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6歳1月(9)

6歳1月(1)~(23)までの23話分がひとまとまりのお話しです。

『劇場版 いうこときかない黒姫の失敗 ~探検テテの町~』

6歳1月(9)


世界に少しずつ明かりが戻ってきた。

薄暗い空間のなかで、空高くボンヤリと見えるのは色彩鮮やかに輝く女性の姿。

ああ、あれが神様なのかしら。天からのお迎えだわ。私は良い子だったから間違いなく行先は天国ね。


そんな事を思っていると、目の前にアディルとデデが現れ、私の顔を覗き込んで何か言ってる。

どうやらまだここは天国ではないみたい。


デデが私の頭を抱えてくれて、アディルがコップを口に運んでくれる。

なにこれ、甘い! 爽やかな酸味。フルーツジュースだわ。

口の中が幸せになって、身体中に沁みわたっていく。

やっぱりここは天国かな。


「んー。もっと。」


「やっと気が付いたか、良かった。心配したぞ。ちなみにジュースはもう無い。水で我慢しろ。」


アディルに差し出された水をひと息に飲み干す。

気づけば手足には濡れた布が被せられていて、デデが板切れで頑張って扇いでくれている。涼しい。


「それで、私はどうなったの?」


「リルカは水も飲まずに歩き回っただろ? おそらく暑さにやられたんだ。フルーツジュース屋に向かってフラフラ近寄っていったかと思ったら、急にぱったりと倒れた。フルーツジュース屋のお姉さんが自分の投げたマサラにぶつかってリルカが倒れたと勘違いして、お詫びにジュースを沢山くれた。さっきリルカに飲ませたジュースが最後だ。気を失っているくせに口元にコップを持っていくとガブガブ飲んでいたぞ。呆れた奴だ。」


「そっか。フルーツジュース屋のお姉さんには悪い事しちゃったね。でもお蔭で生き返ったわ。お水、お代わり頂戴。」


「水もさっきので最後だ。水を貰ってくるから少し待つんだ。」


アディルは水差しをもって祭壇脇の小さな扉から部屋を出ていく。

辺りを見回すと、薄暗い大きな部屋の中、高い天井にある天窓からひと筋の天使のきざはしが降りている。その向こう側には大きな十字架と祭壇。私が横になっているのは長椅子の上で、同じような長椅子が祭壇に向かって整然と並んでいる。この部屋は倒れる前にいた市場メルカド喧騒けんそうが嘘のように静かで、心が落ち着く。


「十字架……。」


部屋の大きな十字架を見て、首から下がる十字架を思い出す。

隠したショールの布越しに強く握って雪辱の決意を確かめる。

私はラムズィを見つけて、それで、どうしたら雪辱になるだろうか。


騙されたんだから、騙し返す?

人を騙すのはなんだか私らしくないなあ。

ぶん殴る?

口で負けて暴力で仕返しするなんて、なんだか頭悪いなあ。

例えば口喧嘩で負けて、言い返せなくなって、“テメーコノヤロー”って殴りかかる姿を思い浮かべる。ダメね。絶対にダメ。これじゃ三下の雑魚チンピラもいいとこ。相手に“口じゃ勝てません”って頭下げるのと変わらないわ。ぶん殴ったとしても余計にみじめになるだけね。


ラムズィに一泡吹かせるって言ったけど、どうしよう?


静寂の中、物思いにふけっていた私の心がドバーン!という大きな衝撃で吹き飛ばされた。

デデと共に飛び上がるように驚いて振り向くと、祭壇の反対側、両開きの大きな扉の片方が全開に開かれ、蹴り開けたであろう足を上げたままの1人の小柄な少女が立っていた。


少女は小走りで素早く私の方に近寄ってくる。

私はまだぼんやりしてうまく身構えることができない。

デデはすでに遠くの長椅子の後ろに隠れて震えている。可愛い。


少女は私の目の前で止まると、可愛らしい顔につぶらな瞳でジッと私を見つめている。

その肌は黒くも無ければ白くも無い。その中間のような浅黒い肌。そして継ぎ接ぎのある白いワンピースはきちんと洗っているようだが、随分と草臥くたびれている。しかし手首にとても綺麗なブレスレッドが光っていて、それだけでもとても上品にみえる。


その少女は私の前で大きく息を吸ったかと思うと、ツェンベレ川の鉄砲水のように言葉を溢れさせた。


「気が付いたんだね! 良かった良かった。もう死ぬだろうなって思ったから葬式の準備をしていたよ。準備は無駄になったけど、生きてて良かった。テテの町は暑いんだからそんな薄着でいたら黒焦げに焦げちゃうぞ! ってそれは地肌だね。ごめんね。でも布ぐらいは頭に巻いた方が良かったね。」

「く……。」

「そうだ、リルカちゃんっていうんでしょ? 私はジョイス。リルカちゃんの名前は一緒にいたアディルって男の子から聞いたよ。あともう一人の男の子は、あ、そこそこ、隠れてないで出ておいでよ。怖くないよ。君はさっきも見たけど細いねえ。私よりも背が低いから年下かしら。可愛い。リルカちゃんは何歳?」

「わ……。」

「私はね、たぶん10歳。たぶんていうのは正確な誕生日を知らないの。でもまあ、だいたい10歳くらい。10歳にしては小さいって言われるけど、皆が大きすぎるだけよ。これでもまだまだ成長期なんだから。あ、小さいって身体の大きさの話よ? 胸の大きさだと思った? やだリルカちゃんエッチ!」

「え……。」

「良くみたらリルカちゃん素敵なワンピース来てるね。おっきなネコの顏かな? ふさふさ毛のネコだ。ネコ好きなんだね。私もネコ大好き。可愛いよね。貧乏だからネコは飼えないけど木彫りのネコの置物を沢山作って売っているの。今度見せてあげるね。なんなら買っていってもいいのよ。我ながら良い出来で、本当に可愛いんだから。」

「ら……。」

「あ、コップが空っぽじゃない。水が欲しいわよね? もっと水を飲まないと元気にならないわ。アディルって男の子はどこいったのよ。薄情ね。ジョゼもジョゼだわ。今にも死にそうなお葬式のお客さゲフンゲフン、倒れて困っている女の子を連れてきたっていうのに黒いのを連れてくるなっていうのよ。白も黒も関係ないじゃないね。死んだらみんな神様に召されるんだから。そうそう水よね、冷たい方が良いよね。ちょっと外で水を汲んでくるから待ってて。勝手に帰ったら怒るからね! 絶対待っててよ!」

「あ……。」


ジョイスは外へと走り出して、後ろ手に扉を引いて乱暴に閉めた。激しく扉の閉まる音が余韻を残し、私に一言も喋る隙を与えることなく一方的に言葉の暴風雨を降らせていた嵐は去った。薄暗い部屋はまた静謐せいひつな空間に戻る。


「な、なんだったの。今のは……。」


「気が付いたようだな。」


入れ替わりに、祭壇脇の小さな扉からアディルと共に一人の男が入ってきた。彼は半袖の白いローブを着て、首に緑色の帯をかけており、魔法使いのだぶだぶした外套がいとうとは違って、腰を紐で縛って洗練された恰好だ。そして首から下げられた、小ぶりでとても上品な十字架が揺れる。あれが本物かあ。なんだか神々しいな。


「お代わりの水だ。それを飲んだらさっさとここから出ていけ。先ほどの扉を閉める音は、またジョイスが出て行ったのだろう。何度言ってもきかない娘だ。彼女が連れてきたから仕方なくここで休ませたが、ここはキリスト教の教会であり、君らが立ち入って良い場所ではない。」


男性は浅黒い肌。先ほどのジョイスも同じような色だった。私たちの様な黒人ではないけどアラブ人というわけでもなさそう。そもそもアラブ人はイスラム教徒だからキリスト教の教会にいるわけがない。そしてジョゼはとげのある口調に、忌ま忌ましいと言わんばかりの表情を私たちに向けている。


「あなたは?」


「私はこの教会の責任者で、助祭のジョゼだ。神の御心のままに君を助けたが、教会はキリスト教を信じる者が神に祈りを捧げるための神聖な場所だ。それ以外の者は早々に立ち去れ。」


「ジョゼ。助けてくれてありがとう。それなら大丈夫。私はキリスト教徒よ。洗礼名はマリアっていうの。本名フルネームは、リルカ・マリア・デ・マニカ・ムプンザクトよ。」


「ムプンザクト? この国の王族か! 誰が君に洗礼名を与えたのだ?」


「私が生まれてすぐの頃、ゴンザロ・シルベイラという人。でも王族がキリスト教へ改宗するのに大反対した霊媒師の一派に殺されたって。」


「そうだ、無残な姿で川に放り込まれた。それも人間としての尊厳を失わせるような残酷な方法で。ゴンザロは私の一番大切な友だった。彼は私をポルトガル人と同じに扱ってくれた。メスチーソである私に、神の下では人種も身分も男女も年齢も関係なく、等しく神の子どもであると教えてくれた。それを貴様らのような……。」


その後に続く言葉を無理矢理に飲み込もうとしているのか、ジョゼは怖い顔で歯を食いしばっている。ギリリと歯軋はぎしりの音がかすかに聞こえ、ジョゼの悲しみと悔しさが強く伝わってくる。


殺されたゴンザロにも家族がいて、大切な友達がいて、亡くなってから6年以上経ってもまだジョゼのように深く悲しまれている。

それを目の当たりにして、自分の周りの人に置き換えて考えてしまう。大切な友達。それが理不尽に奪われる悲しみ。ああ、きっと私なら怒りで目の前が何も見えなくなってしまう。

ジョゼが私たちに、そして黒い肌の人間全員に向けている憎しみはそういうものだ。


「それは……。ごめんなさい。」


私が深く頭を下げて謝ると、ジョゼは真っ直ぐに立ったまま、顔を強張らせるようにして私を睨み、そしてゆっくりと目を瞑る。

私はゴンザロを殺してない。でも犯人と同じ部族であり、その王族として、私はゴンザロの死を謝ることができる。それでジョゼの憎しみを一身に向けられることになろうとも。

謝るのは私の自己満足なのかもしれないけど、やっぱり私なら誰かに謝ってもらいたいもの。


そのまま誰も動くことなく、静かに時間が流れる。

教会は市場メルカドからどのくらい離れているのだろう。遠くから僅かに喧騒が聞こえてくるが、近くでさえずる小鳥の声の方が大きいくらいだ。およそ教会の中は静寂に包まれている。


しばらくの沈黙の後、ジョゼは大きく息をついた。


「いや……。君が謝ることではないな。もう教会から出ていきなさい。誰かに見つかる前に。ここには君たちを憎む者たちも来る。」


「分かったわ。でもその前に1つだけお願い。私にお祈りを教えて。彼のため――ゴンザロ・シルベイラのために神様へお祈りしたいの。ちゃんとしたお祈りの仕方を知らないの。」


ジョゼは目を閉じ、手を額に当て、思い悩むように動かない。

やっぱり図々しい事をお願いしちゃったかな。殺した側の人たちに祈ってほしく無いかな。


「……彼が最後に洗礼した子と、こうして会うのも神のお導きなのだろうか。分かった。来い。」


意を決したように顔を上げ、ジョゼは私を祭壇の前に連れてきた。祭壇の正面には大きな十字架。そして見上げると窓ガラスに色鮮やかに描かれた女性の絵が見える。さっきの神様だね。良かった。お祈りすることを許されたんだ。


隣でジョゼがやる作法を真似して両膝で床に立ち、両手を胸の前で組む。

そしてジョゼの台詞を聞きながら、一つ一つ真似して繰り返した。


「人の救いを喜び、罪を赦される神よ、

慈しみをもって私たちの祈りを聞き入れてください。

この世を去った私たちの大切な友であり恩人、ゴンザロ・シルベイラが、

聖母マリアとすべての聖人の取り次ぎに助けられ、

罪の束縛から解放されて、

終わりのない歓びに入ることができますように。

わたしたちの主イエズス・キリストによって。

アーメン。 」


祈り終わるとジョゼは立ち上がり、私に手を差し出してきた。


「ありがとう、マリア。彼のために祈ることができた。君の言葉に救われたのは私かもしれない。

私の心を憎悪の束縛から解放することができた。君のお蔭だ。」


「こちらこそありがとう、ジョゼ。私はずっとゴンザロ・シルベイラのために祈りを捧げたかったの。私に祝福をくれた人。私にマリアの名前を授けてくれた人。彼になんで私にマリアって名を授けてくれたのか聞きたかった。彼にありがとうって伝えたかったの。ジョゼのお蔭よ。」


「……。彼が君に与えた洗礼名である“マリア”という名は“海の星”という意味だ。聖ベルナルドいわく、“マリアはヤコブより生まれた輝く星であり、全世界を照らし、信じる人々を導く星である”。マリア、君は世界を照らし、人々を導くために生まれたのかもしれないな。さあ、行きなさい。」


ジョゼの手を借りて立ち上がる。ジョゼはもう優しい顔になっている。


「ありがとう、ジョゼ。きっとまた来るわ。」


「マリアが倒れて運ばれてくるのでなければ良い。今度はちゃんとお祈りの作法を教えてやろう。」


私は頷いて、外へ出ようと教会の扉に手を掛けようとしたその時、何かを忘れているような気がしてふと立ち止まった。

あれ、何か忘れ物あったっけ?


その瞬間、勢いよく開いた扉が私の身体にぶつかる衝撃。


「きゅ~。」


まだ本調子ではない私の身体は簡単に意識を手放し、また世界が暗闇に沈んでいく。


6歳1月(1)~(23)までの23話分がひとまとまりのお話しです。

2018年1/1の0時から、2時間毎に1話更新予定です。

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