6歳の12月(14)
6歳の12月(14)
“敵や嫌いな人の真実の欠片を見逃すな”って言われて、いま思い浮かぶのはあの男だわ。
「お母様、あのングルウェも半分正解だっていうの?」
「そうよ。ングルウェのところでは太った人が美人だから女性はみんな競って美味しいものを食べて太ろうとするわ。ングルウェは女性を財産としか思ってないけど、女性からみればお金持ちだから贅沢できるし、安心して子育てできるわ。どこに不幸な人がいるのよ?」
「だって、財産とか所有物だなんて、女性に人としての自由とかないみたいで。」
「馬鹿ねリルカ、大人の女性を舐め過ぎよ。女性を財産だとか所有物だなんて思っているのは男だけよ。女性はそう思っている男すらも最大限に利用して、安心して子供を産める環境や、贅沢できる生活を獲得していくものよ。女性を“物扱い”しかできないような男は、女性から“お財布扱い”しかされないからお相子だわ。大人の女性はリルカの想像よりも遙かに強かなのよ。」
「えー!なにそれ。大人の女性怖い!」
「うん、俺も怖い。」
お父様は男性として肩身の狭い話なのか、少ししょんぼりと肩を落しながらも私と目を合わせて一緒に怖がっている。
大人の女性ってどこまで強かなのかしら。
「それじゃあ、ングルウェは全然間違ってないじゃない。でも私たちだって間違っているとは思えないし、両方正しいってありえるの?」
「そう、どっちも正しくて、どっちも間違っているの。だから半分正解で半分間違い。
お互い様よ。ただ価値観が違うってだけ。
でも違う価値観を認めたくない、受け入れられないと思った瞬間から悪意は始まるわ。
悪意を持った人は自分の価値観を押し付けるために暴力を使ってくるの。」
「悪意と暴力っていうけど、私は殴られたって絶対ングルウェと同じ価値観にはなれないわよ。」
「やっとリルカも理解できたわね。ングルウェだってリルカにぶん殴られたからってリルカと同じ価値観にはなれないわ。他人の価値観を思い通りに変えることなんて暴力じゃ無理なのよ。」
「ああ、その通りだわ!ングルウェをぶっ飛ばしても何も意味がない。やっと分かったわ。なんでこんな簡単なことが分からなかったのかしら。でも、そしたら“価値観をぶっ壊す”ってどういうこと?」
「価値観をぶっ壊すというのは、その人の価値観の前提になっている常識を塗り替える事ね。例えば女性は男性より弱いっていう常識を私が塗り替えたから、近衛軍のみんなの価値観は“将軍は性別関係なく強くて賢いものがなるべき”って変わったわ。リルカが将軍候補って扱われるのはその変わった価値観のお蔭。思った通りに変えることはできないけど、少なくとも何か変化するわね。」
「じゃあ、ングルウェの常識を塗り替えると価値観が変化するのね。でもどうすれば良いのか思いつかないわ。難しそう。」
「価値観をぶっ壊すなんて、簡単なはずがないじゃない。その人の常識をひっくり返すってとんでもない事だわ。」
「でも放っておくのも嫌だわ。このあとングルウェはきっと悪意と暴力を使って私たちに価値観を押し付けようとするんでしょ?やっぱり先にやっつけた方が……。」
「例え相手が悪意を持っていても、リルカが相手に悪意を持つ必要はないわ。
それに、リルカは世界中を旅したいのなら、色々な価値観を理解する人になりなさい。」
「そんな!許せない価値観はどうしたら良いのよ?相手が価値観を押し付けてきたら、悪意をもって暴力を使ってきたら、どうやって自分や家族や仲間を守るの?」
「許せない価値観には言葉で立ち向かいなさい。そして悪意と暴力には“専守防衛”よ。逃げて避けて守りなさい。さらに自分の守るべき最後の一線を引いて、それを越えて手を出してきたらとことんまで報復するの。その相手も、相手の周りにいる人も含めて、二度とこちらに手を出してこないように徹底的に恐怖を叩き込みなさい。」
「専守防衛……。お母様がいつもお話してくれる御伽話の国の軍隊ね。格好良い!私それでいくわ!リルカ探検隊は専守防衛よ!」
やっと納得できる答えに喜ぶ私を見て、お父様が眉を顰めてお母様に近づく。
「お母さん、報復の部分は専守防衛とは違うんじゃないかな……なんて思ったりするけど、いかがお過ごしでしょうか?」
「いいのよ!報復が無ければ相手が調子に乗るわ。多少の味付けは必要よ。」
お母様は恐る恐る尋ねるお父様の心配をバッサリと切って捨てる。
お母様的に、報復まで含めて専守防衛ってことなのね。よし、これから私の方針は専守防衛よ!
「お母様はングルウェに言われたこととか気にしてないの?」
「気にしてないわ。全く価値観が違うことが最初から分かっている人に何か言われても、象から鼻が短いねって言われるのと同じくらい気にならないわ。むしろングルウェに美人と言われたらちょっと腹が立つわよ。」
「みゃはは!ングルウェの美人は太った女性だものね。」
「さあ、もう寝なさい。二人ともご飯抜きなんだから私の夕食の匂いを嗅いでいると辛いでしょ。」
「「ええー!本当に夕食抜きなの!?」」
「しかもお母さんだけ食べるって。酷くない?」
「本当にご飯抜きよ!いうこと聞かなかった二人に怒っているんだからね。罰は罰よ!あ、おタマちゃん、おスミちゃん、こっちの2人はご飯抜きだから一緒に食べましょ。あ、お父さん!こっそりリルカを連れて他所でご飯食べちゃ駄目だからね!すぐに分かるんだから。」
「ぐっ!分かったよ。くそ~!」
お父さんは泣きながら外に飛び出ていった。
私はお料理が用意されていく食卓から目が離せない。
「ほら、さっさと食卓から離れて寝床に行きなさい。」
食卓に並べられる湯気の立つできたてのシチューはお肉がゴロゴロと入っている私の大好きなビーフシチュー。スプーンで簡単に切れるほどホロホロに煮込まれたお肉と、ホクホクに煮られたニンジンやジャガイモなど大き目に切られたお野菜が、赤ワインと一緒にドロッと濃い茶色になるまで煮詰められて旨味を凝縮させたスープと一緒にお皿に盛られている。
そして今日の主食は珍しくバゲット!いつものシマとは違って小麦粉を練って発酵させて焼いたものだけど、外はカリカリサクサクとしていて、中はもっちりフワフワ。しかも中身が白い!ライ麦を使ったパンとは違って小麦100%で作られた白いパンは贅沢品でふっかふかの幸せな柔らかさ!口に入れた瞬間に焼きたての小麦の香りが広がって噛めば噛むほどじんわりと旨味が滲み出てくる。さらにこのパンをシチューに付けて食べたらもう止まらない。パン、肉、パン、野菜、と永遠に続けたくなる反復横飛び。細切れにしたお肉をパンに乗せて食べるのも最高だ。お皿に残ったシチューをパンで拭って食べるのも忘れない。
そんなビーフシチューと白いバゲットの黄金コンビ。
その全てが食べられないっ!
儀式の後、興奮していて忘れていた空腹感が急激に解放されてお腹を切なくさせる。
美味しい香りのせいで閉じるのを忘れていた口から涎が止まらない。
手を伸ばせば届くほんの目の前に最高のご馳走が並んでいる。
でも食べられないっ!
その事実が私の心を絶望に陥れる。
目からあふれ出して頬を伝う涙もそのままに、料理から目が離せない。
なんで動いてしまったんだろう。
なんでお母様のいうことをきけなかったんだろう。
お母様のおっぱいを守るために仕方無かったとはいえングルウェの脛を蹴飛ばすことと引き換えにするには余りにも失ったものが大きすぎた。蹴ったことは後悔していない。また同じことが目の前であったら同じように動くだろう。それでもこのご飯が食べられないだなんて私のお腹と心の大部分が抉られるかのような喪失感。もう私の顔は涙と鼻水と涎によって雨季のツェンベゼ川の大洪水を超えるかという濁流に呑まれている。
「う"わ"~!ごべんなざい~ゆるじで~!」
「駄目!お仕置きなんだから食べさせません。早く寝なさい。」
「う"ぎゃ~!ビーフジヂュゥゥゥゥ!バゲッドォォォォ!う"わ"~ん!」
お母様に奥襟を掴まれて寝室に放り込まれた私は枕に顔を埋めて泣きに泣いた。
枕が濡れていく中で膨らんでいく食べ物の恨み。
その矛先はングルウェへ。
霊媒師やングルウェに憑りつく黒い影をお母様は見えないと言った。
あの影が悪いのかもしれない。あの影をやっつければ……。
そしていつの間にか意識は遠のいていった。
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夜中に目が覚めると寝巻に着替えていないことに気が付いた。
隣で寝るはずのお母様が居ない。またお仕事に行っているのだろうか。
寝苦しいので薄い寝巻に着替える。
たくさん泣いて寝たから顔が腫れぼったい。
それにしてもお腹が空いた。せめて水を飲もう。
また外は雨が降っている。月明かりは無いのでロウソクを持つ。
寝室を出て食卓の前を通りがかると、食卓の上には“リルカ”と書かれたメモと見慣れた葉っぱで包まれたものが置かれている。
見慣れた葉っぱ。リルカ姫の串焼き屋さんで串焼きを包んでいた葉っぱ。
間違っていなければこの中には……。あった!串焼き3本!
“リルカ”ってメモと一緒に置いてあるってことは食べていいのよね!
ハム!ハムハムッ!
こっちはシンプルに塩味!こっちは甘辛いタレがついてる!
こっちは味噌!?不思議な甘い味噌が乗っかった串焼きがまた美味しい!
お母様が新しいタレを作ってくれたって聞いてたけど、こんな味だなんて思わなかったわ!
そして、このメモはきっとお父様だわ。
お母様に怒られるのを承知で目立つ食卓に置いてってくれたんだ。
私の中のリルカが飢えた農民になったかのような気分。
ありがてぇ!ありがてぇ!
冷たくなってしまった串焼きがやけに身体に沁みる。
少し涙が滲んでくる。
たった3本だったけど切なかったお腹は随分と落ち着いた。
お父様大好き!大好き!だーいすき!
お母様にお仕置きされていても軟弱なんかじゃないからね!
お水を飲んだら顔を洗って口を漱いで寝床に戻ってもう一眠り。
今度は安らかな気持ちでおやすみなさい。




