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No Look Jamming〜私は見る事ができない〜  作者: 船木一底
ツキナミの生活
17/22

フェイズシフター2

 チーの蹄が土を蹴るたび、全身が上下に揺れる。その振動と、頬を切る風の向きだけが、私に進行方向を教えてくれる。

 ことはの腰にしがみつきながら、私は胸元のブローチとレンズを服越しに押さえた。冷たさが、まだ少しだけ心を落ち着かせてくれる。

「お姉ちゃん、もうすぐ遊び場だよ」

 ことはの声が、振り返らなくても分かる距離で響く。

「チー、そのまま真っ直ぐー。途中の左の枝は前に私が折ったから、ぶつからないはず」

「了解」

 しおりさんが、少し息の上がった声で応じる。チーの横を並走しているはずの足音が、土の上で一定のリズムを刻んでいた。

 私は目を閉じたまま、耳に意識を集中させた。

 風の音。チーの息遣い。ことはの髪の揺れる気配。

 その奥で——地面の、微かな震え。

 ずる、と、重い何かが土を擦る音。

 一本だけ、太い木の幹が大きく軋む。

 そのたびに、空気の圧が一瞬だけ変わる。

「……さっきの“何か”、まだ追ってきています」

 思わず声に出していた。

「え、マジ?」

 ことはの声が、ほんの少しだけ高くなる。

「足音は聞こえないけど」

「足音、というより……地面そのものが揺れてる気がします」

 自分で言いながら、背中を汗が伝う。遠くで木が倒れる。その音そのものよりも、倒れる瞬間の空気の流れの方が耳に痛い。

「やっぱり、さゆりは耳いいね」

 しおりさんが、羨ましそうに息を吐く。

「私には、まだ“でかい何かがいる”くらいしか分からない」

「分からない方が、きっと幸せですよ」

 苦笑まじりにそう返すと、ことはが小さく笑った。

「でも、そのおかげで逃げられるんだし。今日もさゆりの耳、超優秀⭐️」

 その言葉に、少しだけ力が抜ける。

 それでも今は、逃げるために使う。

 それなら、少しだけ許される気がした。

「遊び場まで、あとどれくらい?」

 私はことはの背中に顔を預けたまま、そう聞いた。

「もうすぐ。でっかい倒木くぐった先を右。その先が広場」

 ことはの説明は、私にとって地図みたいなものだ。頭の中に、幼い頃から何度も通った道の感覚が自然と浮かぶ。

「しおりん、後ろは?」

「まだ姿は見えない。でも、木の折れる音がさっきより近いね」

 しおりさんの声が、少しだけ戦いの時のものに近づいていく。

「でもさ、別に倒さなくていいよね?」

 ことはが、あっけらかんと言う。

「私たち、勝ちに行く必要ないし。全員生きてたら、それで勝ち」

「……そうだね」

 私は頷いた。

「こっちが無事で、あっちが諦めてくれたら十分だよ。人もバケモンも、死なないで済むなら、その方がいい」

 その言葉が、胸のどこかにじわりと染みた。

 ご主人様も、きっと同じことを言う。

 やがて、チーの速度が落ちる。

「倒木くぐるよー」

 チーの体がぐっと沈み、頭上すれすれを分厚い木の幹がかすめていく気配がする。

 その先の空気がふっと軽くなった。木々の密度が薄くなり、開けた空間に出たのが分かる。

「着いた。遊び場」

 ことはがチーを止めた。

 ここは、私たち三人と、ご主人様とみのりさんだけの秘密の場所だ。

 地面には浅い穴がいくつもあり、その上に枝や落ち葉が雑に積まれている。

 木の幹には、ことはが作った奇妙な仕掛けが幾つも括りつけられていた。

「……改めて聞くけど、これ、本当に“遊び場”なの?」

 思わず口から出た。

「遊んでるよ? 罠の実験とか」

 ことはが胸を張る。

「師匠も、『ここなら多少爆発しても大丈夫』って言ってたしね」

 しおりさんが苦笑混じりに続ける。

「その“多少”が怖いんだけど」

 私がそうぼやいた時、また地面が微かに震えた。

 さっきより、ずっと近い。

「……さっきの“何か”、もうすぐ来ます」

 私は、チーから降りながら告げた。

「うん、今度は私にも分かる」

 ことはが息を呑む。

「正面からはやらない」

 しおりさんの声が、はっきりと戦場のそれに変わる。

「ここは逃げ場と罠がある。ことは、準備できる?」

「できるー。お姉ちゃん、その場から動かないでね。足元、覚えてる?」

「うっすらと」

「じゃあ、その一歩右が安全地帯。今の位置は穴のフチだから」

 私は言われた通り慎重に足をずらした。土の硬さがわずかに違う。

「ことは、何してるの?」

「“踏んだら嫌なことが起きるゾーン”増やしてるだけ」

「……それ、どんな嫌なことなの」

「踏んでからのお楽しみ」

 私はブローチに指を添え、「ルック」と囁いた。

 静かな糸が一本だけ遠くへ伸び、ご主人様のいる方角を示す。

 その周囲にある“何か”の気配が、ぼんやり浮かんだ。

 それは、動物とは違っていた。

 大きさの割に呼吸のリズムが不自然で、心臓の鼓動が薄い。生き物というより、何かに“動かされているもの”。

「……おかしいです」

 思わず声が漏れる。

「生き物みたいで、生き物じゃない感じがします」

「バケモンってこと?」

「はい。でも、少し……かわいそうな感じがします」

 耳に伝わる音が、どこか悲鳴のように聞こえた。

「ますます倒したくないタイプだね」

 ことはが静かに言う。

「できるだけ傷つけないで、やり過ごそ」

「そんな器用なこと、できるかなあ」

 しおりさんは苦笑する。

「でも、やるしかないね」

 ——バキッ。

 すぐ近くで、木が一本、根元から折れる音がした。

 さっきまで遠くにあった重さが、一気に近づいてくる。

「……来ます」

 私が告げると同時に、ことはが短く叫んだ。

「しおりん、さっき言った大きい木の前! お姉ちゃん、そのまま一歩だけ前!」

 考えるより先に体が動いた。

 私は杖代わりの枝を頼りに、一歩だけ前へ出る。

 足元が一瞬ふわりと浮き、そのすぐ後ろで土が崩れ落ちる気配がした。

 落ちる音。

 何かが足を取られ、崩れた地面に飲み込まれていく音。

 ——グァアアアアッ!!

 耳を裂くような咆哮。

 穴の底で暴れる何かが、土を叩き、木の根を掴もうとしている。

「一個、引っかかった!」

 ことはが息を弾ませて叫ぶ。

「しおりん、右のロープ、引いて!」

「うん!」

 しおりさんの返事と同時に、どこかでロープがきしむ。

 頭上で束ねてあった枝と石が解き放たれ、穴の上へと落ちていく気配。

 鈍い衝突音と、さらに大きな咆哮。

 土煙が上がる。穴の中の“何か”が、更に激しく暴れ出した。

「……これで少しは動きにくくなったはず」

 ことはが息を整えながら呟く。

「でも、多分これだけじゃ止まらない。お姉ちゃんの耳で、あいつがまだ動けるか聞いて」

 私は再び耳を澄ませた。

 荒い息。骨の軋むような嫌な音。それでも、あれはまだ上に向かおうとしている。

「……まだ諦めてません」

 私は小さく言った。

「でも、さっきより動きが鈍いです。しばらくは上がってこられません」

「だよねー」

 ことはが、肩をすくめる気配を見せる。

「じゃ、第二段階いこっか」

「まだ何かあるの」

「あるよ? ここ、そういう場所だもん」

 布と紙の擦れる音。

「お姉ちゃん、この紙触ってみて」

 差し出されたそれに指を伸ばすと、ざらざらした感触と、墨と絵の具の匂いがした。

「……ことはの絵、だよね」

「そう。『ドカンってなるやつ』」

 ことはが、少し誇らしげに言う。

「お兄ちゃん監修つきだから、きっと大丈夫」

「“きっと”を付けないでほしい・・・」

 ぼやきながらも、私は紙片に自分の魔力を薄く重ねた。

「しおりさん」

「受け取るね」

 しおりさんが紙片を何枚か受け取り、穴の縁へ駆け寄る気配がした。

「下に投げる。ことは、合図出して」

「はーい。三つ数えたら耳ふさいでね」

「それ、もっと早く言ってよ」

「いくよー。いち、にー、さん!」

 紙片が空気を切る音。

 ——ドンッ。

 さっきまでの足音とは違う、乾いた衝撃が地面を通して伝わった。

 続けて二発、三発。

 穴の中から上がる咆哮が、苦痛に変わる。土と焦げた匂いが混じり合い、鼻をついた。

 耳鳴りの向こうで、ことはが「成功!」と叫ぶ。

「……まだ息はあります」

 耳鳴りが落ち着いた頃、私はそっと言った。

「でも、さっきより動きが鈍いです。しばらくは上がってこられません」

「それなら十分」

 ことはが、ほっと息を吐く。

「倒さなくていい。今は、とにかく距離取ろ」

「賛成」

 しおりさんもすぐ同意する。

 私は穴の方向に向かって小さく頭を下げた。

 誰に対してなのか、自分でも分からない。

「行こう、お姉ちゃん」

 ことはが、私の手を取る。

「もうちょっと奥に隠れられるとこあるから。そこで一回、息整えよ」

「うん」

 私は頷き、チーの背に手を添えながら歩き出した。

 森の奥へ向かう風の中に、まだ微かに、ご主人様の魔力の匂いが残っている気がした。

 その向きは、さっきより遠く、ゆっくり動いている。

 きっと、しばらくは会えない。

 それでも、このブローチ越しの気配が消えない限り——。

 私は歩みを止めないでいようと思った。

久々に書いております。

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