6歳の11月(4)
6歳の11月(4)
崖の角にオニカが辿り着いた感触が引っ張る縄から伝わる。
最後の引っかかりを4人で渾身の力を込めて引っ張り上げる。
「オニカ、今引き上げるだす!頑張るだす!」
「ぬがぁぁぁぁ!」
耳が痛いほどの絶叫と共に、大きな異形の物体が現れて崖の上に乗り上げる。
それは人の上半身の形をした蜂の塊だった。
オニカの肌はどこにも見えず、二回りほど大きくなった蜂の塊は表面が蠢き、人の形をして動き、甲高い羽音をあげている。
「ぎゃー!無理だす!」
オニカを覆っている蜂の一部が、一番先頭で悲鳴をあげたフマを新しい獲物として襲い掛かる。
「ふひぃ!ひぃぃぃ!こっち来るなだす!」
「急に縄を離すな!!」
「フマ!早く戻るのである!」
急にフマが縄を手放して逃げ回る。
私たち3人だけでは縄を支えきれない。
オニカは縄の支えが急に緩んでバランスを崩してしまう。
手が宙を掴むように動くのがゆっくりゆっくりと見えた。
「ぬ、ぬ、ぬわー!」
オニカがまた落下してしまった。
勢いがついたオニカを支えられなくて縄を掴んでいた3人とも転んでしまう。
フマは蜂から逃げ回っている。
「オニカあんちゃーん!」
巻かれて置いてあった縄は猛烈な勢いで次々と送り出されていく。
オニカの叫びが遠くなっていく。
縄に飛びつこうにも近づけない。
縄が伸びきったところで、括り付けられていた大きな木に衝撃を与えて止まり、キリキリと音を立てるように張り詰めている。
私は崖の淵に飛びつき、下を覗き込む。
「リルカ!落ちるんじゃないぞ!」
アディルとカイサも追い付いてきて私の服や足を掴んで落ちないように支えてくれる。
オニカはかなり下の方まで落ちたが、途中で止まって暴れている。
「良かった!途中で止まっている!まだ生きてる!」
「おい、縄がまずいぞ!」
「崖の角に挟んでいた草の束が外れているのである!」
脇を見上げると尖った岩の上で張り詰めた縄はもう半分くらいまで千切れていて、今もオニカが暴れる度に、縄が揺れて岩に擦れる度に、プツ、プツ、と音を立てて繊維が弾けていく。
「だめー!オニカあんちゃん暴れないでー!」
少しでも縄の負担を減らそうと身を乗り出して崖から下がる縄を掴んで引っ張るが、うつ伏せの姿勢では大した力は入れられない。
「ダメだ!リルカまで落ちるぞ!」
「何か、別の方法を考えるのである!」
「いやー!オニカあんちゃんが死んじゃう!いやー!」
「ふひぃぃぃ!助けてだす!ふぎゃっ!」
蜂から逃げて走り回るフマが背後の方で、張り詰めていた縄に足を引っ掛けて盛大にすっころんだようだ。それは尖った岩が残り少なくなった縄を断ち切るのに十分な力だったらしい。
張り詰めていた縄は弾けるような大きな音を立てて飛び跳ねる。
私の掴んでいた縄は必死で止めようとするも無情にも手の中を滑って抜けていく。
「ぬ、ぬわー!」
「いやー!オニカあんちゃーん!」
「リルカ!落ちるぞ!」
「アディル!引き上げるのである!」
私の手から縄が離れて行く、オニカの叫びが遠くなっていく。
私が崖の上に引き上げられるのと同時にオニカの叫びが途切れた。
「いや”ー!オニガあんぢゃんがじんじゃったー!うわーん!」
「落ち着け!しっかりしろ!まだ死んでない!早く下に助けにいくぞ!」
座り込んで泣き叫ぶ私を、アディルが肩を掴んで揺さぶってくる。
オニカが脱落した。
しかも死んじゃったかもしれない。隊長である私の責任だわ!こんなことになるなんて!
「ふひぃぃ!痛い痛いだす!助けてだす!」
そこにフマが蜂の大群を引き連れて私たち3人のところに駆け寄ってきた。
「静かに!蜂蜜猟師から蜂に襲われない極意を聞いているのである!静かに伏せていれば蜂は襲ってこないのである!二人とも伏せるのである!」
カイサの言うとおり、3人で頭を押さえて地面に伏せる。
「ふひぃ!いたたた!痛いだす!」
そこをフマが駆け抜ける。
「静かに!静かにするのである!」
カイサが声を殺して叫ぶ。私も我慢して地面に伏せ続ける。
「ふひぃ!助けて!助けてだす!痛いだす!」
さらにそこをフマが駆け抜ける。
「静かに!我慢するのである!」
カイサが殺しきれない声をあげて叫ぶ。何十匹もの蜂が私たちの周りを飛び回って様子を伺っているのが分かる。怖いのを我慢してひたすら地面に伏せる。
「ぎゃー!痛いだす!助けてだす!」
そこにフマが地面をゴロゴロと転がってきてカイサに乗り上げる。
「フマ!いい加減にするのである!蜂蜜猟師の極意が台無しである!」
カイサは大声をあげて起き上がり、フマを蹴り飛ばす
黒い雲のように固まった蜂の大群は二つに分かれて、今度は大声を出して暴れるカイサに襲い掛かる。
「ふんぬぅぅ!いた!いたたた!痛いのである!ぎゃー!」
フマとカイサが蜂にまみれて転げまわる地獄絵図と化した場所から、アディルと私は匍匐前進で大きな木の所まで抜け出す。
「リルカ、予備の蚊帳がここにある!被るぞ!」
アディルは腰の袋から蚊帳を取り出して、私と一緒に頭からすっぽりと被る。
薄い網が一枚あるだけだが、圧倒的な安心感。
黒い雲の恐怖から一瞬逃れたけど、目の前ではカイサとフマが蜂の大群に襲われて悲鳴をあげて転げまわっている。
「ずるいだす!わても中に入れるだす!」
フマが蚊帳に気が付いて駆け寄ってきた。
「ふざけるな!そんな蜂まみれの状態で蚊帳の中に入ったら意味ないだろ!」
「そんなこと言わずに入れてだす!もう限界だす!」
蚊帳を一枚挟んでアディルとフマがもみ合う。
蚊帳の網は非常に軽く薄くできている。その分強く引っ張ったりすると簡単に。
もみ合っている二人の間で、ピィッと音を立てて蚊帳が大きく裂けた。
手でふさいでなんとかなる大きさの穴ではない。
「うわー!せっかくの安全地帯が!フマこの野郎!」
「自分だけ安全地帯にいようなんて副隊長失格だす!」
2人は破けた蚊帳を無視して取っ組み合いの喧嘩を始めるが、蜂はそんなことに構わず二人に襲いかかる。
「いて!いててて!いたいぞ!クソ!フマめ!いってー!」
「いたた!痛いだす!もうだめだす!」
フマはまた一人で転がりまわり、アディルは蜂を追い払うように手を振り回す。
アディルの足元では大量の蜂に取りつかれたカイサが横たわって呻いている。
カイサが脱落した。
みんなが次々に脱落していく。カイサは事前調査までして、本当によく頑張ってくれたのにどうしてこうなったの?
やばい、このままじゃみんな死んじゃうよ。どうしよう隊長である私の責任だわ!助けを呼ばないと!蜂から逃げ回る3人に背を向けて、獣道を駆け下りる。蜂蜜猟師に助けを求めよう!きっとなんとかしてくれるわ。
途中で躓き、転びそうになりながら山を駆け下りていると後ろから何かが転がるように追いかけてくる。
そして嫌な甲高い音の蜂の羽音も一緒に近づいてくる。後ろを振り向くのが怖い。でも音が近づいてくるのが速い。追い付かれる!恐る恐る振り向くと蜂の大群を引き連れたフマが迫っている。フマはまさに転倒してそのままゴロンゴロンと転がるように落ちてきている。
「ふひぃぃぃ!止まらないだすーー!」
「いやー!こないでー!」
恐怖に泣き叫びながら獣道を駆け下りる。私も途中で転んで2回転してまた起きて駆け続ける。後ろからはフマが転がってくる。どんどん近くなってくる。フマの身体が迫り、私が蜂の大群に飲みこまれる寸前に山を下りきり、フマは地面に激突して止まる。私は村に向かってそのまま走り続ける。
「たすけてー!蜂蜜猟師のおじちゃーん!」
見えてきた村に向かって叫ぶが、蜂蜜猟師の家までまだ距離がある。
「蜂蜜猟師!助けてだすー!」
後ろから聞こえてくる声に怯えながら振り返るとフマが蜂の大群に囲まれながら駆け寄ってくる。
「いやー!こないでー!」
「助けてだすー!」
どうしよう、どうしよう!フマを、あの蜂をなんとかしないと。助けを呼べないわ。早くしないとみんな死んじゃう。
必死に考える私の目の端に雨水を貯めるための大きな甕が並んでいるのが見える。
大人が一人なら余裕で潜れそうな大きな甕だ。雨季だからか水がたっぷり入っている。
蜂は泳げない。あの甕に飛び込んで潜ればどんな蜂の大群でもやり過ごせるはず!
走る方向を急に変えて甕に向かう。
フマも何故か私の後ろを追いかけてくる。もう前が見えていないのかもしれない。私の気配だけを感じて追いかけてくるフマとそれを囲む甲高い唸り声を発する黒い雲。
フマ、ごめんね、私は水の中に逃げるけど、無事に逃げ切ってね。
祈るような気持ちで大きな甕に辿り着くと足から水の中に飛び込む。
水の中から上を見上げると甕の口からどんより曇った空が揺れている。
バタバタとした足音が近づいてきて、隣の甕で水が大きく溢れかえる音がした。
良かった。フマも甕の中に逃げ切ってくれたのね。
このまま水の中でやり過ごして助けを呼びにいかないと。




