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6歳の12月(11)

6歳の12月(11)


何が“立っているだけ”よ。

お母様の言葉は間違ってはいないけど、圧倒的に足りなさすぎる。


“今にも気を失いたくなるほどの呪詛や殺気の嵐の中で、殺されない様に一瞬たりとも隙を見せず、逃げだしたくなるのを歯を食いしばって堪えて、変に身構えたり身を守るそぶりなど弱みを見せないようにして、ただひたすらに立っているだけ”というのが正解に近い説明だろう。


いや、戦場の方がまだ逃げれるし、身を守れるだけマシだわ。

雨のように降り注ぐ矢の中で盾も構えずにただ立っていろと言われているみたい。

つまり死を覚悟しないとこの列には並んで立てない。


そしてお母様と霊媒師だけが特別ではなく、きっとこの列に並ぶすべての部族長たちが同じような緊張感で戦っているのだろう。途端にさっき並んでいた部族長が凄い人たちに思えてくる。


「リルカ、私が良いと言うまで、何があっても、動かずに立ってなさい。」


不意にお母様から恐ろしい命令を言い渡される。

それは淡々とした口調ながら一言一句強調するように短く区切っていて、言外に反論も抗議も一切受け付けないという宣言を含む絶対的な言霊として私の心に刻み込まれる。


何があっても?


何があるのよ!

これ以上いったい何が起こってどうなっちゃうのよ!


とんでもなく危険なところに私は立っている。

不安ばかりが募って心は訳も分からず焦って、頭は何をどこからどう考えて良いかすら分からず混乱しているのに、先ほどのお母様の言霊に縛られた私はピクリとも身体を動かせない。


あ、前方の近衛軍の中にお兄ちゃんたちを発見!

なんかカイサがこっちを指差して笑っているわ。

くぅぅ!なんだか悔しい。

きっと“リルカの奴、緊張してカチコチだ”とでも言っているんだわ。

皆も一度こっちに立ってみなさいよ。絶対すぐに逃げ出すんだから。

カイサはあとでとっちめてやるんだからね。覚えてなさいよ!


でもお兄ちゃんたちを見ていたらなんだか頭の混乱が収まってきたわ。

よし、落ち着こう!


固まった身体を膨らませるように大きく息を吸い込んでから逆に肺の中の空気を全て絞り出すように深く吐き出す。

そんな深呼吸を2度3度と繰り返してやっと頭が働きだす。


お母様がわざわざ私をここに連れてきたのはきっと理由があってのこと。

私のお披露目って言っていたからには、きっとこの霊媒師や部族長たちに私の印象を刻み込まないといけないんだ。

自分自身の印象なんて分からないけど、少なくとも怯えてても泣いててはみっともないわ!


いつもどおりの私で、心を平静に、なんでもないや!って顔で、でも力の抜けた間抜け面じゃなくて、凛々しい顔を見せよう。


唇は軽く結んでほんの小さく口角を上げる。

口元に僅かに笑みを作ったのは余裕をみせるための虚勢。

だけどそれでもやらないよりマシだわ。

目は大きく見開いて睨むでもなく強くまっすぐ正面を見据える。

イメージは殺気ではなく好奇心。その人の心の裏側まで全てを見通す様な目。

よし、これでいこう。これがいつもの私よ!


あ、でもまたちょっと涙が滲んできちゃった。

こんなところで泣いたら台無しだわ。

これは欠伸あくびなんだからね!こんなところで欠伸しちゃうほど余裕なんだから!

ふわ、ふわわふ。


そんな感じで私が欠伸を堪えていると“それ”はやってきた。


私が必死に取り繕った表情と態度をぶち壊すかのように“それ”は近づいてくる。


“それ”は、見る者の心を不安にさせる異形の姿。

まず目につくのは通常の人の2倍以上の大きさがある頭。

そして4歳児が書いた似顔絵をそのまま写実的に仕上げたような造形の顔。

大きく離れた目は左右非対称に窪み、ゴリラのようなせり出したおでこ、豚のような低く潰れた鼻、頬骨は殴り合いでもして腫れ上がったように膨らみ、顔の大きさに比して小さめのひん曲がった口が、顔の中心から向かって右側へ大きくずれた位置についている。

さらに首から下は170㎝くらいで普通の中肉中背、よくある猫背にポッコリ腹な体型と思いきや、手首から先と足首から先だけが顔と同じように普通の倍以上の大きさになっている。

体型から想像するに、おそらく人間で、男なのだろう。


手足と頭の大きさで遠近感が狂う。

歪んだ造形に心が悲鳴をあげている。

嫌な汗が滲み出てくる。

人には本能的に生理的に不安や恐怖を感じてしまう造形がある。

たくさんの穴が空いたものや鳥肌のようにボツボツと突起の多いものなど。

この男の造形はまさに人の不安を掻き立てるものだった。


男に向かって霊媒師が会釈をすると、男は満足そうに口を歪ませた笑みで頷く。


あれ!?

霊媒師を覆っている影と同じものが、ひと欠片、その男の肩周りにもくっ付いているようにみえる。


「そちらが将軍とその娘だそうですよ。」


「ん~?これが将軍の娘か?」


前を通り過ぎると思った男は霊媒師の言葉で急に立ち止まり、私の顔を覗き込んでくる。

男は顔をさらに歪ませて、顰めているのか、にやけているのか分からない。


私の全身の毛が逆立つ。

頑張って取り繕っている自分の顔が引きつったのが分かる。

大きく開いていた目は迫ってくる顔を睨むように細める。


私の反応は男の外見に対する拒否反応も否定しないが、むしろ顔を厭らしく歪ませて他人の顔を覗き込むような無礼な態度に腹が立ったせいだ。


「こんな枯れたモロコシみたいな細さで近衛軍だとぉ?ろくな物食べさせてもらってないのか?余のハーレムに入るか?腹一杯食べさせてやるぞぉ?ん?ん?ん?ん~?」


疑問形を連発しながら男は身体を屈めて、声の感じからおそらく笑っているのであろう、下劣に歪んだ笑みを浮かべた顔をますます近づけてくる。


ちゃんと美味しいものお腹いっぱい食べているわよ!

お母様に言われて動けないけど、近づけてきたこの顔をぶん殴ってやりたい。


ていうか良いよね。


誰だか分からないけどこんなに顔を近づけるなんてこの私にチューする気に違いないわ。

私の貞操の危機だからここで殴っても正当防衛よ。

きっと誰からも咎められないわ。

うん、お父様は褒めてくれるはず。


よし、私の右フックが一番力が入る位置まで顔が来たら撃ち抜こう。

あのなんだか気味の悪い影もまとめて、下卑た口の下、あのへんてこりんにでっぱった顎を粉砕する。


あと少し。


3.2.1……。


「ングルウェ殿、リルカより離れるように。手を出せば死ぬことになる。と王が仰せです。」


祭壇から神官の声が割り込んできた。


王は臣民に対して直接に声を伝えることはない。

王の動きも言葉も神官が代わりに伝える。

つまりこれはお父様の言葉だ。


男はピタリと動きを止め、興が削がれた様に口角を下げて身体を起こして振り向く。

あと0.1秒あればその顔に右フックを叩き込んで上下に180度回転させてやったのに。

お父様も止めるならもっと早く止めてよね。


「なぜ余をングルウェと呼ぶのか?余はムハンマドだろぉ?」


振り向いた男はなんだか急に余裕が無くなったように声を荒らげる。

違った名前で呼ばれたことが随分と気に障ったようだわ。


「お母様、どっちが本当の名前なの?」


「彼は親にングルウェって名付けられたそうよ。でも部族長になってからイスラム教徒に改宗したの。ングルウェは豚って意味よね。イスラム教徒にとって豚は不浄で穢れた動物だから、どうしても名前を変えたくてムハンマドって勝手に名乗っているみたいよ。」


私が声を潜めて尋ねると、お母様は特に周りをはばかることなく、ングルウェにも聞こえるような普通の声で答えてくる。

それを聞いてングルウェが殺気立った視線だけをこちらに向けてから、ゆっくりとこちらに向き直る。


「何をペラペラと余計な事を喋っているのだ?だいたい貴様はお飾りとはいえ女の分際で将軍などと名乗っている恥ずかしい立場だぞ?しかもそんなひょろひょろの不格好な姿を晒して王の嫁としてみっともないとは思わんのか?」


お母様に向かってなんて失礼な!

やっぱりさっき私の右フックを喰らわせておくべきだったわ。

でもお母様に向かって“ひょろひょろの不格好”とかって意味分からないわね。こんなにおっぱいもお尻も大きくてプリンプリンでセクシーなのに。


右側からフン、と鼻で笑う声。

振り返ると霊媒師は視線も正面を向いたまま。でも僅かに口元はほころんでいる。

私が見ていることに気が付いた霊媒師が小さく低く重い声で呟く。


「歴史を軽んじる者が歴史を作れたことなど、一度もないのですよ。」


直接的じゃないけど、お母様のことを批判しているのは分かる。

この霊媒師は儀式の邪魔をするなと言っておいて、なぜかこの男を止める素振りもない。

きっとこの2人は仲間だわ。

一緒になってお母様を陥れようとしているに違いない。


2対1は卑怯よ!私がお母様を助けなきゃ!


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