりさんが、少し困ったように笑う。


「でも、戦いに行くよりは、絶対マシ」

ことはは胸を張っていた。


「それは、間違いないですね」


 私も頷いた。


 ——鬼ごっこのルールは、決まった。


 負けてもいい。勝たなくていい。

 でも、生き残る。師匠に、できるだけ怒られないように。


 サウンドマッピング改め変な奴らイライラ大作戦。


 胸の中で、その名前をそっと繰り返しながら、私はもう一度、外の音に耳を開いた。


しばらくは週一で投稿できたら嬉しいなと思っています。

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