6歳の12月(12)
6歳の12月(12)
私がどうやって助けようかと見上げると、お母様は眉一つ動かさないほど無表情に超然として黙っている。
その目は諦めているとか哀れんでいる感じの冷たい視線でングルウェを眺めている。
お母様の反応が無いと分かると、ングルウェは祭壇に向き直り大声で喚きだす。
「王様ぁ、嫁や娘なんていくらでもいるだろぉ?こんなガリガリ女の1人や2人くらい余のハーレムにくれてもよかろぉ?金でも牛でもいくらでも用意するぞぉ?ん~?」
「第9正妃にして将軍である嫁と、将軍候補である娘。誰にもやらぬ。早く王火を受け取って戻れ。と王が仰せです。」
「何が将軍だって?こんなみすぼらしい痩せぎす女をお飾り将軍に据える軟弱ネゴモがどれだけ偉そうにほざくのか?そもそも余が王になっていれば近衛軍もこの女も全て余の物だったのだぞぉ?ん~?」
な、何様なの!?
お父様の事を王様とも思っていない口振りな上に“軟弱ネゴモ”だなんて酷い侮辱だわ。
それにお母様の事をお飾りだとかみすぼらしいとか、物扱いするなんて身の程知らずにもほどがあるわよ。
あと、さっきからなんだろう?
お母様の事をガリガリとか痩せぎすとかって何度も言ってるわ。全然そんなことないのに。
言葉は何を言っているのか分かるけど、意味がさっぱり分からない。
私の知らない別の事を言っているのかしら?
「ングルウェはお父さんの幼馴染でね、前回の王位継承の時に、自分が王の候補だって勘違いした馬鹿な部族長らしいわよ。実際は候補にすらなってなかったみたいだけどね。」
お母様がうんざりした様子で説明してくれる。
普通は王様の顔も声も、ましてやネゴモっていう本当の名前すら知らないはずなのに、ングルウェは王になる前のお父様を知っているってことなのね。
でも幼馴染だからって軟弱ネゴモだなんて許せないわ!
お母様にお腹パンチされて一日中痛がって寝転んでいたけどお父様は軟弱じゃないわ!
お母様が飛び抜けて強すぎるだけよ!
おスミさんに叱られると縮み上がっているけどお父様は軟弱じゃないわ!
おスミさんがとんでもなく冷徹なだけよ!
4歳の私に足を叩かれて以来、一度も模擬戦の相手してくれないから分からないけどお父様は軟弱じゃないわ!
私が……。
あれ?
私はまだそんなに強くないよね……。
お父様ったらもしかして軟弱?
それはともかく、お母様の説明が聞こえたのか、それともお母様がわざと聞かせたのか、ングルウェは曲がった口を醜く開き、さらに怒った様子で再度お母様に向かって近づいていく。
「馬鹿だとぉ?もしネゴモが死んで、余が王になった暁には、そなたは余のものになるのだぞぉ?貴様のような痩せぎす女は余のハーレムには一人もおらんが、この膨らみだけはなかなかじゃないか?ぐふ。」
ングルウェはお母様の顔ではなく、その下の胸甲で固められた大きな膨らみに向かって話しかけるように
近づいていく。
「この中身も余の思いのままに、滅茶苦茶にできるのだぞ?ぐふふふふ、泣いて許しを請うても容赦せんからな?」
ングルウェは胸甲の目の前まで近づくと、その興奮した視線をお母様の胸から顔へと移すように勢いよく顔を上げながら、男の作り物のように大きな手でお母様の胸甲の大きな膨らみを鷲掴みにした。
「グギャーッ!!」
私のブーツはお母様の設計によりキノコ爺が作った特製品で、丁寧に柔らかく鞣された牛革でできている。でもつま先には鉄製のカバーが入っていて、足を踏まれても足の上に槍を突き立ててもビクともしない。重いのが玉に疵だけど蹴れば樹木が抉れるぐらいには頑丈にできている。
そんな私のつま先がングルウェの脛にめり込んだみたい。
ングルウェは尻餅をついて脛を両手で抱えてゴロンゴロンと左右に転げまわりながら奇声を発し続けている。
なんだか私には、お母様のおっぱいにングルウェの手が触れた後の記憶が無い。
でもきっと目の前で転がっているのは私が無意識に蹴り飛ばしたからだろう。
私は身体から魂が分離して空に漂っているかのように、自分自身の背中と転がりまわるングルウェと動かないお母様を、少し離れた上方から俯瞰で見ているような気分。
「ああ、五月蝿いわね。止めを刺さなきゃ。」
そして私は血が登った頭で、他人事のような独り言を呟きながら前に出る。
転げまわるングルウェの急所に狙いを定めて蹴っ飛ばそうとすると、後ろ襟を掴まれて元の位置に引き戻されると同時に、私の心も夢から覚めるように現実へと引き戻された。
「動くなっていったでしょ、リルカ。」
左を見るとお母様がングルウェを見るでもなく、私に怒った顔を向けて捕まえている。
おっぱいを触ったングルウェを怒るんじゃなくて、助けた私が怒られるなんておかしいわ!
「だって……。」
「だってじゃない。後でお仕置きよ。」
口を尖らせて反論しようとする私の言葉を先読みするようにお母様の言葉が被さってくる。
私はお仕置きという響きに尖らせた口を引っ込めておちょぼ口になる。
お母様のお仕置きかあ、また丸太でお尻叩かれちゃうのかなあ。
転がるングルウェは駆けつけた従者5人に抱えられて運ばれていく。
「このクソガキがっ誰に何やったか分かっているのか?余を蹴るとは簡単に殺すだけでは済まさんぞ?考えつく限りの拷問で、もう殺してくれと泣き縋るほどの苦しみをくれてや、だあっちぃ!ぐべぁ!」
ングルウェの長い台詞が終る前に、火のついた松明がングルウェの上に投げつけられ、抱えていた従者たちはその火に慌ててングルウェを頭から地面に落としてしまった。
「うちの嫁と娘に手を出したら貴様の一族を丸ごと滅ぼしてやるからな!」
祭壇を覆う白い布の隙間から松明を投げたであろう黒い腕がニョッキリ生えていて、神官と違う声が聞こえてきた。
これお父様だ!
やったねお父様!家族を守るために戦うお父様は軟弱なんかじゃないわ!
でもこれ、見えちゃいけない王様の手と、聞こえちゃいけない王様の声よね。
案の定、祭壇の中にいる神官が大慌てでお父様を押さえつけている。
「王火はその地を治める証しである。部族の名に懸けて決して消えぬように持ち帰り、守るべし、と王が仰せです。」
祭壇の中ではお父様と神官がもみ合っている音が聞こえるけど、表に立つ神官が姿勢を正して大きな声で王火を渡す際に伝えるであろう言葉を述べる。
ングルウェは落ちた衝撃で気を失ったらしく、従者たちは王火の松明を持ち、ぐったりとしたングルウェを抱えて足早に去っていった。
「精霊様は騒ぎを起こしたあなた方にも帰って欲しいようですよ。」
忌まわしい災厄が去った安堵と精神的圧力からの解放感によるため息と共にングルウェを見送っていると、視界の端から霊媒師が怒りを込めた目で睨んできた。
「悪いのは全部あのングルウェよ。それに血が流れなかっただけでも良しとしなさい。リルカの蹴りが無ければ丘の下が収まらなかったわ。」
お母様の言葉でハッと丘の下を見渡すと、綺麗に整列していたはずの近衛軍は異様な殺気に包まれたひと塊りとなり、手に手に武器を持ってすぐ下に待ち構えていた。
ああ、そうよね、お母様の胸を触った姿なんて見たら、近衛軍のみんなはこうなるわよね。
ングルウェが丘の下に引き摺り下ろされていたら、みんなから一発ずつ殴られるとして一万人から一万発。命が無いどころか、肉片すら残らないほど跡形もなく消滅してもおかしくないわ。
そう考えると私の蹴りはングルウェの命を助けたことになるんじゃないの?
これでングルウェに恨まれるなんて、なんだか釈然としないわ。
恨まれるどころかお礼を言われるべきよ。
霊媒師は丘の下を見ると苦々しい顔で黙り、その後はトラブルもなく全ての部族長へと王火が渡され、儀式が終わった。




