第20話深まる思い
それからさらに数日が経ち、夏の盛りだった裏山にも、ほんの少しだけ秋の気配が混ざり始めていた。
村の人たちの「お参り」という優しい勘違いに守られながら、私たちは誰にも邪魔されない、二人だけの時間を重ねていた。
「陽子、今日は少し遅かったね。先生が忙しかったのかい?」
「はい。近所のおじいさんの往診があって、さっき戻ってきたんです。……はい、これ、今日の分のふかし芋です」
私が息を整えながら芋を差し出すと、ロバートはそれを受け取る前に、私の手のひらをそっと両手で包み込んだ。大きな、でもとても温かい彼の手。ハッとして顔を上げると、ロバートの碧い瞳がすぐ目の前にあった。
「……陽子、手が擦りむけているよ。血が出ている」
「え? あ、本当だ……。さっき山道を大急ぎで登ってきたときに、岩に少し擦っちゃったみたいです。これくらい、なんとも――」
「なんともなくないよ。いつも私を手当てしてくれる優しい看護師さんが、傷だらけじゃ困る」
ロバートはそう言って、私を岩の上にそっと座らせた。自由になった自分の両足を踏みしめ、いつも私が彼にしているように、私の前に膝をついてしゃがみ込んだのだ。
彼は私が持ってきた医療箱から、清潔な布と軟膏を取り出した。大きな手が、驚くほど器用に、そして壊れ物を扱うように優しく、私の手のひらの傷に触れる。
「……ちょっと染みるかもしれないけれど、我慢してね」
ロバートの低い声が、すぐ近くで響く。
彼が私の傷口にそっと息を吹きかけ、軟膏を塗り広げていくたびに、手のひらから腕を伝って、胸の奥までがカッと熱くなっていくのが分かった。
至近距離にある、彼の綺麗な金色の髪。真剣な眼差し。暗い洞窟の入り口から差し込む茜色の夕日が、ロバートの横顔を美しく、どこか幻想的に照らし出している。
ドクン、ドクン、と、胸の奥の心臓がうるさいほどに暴れていた。もう「走ってきたから」なんて言い訳は通用しない。彼に触れられている場所が、彼の優しい視線が、たまらなく愛おしくて――。
(私……まさか、ロバートのことが――)
その先にある言葉が、一瞬だけ頭をよぎった。けれど私は、恐怖に触れたかのように全力でその思考を打ち消した。
(違う。そんなはずはない。あってはならない。この人は私の家族を、拓也を奪った国の人殺しなんだ。そんな人のことを、私がどうこう思うなんて……お父さんたちに申し訳が立たないじゃないの!)
胸を突く激しい罪悪感に、息が苦しくなる。自分に言い聞かせるようにきつく奥歯を噛み締めた。これは恋なんかじゃない。ただ、毎日一生懸命に看病してきたから、少しだけ情が移ってしまっただけだ。そうだ、そうに決まっている。
「……よし、これで終わり。どうだい、痛むかい?」
私の激しい葛藤に気づくはずもないロバートが顔を上げ、優しく微笑んだ。その碧い瞳に、夕日の光がキラキラと反射して、まるでいつか見た星空のように綺麗だった。
「……いいえ。全然、痛くありません」
私は真っ赤になった顔を隠すように、逃げるようにうつむきながら、彼に手当てしてもらった方の手を、そっと自分の胸に当てた。
ロバートは私の様子に少しだけ不思議そうな顔をしたけれど、やがて私の隣に腰掛け、並んで外の茜色の空を眺めた。
「世界中の空が、毎日こんな風に綺麗ならいいのにね、陽子」
「そうですね……。ずっと、こうしていられたらいいのに」
そっと呟いた私の言葉は、自分の激しい心の動揺を隠すように、夏の終わりの蝉時雨の音の中に消えていった。
いつまでもこの時間が続けばいい、戦争が早き終わってほしいはずなのに。そんな葛藤の中私は空を眺めていた。
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