第28話忘れられない星空
陽子が私の前から姿を消して、丸一週間が経っていた。
あの日、彼女をひどく傷つけてしまった後悔で、胸が引き裂かれるような毎日だった。私の折れた足は、彼女が毎日巻いてくれた包帯のおかげで、杖がなくても少しなら歩けるほどに回復していたけれど、私の心は飢えと孤独で干からびかけていた。もう彼女は来ない。そう諦めかけていたその時、生い茂る草木をがむしゃらにかき分ける足音が響いた。
「ロバート……!」
蔦の隙間から飛び込んできたのは、息を激しく切らした陽子だった。
驚きと、それ以上に、もう二度と会えないと思っていた彼女が目の前にいるという圧倒的な嬉しさで、私の胸が熱くなる。だが、喜びを口にする暇もなく、彼女の口から告げられたのは絶望的な報せだった。
「村の男たちと憲兵さんが、あなたを探しに山狩りを始めます。ここも見つかるのは時間の問題です。動けますか?」
その言葉を聞いた瞬間、私の全身の血がスッと冷たくなった。
恐怖が、再び首をもたげる。だが、それは自分が捕まる恐怖ではなかった。もし憲兵たちがここへ押し寄せてくれば、敵兵を匿っていた陽子まで『売国奴』として捕まり、惨い目に遭ってしまう。それだけは、絶対に避けなければならなかった。
「私についてきてください。誰にも見つからない、秘密の場所があります」
彼女は私の大きな手を引き、山道の奥にある、蔦に覆われた小さな岩の洞窟へと私を案内してくれた。
這いつくばるようにして二人で洞窟の中に滑り込むと、ひんやりとした静寂が私たちを包み込む。遠くで聞こえる軍用犬の遠吠えや男たちの怒号に、私は息を殺し、ただ陽子の小さな手を暗闇の中で強く、強く握り締めた。神に祈るなんて何ヶ月ぶりだろう。自分の命のためではない、私の隣で怯えているこの少女を、どうか守ってくれと、心の中で何度も叫んだ。
やがて、奇跡的に追手たちの足音が遠ざかり、山は静けさを取り戻した。
私たちは、初めてお互いの国の看板を捨てて、本当の心を分かち合った。私が上空から爆弾を落とす任務に狂いそうになっていたこと、その恐怖から逃れるためにあの言葉を口にしてしまったことを涙ながらに伝えると、陽子は私の苦悩を受け止め、あの小さな橙色のマリーゴールドの花に触れながら、「あなたをここで死なせたくない」と言ってくれた。
その日の夜、陽子は私の「日本の星空が見たい」という我がままを叶えるために、危険を冒して再び診療所を抜け出し、この洞窟へと戻ってきてくれた。
木々を抜けた先の岩場で、私たちは並んで座り、降るほどの星が散りばめられた満天の夜空を見上げた。
「……きれい……」
星を見上げる陽子の横顔が、かすかな月明かりに照らされて、言葉を失うほどに美しかった。
並んで座る彼女の身体から、夏の夜気の中で、じわりと温かい体温が伝わってくる。そのぬくもりを感じた瞬間、私の胸の奥が、これまでにないほど激しく跳ね上がった。
彼女は、空襲で家族を亡くした被害者だ。そして私は、その空から爆弾を落としていた加害者だ。私たちの間には、戦争という決して超えられない冷たい川が流れている。
それでも――岩の上についていた彼女の小さな手に、私はそっと、自分の大きな手を重ねた。吸い寄せられるように、触れずにはいられなかった。
(あぁ、私は……この少女のことが、好きなんだ)
胸の奥から湧き上がってきたその確かな想いに、私は自分の心が完全に救われたことを悟った。
国籍も、戦争の憎しみも、大義名分も、この美しい星空の下ではすべてが消え去っていた。私は、目の前にいる陽子という一人の女の子を、心から愛している。自分の手が血に染まっている現実から目を背けない。だからこそ、彼女が救ってくれたこの命をかけて、今度は私が、彼女のこれからの未来を、笑顔を守り抜くのだと、星空に向かって静かに誓っていた。
読んでいただきありがとうございます。
評価とブックマークおねがいします。
次回も、お楽しみに




