6歳2月(7)
6歳2月(7)
「ただいま、お母様。何かあったの?」
ひとしきり市場を回って満足した私は交易拠点に戻った。
しばらくおタマさんとおスミさんと3人でお茶をしながら、今日あったことなどをお喋りしたあと、
寝るための部屋へ戻ると、お母様が難しい顔をして書類と睨めっこしていた。
「おかえり、リルカ。セナでマラヴィ帝国方面からの奴隷の持ち込みが増えているのよ。ムウェネムタパ王国がポルトガル商人への奴隷販売を止めたせいで、代わりにマラヴィ帝国の商人やアラブ商人が奴隷を持ち込んで売っているみたい。」
最近のムウェネムタパ王国では、ほとんどの奴隷が国内で農奴や労働力として使役される。つまり外国へ販売されることはない。その待遇も随分とマシになっている。お母様の農業改革によって作物の収穫が跳ね上がると同時に人手不足になったからだ。
それにムウェネムタパ王国においては、奴隷であっても解放される道がある。
奴隷部隊の隊長、ホルデンが苦労して始めた制度は広がり、奴隷になった人にも希望が見えるだろう。
私の夢の1つである、“奴隷のいない世界”に向けて素晴らしい一歩を踏み出している。
しかし、ムウェネムタパ王国が奴隷を売らなくなったことが原因で、ポルトガル商人の奴隷買取価格が値上がりし、それを目当てにマラヴィ帝国からの奴隷持ち込みが増えているのは止めようがない。
高く売れるということなら、奴隷狩りのような不法行為も増えているのだろう。
すべては商売における自然な流れだからだ。
例え、強制的にこの町での奴隷売買を禁止したとしても、私たちの目に見えなくなるだけで、どこかで誰かが奴隷売買することに変わりはない。むしろ税収が減るし実態が見えなくなるしで、損ばかりだ。
ちなみに、ここでポルトガル商人が悪いという考えに向かうのは正しくない。
ポルトガル商人が来てアラブ商人やインド商人を追い払う前には、アラブ商人やインド商人が同じように私たちの国で奴隷を買って外国へ売り飛ばしていた歴史がある。国籍が変わっただけで、どの商人も同じことをしているだけだ。
本当に悪いのは自国民への奴隷狩りを取り締まれない王国だ。
極端な話でいうなら、奴隷狩りをするリスクが1000倍になれば、不法な奴隷の数は1000分の1になるだろう。儲かるからやる。儲からないならやらない。商売とはそれだけのことなのだ。
私は学校で学ぶことで賢くなっている。
何をどう考えたら良いのか分からずに感情の赴くまま、むやみやたらと暴れる必要は無くなった。
原因とその背景を分析し、そして効果的な解決方法まで論理的に考えることを学んだ。
答えはもう出ている。現状を変えたいのなら“商売における自然な流れ”を変えるしかない。
つまり奴隷売買よりも儲かる方法を提供するという事。
もしくは奴隷売買が儲からない、割に合わない状況を作り出す事。
それも売る側と買う側の両方に。
「お母様、マラヴィ帝国ではのんびり私のお見合いなんてしている暇は無さそうね。」
「リルカがマラヴィ帝国の王妃になったら、強引に変えられるわよ?」
「えー。お母様と一緒がいいな。お母様と離れたくないよ。」
「ふふ、私もよ。この世界でリルカだけよ。私が私であることを証明してくれるのはリルカだけ。」
「お母様、何それ?」
「いいの。寝なさい。」
私はお母様に抱きしめられてベッドで目を瞑る。
熱く優しい手が、頭を、背中を撫でる。気持ち良い。
変なお母様。
ぎゅっとしがみついて眠りについた。
◆◆◆
セナの村を出て何日もお母様による特訓が続く。
そうそう、セナを旅立ってから2日後にお母様へ伝令が届いて、
セナの町で20匹以上のワニが同時に川から這い上がってきて大パニックになったと教えてくれた。
お母様がすぐに救援に向かおうと応えると、伝令が言うには“その必要はない”とのこと。
なんでも「パニック戦隊ワニタタクンジャー」という6人の勇者が現れて、見事に撃退したんですって!
でも村中から褒め称えられて女の子たちにもチヤホヤされて調子に乗った彼らは宴会を始め、村中がお祭り状態となり、豪快に金と酒をばら撒いて飲めや歌えのどんちゃん騒ぎの末にポルトガル商館に乗り込んで大砲をぶっぱなして商館を囲む壁に大穴を空け、捕まえようとしたポルトガル兵士たちを蹴散らして逃げ出したんだって。どこかで聞いたような話ね。
指名手配の似顔絵をみせてもらったけど、
頭だけがワニになっているワニ男や、全身がワニ皮のようになっているノッポな男、股間からワニの頭がにょっきり生えているデブ、両肩それぞれにワニの頭が喰らいつくような形で防具のように乗っかっていて大きなハンマーを持つ筋肉男、ワニの尻尾が生えた可愛い子供と同じくワニの尻尾が生えた小さなワニ革の動物、それに白いだぼだぼなローブを纏った魔法使いのような人が描かれていた。
こんなヘンテコな人たち、見たことないよ。
でも私も御伽話に出てきそうな不思議な勇者たちと一緒に戦いたかったなあ。
いやいや、だめだめ。今のままの私じゃ勇者の邪魔にしかならないわ。
まずはククリや弓を使いこなすために訓練しなきゃ。
というわけで今日も今日とて、お母様の特訓で腕も膝も限界プルップル。
これをお父様の肩に押し当てたらマッサージにちょうど良いかもしれない。
特訓リルカのプルプルマッサージ。これで追加のお小遣いゲットだわ。
そんなプルプルした手足で必死に馬にしがみついていると、急に前方の景色が開けた。
「リルカ、海よ。」
お母様の言葉で起き上がってみると、ツェンベレ川の広大な河口と一面の湿地帯。そしてその向こうに見えるどこまでも広がる水、水、水。
ツェンベレ川だって対岸が霞むほどなのに海の果ては見えそうにない。
そして海って青いんだ。空よりも遙かに。
「お母様! 海に行ってみたい! あの海に触ってみたいわ!」
「この先は湿地帯で足場が悪いから北から迂回していくわよ。見なさい、ツェンベレ川が何本にも分かれて海に流れ込んでいるでしょ。その川に挟まれた土地が三角形だからデルタ地帯っていうの。今はちょうど雨季だから川が増水していくつも畑を飲み込んでいるのが見えるでしょ。でもその洪水が肥沃な土を運んでくるから農業に向いているのよ。家を建てるにはしっかり治水をしなきゃだめね。治水方法は――。」
お母様の延々と続く開拓講義を聞きながら海を目指して進む。
海へ近づくにつれて風が湿気をはらむ。微かに聞こえる潮騒の音は私の心までも騒がせる。身体に纏わりつく空気はどこか甘辛いような香りがする。待ちきれない心は身体中を跳ね回り、今にも爆発して口から飛び出そう。溢れ出すソワソワが止まらない。
ついに砂浜に着いた。
私は馬から飛び降りてブーツを投げ捨て、砂浜を走る。砂が熱い! そんなことお構いなしに波打ち際へひた走る。打ち寄せる波が足の裏を冷やして気持ち良い。そのまま波を掻き分け歩を進める。膝まで海に浸かったところで止まり、海を見渡す。
「海だー!」
近くでみた海は、空とはまた違った色をしていた。目の前には澄んで鮮やかな碧。そして遙か遠くは空よりも深い青。今まで赤土の大地と青い空の景色しか見たことがなかった。でもそれだけが理由だと思えないほど強烈に海に惹かれる。
果ての見えない紺碧の水面と、どこまでも広がる蒼穹が、遙か彼方で混じり合う光景になぜだか涙が滲む。私の心が海の果ての、そのまた遙か向こう側へと行きたがっている。
「お母様、この海の向こうはどうなっているの!?」
「また陸があって、国があって、人が住んでいるわ。」
「その向こう側は? そのさらに向こう側は?」
「海があって、陸があって、海があって、陸があって、それを繰り返して一周回ってリルカの後ろに辿り着くわ。」
「ぐるりと1周できるのね。どこかに御伽話の国もある?」
「そうね、いつか……。いつか辿り着くかもしれない……わね。」
お母様も遙か遠くを想像するかのように、薄く笑って目を細める。
「みゃははは! すごい! 海。うみ。うみー! 私はいつかきっとこの海の向こう側へ探検に行くわ! 御伽話の国を探すのよ。お母様も連れてってあげる!」
「ふふ、楽しみにしているわ。」
「おタマさんとおスミさんも一緒に行くのよ!」
「もちろん行くとです!」
急に振られて一瞬目を丸くしたおタマさんはニッコリ応える。
「将軍とリルカ姫が、行くのであれば。」
表情の変わらないおスミさんは波打ち際を見つめながら、そっけなく応えた。
海は私の気持ちを受け入れてくれるかのように、どこまでも広く穏やかにお日様で煌めいていた。




