第7話「後悔」
あんな人を、助けるんじゃなかった。
診療所の裏手で、私はちぎれんばかりの勢いで古い布を洗い続けていた。冷たい水が手に染みるけれど、胸の奥で燃え盛る怒りの炎のせいで、身体は熱があるように熱い。
『仕方のないことなんだ、陽子』
脳裏に、ロバートのあの静かで優しい声がよみがえる。それが何よりも許せなかった。悪気がないからこそ、彼は自分が空から何をしてきたのかを、本当の意味では何も分かっていないのだ。
彼らが「仕方のない犠牲」と切り捨てたものの中に、私のすべてがあった。
目を閉じれば、今でも鮮やかに思い出せる。
父は口数の少ない人だったけれど、手先が器用で、私が十六になったお祝いに、廃材を集めて小さな手鏡を作ってくれた。「陽子は綺麗な手をしているから、いつか先生のような立派な医療の仕事に就くといい」と、照れくさそうに笑っていた。
母はいつも割烹着を着て、家の中を忙しそうに動き回っていた。お米が足りない時代でも、どうにか工夫して、私の大好きなふかし芋を「たくさんお食べ」と差し出してくれた。
そして、まだ八歳だった弟の拓也。甘えん坊で、いつも私の後ろを「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と追いかけてきた、愛おしい私の家族。
あの日――昭和二十年の、あの恐ろしい春の夜までは、確かに私たちはここで生きていたのだ。
夜空を埋め尽くした不気味な爆音。まるで昼間のように街を赤く染め上げた、地獄のような炎。
「陽子、拓也を連れて先に逃げろ!」
崩れ落ちる家の中で、父が叫んだ。それが、父と母の最後の言葉になった。
私は拓也の手を引いて、猛火の中をがむしゃらに走った。けれど、空から降ってきた爆弾の破片が、私のすぐ隣を走っていた拓也の小さな身体を容赦なく引き裂いた。
手の中から、みるみるうちに体温が失われていく。
「お姉ちゃん、痛いよ……寒いよ……助けて…」
そう呟いた拓也の小さな目は、二度と開かなかった。
あの夜、私は家族だけじゃなく、自分の心も一緒に燃やしてしまったのだ。天涯孤独になり、生きる意味を見失っていた私を、先生が診療所に拾ってくれた。だから私は、目の前の命を救うことで、どうにか自分の心を繋ぎ止めていた。
それなのに。
私が手当てをしていたロバートは、あの地獄を私に再び思い起こさせた。
(日本が好きだなんて、よくそんな嘘が言える)
(何も私のことを理解していない)
(やっぱり、あの人は私の家族を奪った敵だ。人殺しだ……)
掃除をしていたバケツの水が、私の涙で波紋を広げる。
「陽子ちゃん何かあったのかい?大丈夫かい?」
先生が訪ねてきた。私は心配させまいととっさに答える。
「あ、はい、大丈夫です。ちょっと水が目に入っただけなので。大したことないです。」
「そうかい。ならよかった。」
もう絶対に、あの山には行かない。彼がそこでどうなろうと、私の知ったことではない。私に関係のないことだ。そうだ。敵国の兵士だもの。本当はあそこでのたれ死ぬ運命にあったんだもの。きっと。
私はそう自分に言い聞かせるように、真っ赤になった両手をきつく、きつく握り締めた。
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