第23話抜け駆け
戦争が終わってから、街の景色は目まぐるしく変わり始めていた。
私は、戦争がまだ激しかったずっと前から、先生に「いつか戦争が終わったら、もっとたくさんの医療の現場を学びたい」とお願いしていた。その願いが実を結び、少し離れた大きな町の病院に、私の新しい雇い先が決まったのだ。
「先生。今まで、行き場のない私を拾って、育ててくださって……本当に、ありがとうございました」
出発の朝、私は診療所の玄関で、先生に向かって深く、深く頭を下げた。涙が溢れて床にポタポタと落ちる。
先生はいつもの穏やかな笑顔で、私の肩をぽんぽんと叩いてくれた。
「陽子ちゃん、お前ならきっと、たくさんの人を救う立派な人間になれる。自分の信じた道を、真っ直ぐに行きなさい」
先生の温かい言葉を胸に抱き、私は住み慣れた診療所を後にした。村の人たちも「頑張っておいで」と、貴重な握り飯を包んで持たせてくれた。
けれど、村の人たちは誰も知らない。
私のすぐ隣に、大きな風呂敷包みを背負い、不自然なほど深く帽子を被った「大柄な青年」が並んで歩いていることを。
「……大丈夫ですか、ロバート?」
村の境界を抜け、人気のなくなった街道に出たところで、私は隣の青年に声を潜めて話しかけた。
ロバートは深く被った帽子の隙間から、碧い瞳を覗かせて小さく頷いた。
「ああ、大丈夫さ、陽子。……少し、この服は窮屈だけれどね」
ロバートは今、日本人のふりをしている。
おじいさんが日本の横浜で働いていた時代、お土産として持ち帰っていたという、少し古びた日本の仕立て服(着物や国民服のようなもの)を身に纏い、特徴的な金色の髪は帽子の中にきっちりと隠していた。
戦争が終わったとはいえ、まだ世の中は混乱している。アメリカの兵隊だとバレれば、どんな騒ぎになるか分からない。だから彼は、戦後の混乱で身寄りを無くした、日本語の少し不器用な「日本の青年」として、私の新しい旅立ちについてきてくれたのだ。
『私は絶対に陽子を置いていかないし、死なせない』
あの日、洞窟の中で彼が言ってくれた言葉は、嘘ではなかった。彼は、私と一緒に未来の約束を叶えるために、国籍を偽ってまで、私の隣にいることを選んでくれたのだ。
「私の新しい雇い先の近くには、大きな造船所や機械の工場がたくさんあるそうです。ロバートの得意な機械の仕事も、きっと見つかりますよ」
「それはいい。私の技術が、これからの日本の復興に役立つなら、こんなに嬉しいことはないよ。そこでしっかり働いて、お金を貯めて、いつか必ず陽子に最高の医療機械をプレゼントするからね」
ロバートは帽子の下で、悪戯っぽく、でも本当に嬉しそうに微笑んだ。その横顔を見つめながら、私は自分の胸の奥が、これまでにないほど温かい光で満たされていくのを感じた。
これが恋なのかどうか、やっぱり私はまだ言葉にできない。けれど、日本人のふりをして私の隣を歩いてくれる彼の大きな存在が、これからの不透明な戦後の世界を生きる、私の最大の勇気になっていた。
街道の脇には、夏の終わりの名残を惜しむように、黄金色のマリーゴールドの花が力強く咲き誇っていた。まるで私たちを応援してくれてるかのように。
私たちは前を向き、しっかりと歩調を合わせて、新しい街へと続く長い一本道を歩き始めた。
だか、私はこれから起こることは、何も知らなかった。すべてが順調にいったものと思っていた。嵐は過ぎ去った者と思っていた。
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