6歳2月(6)
6歳2月(6)
「ふわー。でっかい建物。」
交易拠点を出て市場に向かう途中で、目に飛び込んで来たのは石積みの壁に囲まれた立派な門構えの建物。門は石造りのアーチで、上部に盾の紋章が掲げられている。
交易拠点も立派な建物なのだけど、こちらは雰囲気が違う。頑丈そうな壁には穴が開いておりそこから大砲が突き出して見えるので、これは小規模だけど城塞なのだろう。ポルトガル商人が盛んに出入りしているから今は商館のように使っているみたいだけど、きっと攻められたらここで戦うのね。
やっぱりポルトガル人って凄いな。遙か遠くの地にこれほど立派な建物を作るなんて。
あの大砲を見ると、身体の奥底から沸き出る恐怖で身震いするわ。
でも怖いもの見たさってことで、大砲の穴を恐る恐る覗き見してしまう。いきなり弾が飛び出てきたりしないよね。そしたら見張りのポルトガル人兵士さんに笑顔で手を振られた。ビックリして逃げてきちゃったけど悪かったかな。ポルトガル人にも良い人と悪い人がいるのよね。警戒しすぎも良くないか。
さあ、まずはお楽しみの市場へ。
やっぱり旅にきたら市場だわ。地元の人が食べる美味しいものはどこかしら。川沿いに並ぶ屋台をフラフラと見て回り、テテの町には無さそうな物を探す。
ここはテテよりも海に近いせいか、魚介類が豊富にある。
そしてココナツが沢山売られていて、山盛りの魚介類をココナツミルクで煮込んだ料理“マタパ”が最高に美味しい! ナッツがコクを出し、モリンガの葉っぱが後味をさっぱりとさせる。
このモリンガの葉っぱは、2回も茹でこぼしてアク抜きしているからこんなに美味しく食べられるらしい。美味しい料理は手間を惜しまないものなのね。
おスミさんは頑張ってレシピをメモしている。
おうちでもマタパが食べられるかな?
王都では新鮮な魚介類が手に入らないから難しいかな。
さて、これだけ賑やかなんだから、お土産にできるような美味しい食べ物でもないかしら。
市場にはマタパ以外にも様々な料理が売られている。
マタパのように手の込んだ料理もあれば、何も手を加えず、塩すら振らずに丸ごと焼いただけという野性の香りをそのままに、素材の味を確認できるものもある。
魚はまだ良い。焼いてあるだけでとても美味しそうに見えるから。せめて内臓を取って、塩や香辛料を擦り込んでから焼いてほしいけど、魚であればまだ焼けた後から丁寧に取り除けば取り返しがつく。
しかしカメレオン。あなたはどうなの?
今さっきまで生きていたと感じさせるほどの瑞々(みずみず)しく彩り鮮やかな外見。それは鮮度としてとても良い事だと思う。ただそれが無造作に串に刺されて丸ごと火にかけられて煙を上げていなければ。
「お嬢ちゃん! 丸焼きカメレオンはどう? 獲れたて焼きたて美味しいわよ! あははは!」
太った屋台のおばちゃんは豪快にカメレオンをひっくり返して焼き続ける。
このカメレオンを美味しそうと認識するのは難しい。
見た目と先入観が邪魔をする。
「お、おスミさん、カメレオンって美味しいの?」
「カメレオンは神様の使いで、猛毒がある。決して近寄ってはいけない。」
「ええー!? あそこで焼いてるじゃない!」
「……と、言い伝えで聞くけど、本当は毒がない。ワニと似た味。」
「あ、食べたことあるのね。毒が無くて良かった。でもワニと似た味ってことは不味くはないのよね。探検隊としては新たな味を前にしてチャレンジしない訳にはいかないかも。おばちゃ……。」
注文しようと顔を上げると、あの存在感のある屋台のおばちゃんが綺麗さっぱりと消えて居なくなっている。あれ? どこ行っちゃったの?
「ワニ……。」
おスミさんがいつもの澄ました顔ではなく、少し眉を顰め、口元をへの字にした困った顔になってこちらを見ながら呟く。
「ワニ? おスミさんはワニの味は嫌い? 私はちゃんと下ごしらえして臭みを抜けば割と好きよ。鶏肉のササミの部分みたいよね。カメレオンがワニ味に似ているなら私には意外と美味しいかもしれないわ。」
「ワニ。ワニ!」
いつも澄まし顔のおスミさんが必死に訴えてくるのも可愛い。そんなことを考えながら、ふとおスミさんの視線が私でもカメレオンでもない何かを見ているのが気になる。視線を辿って横へ振り向くと、3歩ほど離れた地面に生々しいワニが置いてある。それも頭から尻尾まで4m以上ある立派な大きさ。今の今まで生きていたと感じさせるその姿は、ぬらりと光沢を帯びてゴツゴツとした表皮を際立たせている。私は素晴らしい鮮度に感心すると共に、やっぱり美味しそうという感想は浮かんでこない。
そしてワニの円らな瞳をまじまじと見て思い出したことがある。
お母様の御伽話で聞いた“ワニの涙”というお話し。
“ワニは涙を流して獲物をおびき寄せ、涙を流しながら獲物を食べる”という伝説なのだけどワニのウソ泣きなんて子供騙しだわと大笑いしていた。しかし今、目の前のワニは大きくゆっくりと口を開けて、同時に目から涙が零れている。その涙を見ながら同時に2つの発見があった。ひとつは御伽話が本当だったということ。もうひとつは目の前で口を開けているワニが生きていて、私を食べようとしている。
「うみゃああああ!」
地上のワニは想像よりも素早い。私が全身の毛を逆立てて飛び退いた場所で、次の瞬間にはワニの口が音を立てて閉じた。3歩の距離は一瞬にしてジャンプで詰められた。
ワニはさらに身を低くして追撃のジャンプをしようと構える。
私は慌てて飛び退いたからまだ着地していない。
着地してもう一度飛び退く前に追撃が届いてしまう。
間に合わない。ククリを盾に一撃しのげるか……。
「ちぇい!」
脇から飛び込んできた薙刀がワニの鼻先を浅く傷付け、ワニが頭を振って下がる。
「リルカ姫、無事!?」
おスミさんが助けてくれた。距離を離して牽制できる薙刀は安心して見ていられる。
ならば私は――。
「おスミさん、私が弓で仕留めるわ。時間を稼いで!」
ワニを牽制するおスミさんを盾にして、片膝をつき、低い位置から矢を番えて引き絞る。
まだ私では連続して射ることができない。
この一撃で仕留めなきゃ手負いの動物は危険度が跳ね上がる。
ワニの表皮は硬い。
以前、狩られたワニの解体を手伝ったことがある。苦労して切り開いた皮の断面は外側が硬く、内側は弾力があって生半可な打撃を加えても意味がないと知った。
死んで動かないワニを切り開くのにも苦労するくらいだから、鋭い刃を持つ薙刀を使っても鉈のように叩き斬れるククリを使っても、一撃で致命傷を与えるのは難しい。でも私の弓は別格の威力を持ち、鉄板すら貫くことができる。
もうひとつ、ワニを解体して知ったことがある。
この大きなワニの脳みそは、実は目玉ほどの大きさしかない。
直径にして2cmくらいだろうか。身体の大きさに比べると非常に小さい。
そしてそれは目と目の間、硬い表皮の下、表皮よりさらに硬い頭蓋骨で守られた眉間の奥にある。
平たいワニの身体は、いくら正面から強い弓矢を当てても入射角が浅すぎて弾かれてしまう。真上からでも狙わない限り、硬くて厚い頭蓋骨を貫くのは難しい。
でも……。
ワニはおスミさんの度重なる牽制に苛立ち、薙刀の刃先を噛み砕こうと口を開け、顔を上に煽る。
その見た目にそぐわない瞬発力で続けざまに何度も顎門を閉じる。
既のところで薙刀を引いて躱すが、じりじりと距離を詰められるおスミさん。
「くっ! リルカ姫、下がって!」
おスミさんは薙刀へ喰いつかれない様に刃先を上に向ける。しかし私がいるから大きく下がることができない。これ以上ワニが近寄れば、もう薙刀の間合いではなくなってしまう。
でもあと少し、ワニの呼吸が読めてきた……いま!
ワニはここぞと大きく口を開けておスミさんの懐へ飛び込むように迫る。尻尾で地面を押し、後ろ脚を蹴ったその勢いは4mの巨体を跳び上がらせ、魂すら噛み千切らんとする恐ろしい歯がおスミさんの細くしなやかな身体へ襲いかかる。
次の瞬間、ワニの口の中に矢が突き立った。
頭部が爆発したように弾けて鏃が飛び出し、跳ね上がるように身体を反らして、前足が宙を掻く。
前足が着地したワニは身体を硬直させ大きく身震いしながら尻尾を振り上げたかと思うと、徐々に力が抜けていった。口は中に突き立つ矢がつっかえ棒となって力無く半開きになり、頭部を貫いた鏃を見せて静かに尻尾と頭を地面に降りる。生気の失せた目からは涙が零れている。
そう、口の中からは脳みそを守る外皮も骨も無いのだ。
狙い通りに撃ち抜けて安心すると共に嬉しくなってきた。
この弓は本当に取り回しが良くて、どんな体勢からでも素早く狙える。
お母様の特訓が意味のあるものだと実感できる。
「おスミさん、ありがとう。教えてくれなかったらワニに食べられてたわ。」
ワニに薙刀を向けて残心をとるおスミさんの背に抱きつく。
するとおスミさんは私を振り払うように勢いよく振り返って、逆に抱きつかれる。
頭を覆っていた布は解け、美しい黒髪と透き通るように白い肌の顔が露わとなる。
「よかった。大切なリルカ姫、怪我はない?」
美形なおスミさんに格好良い執事服で抱きしめられたまま、こんなこと言われるとキュンとなる。
私を本当に心配してくれていたのだろう。ぬいぐるみのように強く抱きしめられ、頭や背中を撫でまわされて苦し気持ち良い。変な息が漏れてしまう。はふぅ。
おスミさんの抱っこ癖を忘れていたわ。
執事服を着ていると見た目は分かりづらいけど、おスミさんのお腹周りは細くくびれていて、抱きつくと滑らかでしなやかな曲線が感じられて撫でまわすのが最高に気持ち良い。お返しにたくさん触っておこう。上着の中へと手を滑り込ませ、薄いシャツ越しに素晴らしい感触を堪能する。なでなでぐりぐり。
「ん……、や……っ! ちょっとリルカ姫、離して。」
「みゃはは、良いではないか。良いではないか。」
突然、ココナツの上に大きな石の上を叩きつけたような鈍い音がして視界は揺れ、同時に上からの衝撃により私の歯が打ち鳴らされて、目から星が飛び出る。
身を捩るおスミさんの肘が私の脳天にヒットしたようだ。
「い"だい"。」
両手で頭を押さえて、ちょっぴり涙が出ちゃう。
「リルカ姫が悪い。」
男装の美少女が少しのぼせたように顔を赤らめて口を一文字に噤み、細いウエストを両腕で庇う姿はとても良いものだわ。
自分の頭にたんこぶができていないか確かめるようにさすりながら、その姿を愛でてホクホク喜んでいると横から声を掛けられた。
「お嬢ちゃん! こんな大きなワニを一発で仕留めるなんて凄いわね! 焼いてあげるから食べていきなさいよ。」
いつの間にか戻ってきた屋台のおばちゃんが駆け寄ってきて、ワニを引きずって火にかける。
わー。解体とか何もせずにそのまま丸焼きなのね。豪快だなあ。
「最近、たくさんのワニが川からこっちを見ていることがあるんだ。ちょっと怖かったけど、あんたが他のワニの目の前でやっつけてくれたから、もう大丈夫だね。ほら焼けたよ、足が美味いんだ。どんどんお食べ!」
結局仕留めたワニは屋台のおばちゃんにあげた。
代わりに串に刺さったカメレオンの丸焼きとワニの足を一本貰った。
おスミさんはワニ足を片手に持って齧っている。片手に薙刀。片手にワニ足。顔は布でグルグル巻き。とてもシュールな外見になっているけど、おスミさんが気にする様子はない。しかも懐から塩や香辛料を取り出してワニ足に振りかけていた。調味料を持ち歩くなんて、さすが料理人だわ。
そして私は、どこを見ているのか分からない目までこんがり焼けたカメレオンと対面している。
このまま噛り付く勇気が無いので、小刀で皮を切り裂き、肉を削いで口に入れる。
うん、鶏のササミのような脂身の少ないスッキリしたお肉だわ。ワニ肉と似ているといえば似ている。ただカメレオンは食べられる箇所が少ないので満足感が低い。私もワニ足の方が良かったな。




