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6歳の10月(16)

6歳の10月(16)


「わっはっは、そいつはリルカ姫が悪いのう。」


「なんでよ!?キノコ爺!」


鬱々と寝付けない夜を過ごした次の日、専門訓練だったので、私は1人で工作部隊の見学に行った。

隊長のキノコ爺に酷い顔をしていると言われて、工房で事情を説明したら即座に私が悪いと言われてしまった。


「ホルデンは本当に狂ったような顔して死にそうな奴隷をずっと叩いていたんだから!止めるのが当たり前でしょ!」


「そうかのう?……って、キノコ爺ってワシのことかい!」


キノコ爺はつるりとした顎を手で撫でて笑いながら同意を拒否する。そういえばキノコ爺って初めて呼んだ気がする。


「そうよ!私は間違ってないわよ!止めるのが人として当然よ!」


「では、なんでそれほど悩むのぢゃ?」


「それは……。私の知らないことがあるから。」


「わっはっは。リルカ姫は賢いのう。」


「私は知らないって言ってるじゃない!」


「賢者は“知らないことを知っている”という。リルカ姫は自分が知らぬことを自覚しておる。自分が間違っているかもしれないことを分かっている。それはとても重要なことぢゃ。」


「私は、やっぱり間違っていたの?」


「リルカ姫は正しかったから、間違ったんぢゃな。」


「なによ、その謎かけみたいな答え。」


「まあ、ちょっとワシの昔話に付き合わんか。」


キノコ爺は工房の窯の上からヤカンを取って、土を焼いたにしてはつるっとした表面に可愛い花の絵が描かれた茶碗に注いで私に差し出す。


「モリンガ茶ぢゃ。落ち着くぞ。」


「ありがとう。可愛い器ね。輸入品?」


ミンの陶磁器を真似て作ってみたんぢゃ。まだまだ上手くいかんな。」


お茶を受け取って両手で持つとちびりと味見をする。香ばしい。炒ったモロコシのような味がする。

キノコ爺も自分のお茶を茶碗に注ぐと、隣に座る。

私はひとつ深く息を吸うと椅子に座り直して話を聞く態勢になった。


「それで、昔話って?」


「ホルデンな。あやつは本当に優しくて泣き虫な奴でな。

昔は怒鳴るのも苦手で、奴隷に鞭を振れないってよく泣いておったもんぢゃ。

しかも鞭の扱いが一級品で、2cmばかりの蜂を狙って叩き落とすほどの腕前なのに、奴隷に鞭を当てられないものだから上司にバレてのう。毎日のように叱られていたんぢゃ。

いつもこうしてワシが相談を聞いてやってた。」


「どこが優しくて泣き虫よ!最低最悪の嫌な奴だわ!私を小馬鹿にした言い方も、滅茶苦茶な鞭の振るい方も、狂ったような笑い声も、全然そんな人じゃないわ。同じ名前の違うホルデンさんじゃないの?」


私の言葉に笑いを返してキノコ爺は話し続ける。


「奴隷の管理をする者は、心に悪魔が取りつくのぢゃ。

奴隷を管理していると心が苦しくなっていく。

奴隷を管理する者はどんどん残虐になっていく。

いつしかその心は、悪魔に蝕まれて化け物そのものに変わっていくんぢゃ。」


「その心が化け物に変わった人が、ホルデンよね!」


「いやいや、あやつは化け物にならなかった。心を悪魔から守り切ったんぢゃよ。」


「どうして?あんなに酷い事をしているのに、化け物じゃないっていうの?」


キノコ爺は天井を仰ぐように見ると、大きく息を吸って考えだす。


「うーん。そうじゃな。

リルカ姫、ワシは家畜が話せなくても命令通り動かなくても優しい気持ちでいられるのに、

奴隷が話せなくて命令通り動かないと非常に苛立つんぢゃ。

何故だと思う?」


「家畜は話せないし命令通り動かないことがあるのが当然だから、まあ気にしないよね。

奴隷は……。」


奴隷は当然話せる?命令通り動ける?現実はどうだった?

考え込む私にキノコ爺が優しい顔で話しかける。


「それはワシが期待しているのがいけないんぢゃ。

人だから話せる、命令通り動けると期待するのが間違ってる。

奴隷は奴隷ぢゃ。人ではない。勘違いしてはいけないんぢゃ。」


何度も何度も聞いた言葉、“奴隷は奴隷”という言葉に私は身を凍えるように縮ませる。


「奴隷が人だという勘違いを続けていると、会話もできない命令通り動かない奴隷を“劣った人”だと考えてしまう。

“劣った人”はいつしか“家畜よりも劣った動物”に変わり、“害のある虫けら”にまで存在が落ちていく。人が“害のある虫けら”には何をしても良いと考えるのも不思議ではない。それが心を悪魔に蝕まれるということぢゃ。」


「奴隷は奴隷……。」


私はキノコ爺の話す内容を確かめるように言葉を呟く。


「だがホルデンは心を悪魔に蝕まれながら、奴隷を“劣った人”だと考えてしまう自分自身を責めた。

“奴隷は人だ、自分と対等であるはずの人だ”と信じていたホルデンだからこそ、“劣った人”だと考えてしまう自分を嫌悪した。

ホルデンは奴隷を鞭で叩く度に、怒鳴りつける度に、自分を責め続けて最後には鞭を振えなくなった。

そしてワシの所に泣きながら仕事を辞めたいと相談に来たんぢゃ。」


「それで?なんでホルデンは辞めなかったの?」


「ワシはその時、将軍と打合せをしていたのぢゃよ。」


「お母様!お母様が引き留めたの?」


「一緒に話を聞いた将軍はホルデンを褒めた。化け物にならずに耐えた心を褒めた。

その上で、奴隷の解放を手伝って欲しいとホルデンにお願いしたのぢゃ。

まだそのころは奴隷の解放制度が無くてな。奴隷は死ぬまで奴隷ぢゃった。

将軍は奴隷の解放制度を任せられる人材を探していた。」


「奴隷の解放……。」


「ホルデンは悩んだ。

当時“奴隷の解放”だなんて考えてもみなかったが、それはホルデンの理想だった。

だが、奴隷を解放したところで、その奴隷はどうする?

言葉も話せず、何の仕事もできず、村の仲間にも入れず、どうやって生きていく?

盗人でもしてまた奴隷に戻るか。

そうぢゃな、まだ飯が食えるだけ奴隷の方がマシぢゃ。」


奴隷が解放されてからどうやって生きていくかなんて、考えたことも無かったわ。


「ホルデンは考えに考えてひとつの答えに辿り着いた。

必要なのは教育ぢゃった。

言葉はもちろん、畑や牛の世話を覚えるのに加えて、工作部隊や補給部隊、各村々を手伝って仕事や常識も覚える。そして何より、一緒に働いた人々に仲間と認めてもらえるよう頑張る姿を見せつけて信用を得る。

言葉、仕事、仲間。

これが奴隷が解放された後も一人で生きていくための土台として必須の条件ぢゃった。

こうして、指揮と管理だけだった奴隷部隊の仕事に、教育が増えたのぢゃ。」


言葉、仕事、仲間……。ホルデンは教育するって言ってた。全身全霊で叩き込むのが仕事だって。


「最初、優しいホルデンは奴隷を集めて授業を開いた。しかし奴隷は甘えてしまってろくに覚えなかった。奴隷たちは管理する目が届きにくい各地での仕事の手伝いをサボってばかりいるので、工作部隊や補給部隊、各村々の評判も悪かった。

そんな状態ではもちろん奴隷が解放されることなどなかった。

要するに、ホルデンは奴隷に舐められたんぢゃな。

ホルデンは自分の優しさが、甘さが、奴隷にとって害悪になっていることを悟った。ホルデンが厳しく教えれば教えるほど、奴隷ははやく解放されるのが分かったんぢゃ。」


“私の優しさとホルデンの鞭と、どちらが奴隷たちを救うのか?”私は奴隷にそう言われた。私は守ることしか考えていなかったけど、その先の奴隷たちはどうなるの?


「そうして考えを変えたホルデンは、自分をとことん嫌な奴に仕立て上げ、苦手な怒鳴ることも、嫌いな鞭を振うことも躊躇わなくなった。自分の心を守るために、自分が演じる人物を作り上げたんぢゃな。」


あのホルデンが全部演技?私に対する態度も、奴隷に対する態度も、全部?


「変わったホルデンが厳しく教え続けているうちに、ついに最初の奴隷が解放されたんぢゃ。

解放された奴隷は、ホルデンに向かって泣きながらこう言った。


“ありがとう。あんたの教えのお蔭で、おいらは堂々と生きていける。”


ホルデンの思いは奴隷にも伝わっていた。解放された奴隷は、人になったんぢゃ。」


私は言葉を失って、その解放された奴隷を想像しながら、オニカの言葉を思い出していた。

ホルデンが奴隷を解放してくれたから、オニカの今がある。

そう思うと、胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、それがとても大事なものだと思ったからしっかりと口を閉じて飲みこんだ。


「“奴隷は奴隷だ。それを忘れたらお前らが人じゃなくなる”ってホルデンが言ってたわ。」


「それはホルデンが常に言い続けておる、悪魔に心を蝕まれないための戒めぢゃな。化け物になるなってことぢゃ。」


知らなかった何かが降ってきて私の中で組み上がっていくみたいに、つっかえて邪魔になっていた私の中の大きな石が砂になって崩れていくみたいに、私の心が刻一刻と入れ替わっていくのが分かる。だんだんと目の前の光景が明るくなっていく。

それはキノコ爺の頭のキノコが光っているのではなくて、暗かった世界に朝日が射しこむような、高い丘に登って世界を見渡すような気分。



「リルカ姫、奴隷は何ぢゃ?」


「奴隷は…。奴隷ね。」


「そうぢゃ。

奴隷は劣った地位だが、中には人より優れた能力を持つ者もいる。

奴隷に自由は無いが、中には人より素晴らしい心を持つ者もいる。

奴隷は人より劣った存在ではない。そうぢゃな?」


「そうね。奴隷は奴隷で、人より劣った存在ではない。その通りね。」


「リルカ姫は奴隷をどうしたいのぢゃ?」


奴隷を?

お母様とホルデンは奴隷を解放する道筋を作ったわ。

私はどうしたい?


奴隷も幸せに暮らせるように?

違う。

奴隷がみんな解放されるように?

そう、奴隷なんてなくなってしまえばいい。


でも奴隷がいない国なんてありえるの?

どんな国だって奴隷がいるのは当たり前。

どこに奴隷なんていない国があるの?


いや…。あった。


毎日のように話を聞いている。

私は知ってるの。

奴隷がいない国、奴隷が必要ない国があるの。


みんなが自由に生きていける国。

御伽話の国。お母様がお話してくれる御伽話の中の国だわ!


「私は奴隷をこの世界から無くしたい。奴隷が必要ない世界にしたい。みんなが自由に生きていける世界にしたい!」


キノコ爺はニッコリを笑って頷くと、頭を撫でてくれた。


「どうしよう。私、ホルデンに酷い事を言ったわ。」


「大丈夫ぢゃよ。ホルデンほど心が強くて優しい男はおらん。

リルカ姫の事もすでに許しているはずぢゃ。」


「キノコ爺!ありがとう!謝ってくる!」


「キノコ爺ってワシのことかい!」


私は工房を飛び出して、昨日の村に向かって駆け出していた。


---


昨日の村では奴隷部隊の正規兵たちが集合しており、その前でホルデンが立って何か喋っている。


私がホルデンを呼びかけて駆け寄ると、ホルデンは見下すような目線でうんざりした表情を浮かべる。

奴隷部隊のみんなはニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて、私たちを見ている。


「おや!こーれはこれは……」


初めて会った時と同じ、ヘンテコな調子の声色で述べる口上を遮って、私は大きな声で話し出す。


「ホルデン。ごめんなさい酷いこと言って。ホルデンがやっている仕事はとっても立派だったわ。奴隷の教育も解放も、みんなホルデンが頑張ったってキノコ爺が言ってた!」


「キノコ爺?キノトの爺さまか!クソが何喋りやがった!」


「私ね、いつかこの世界を変えるわ。

奴隷をこの世界から無くす。

誰も奴隷になる必要がない世界にする。

みんなが自由に生きていける世界にする。


ホルデンが奴隷の面倒をみなくていい世界にするの。

ホルデンの仕事を無くしちゃうんだからね!」


「そんな世界が本当にできると思っているのか、ほんと、やんなっちゃうな。穢れてないガキが。」


初めて会った時と同じ、酷く臭いものを嫌悪するような顰め顔で腐してくるが、今度は僅かにニヤっと綻ぶ口元を見逃さなかったわ。

ホルデンはくるりと背中を向けた。

奴隷部隊のみんなのニヤニヤした顔は最高潮、大笑い寸前だ。


「仕方ねえ、リルカ姫が目指す世界が来るまで、せいぜい頑張るとしますかね。ほら、帰った帰った。」


背中を向けたままホルデンがハエを追い払うように手を払う。

でも声色がなんだか愉快そうだ。後ろを向いた顔はきっと笑っている。


「わはは!おい、また隊長が涙目だぜ!」


「げははは!今年も隊長の下手くそな演技は傑作だな。笑いが止まらねえよ。」


「やめろ!てめえら!」


大笑いする奴隷部隊たちに囲まれて冷やかされているホルデンの焦った声に、自然と私もニヤニヤとした笑みがこぼれてしまう。


「ホルデン!ありがとう!」


なんだか私は嬉しくなってお礼を言ってから、奴隷部隊のみんなに大きく手を振って、キノコ爺のところへと駆け戻った。


とりあえず私の心は晴れたけど、やらなきゃいけないことがどんどん増えていくわ。

頑張って訓練して勉強して、強く賢くならなきゃ!


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