第17話大切な人
「ロバート……! ロバート……!」
息を激しく切らしながら蔦をかき分け、私は秘密の洞窟へと転がり込んだ。
奥で身を潜めていたロバートが、泥だらけで涙を流す私を見て、驚いたように駆け寄ってくる。その足は、もうしっかりと地を踏みしめていた。
「陽子!? どうしたんだ、そんなに怯えて……何があったんだ!?」
「バレてしまいました……! 近所の人に見られて、今、憲兵さんがここに向かっています! お願いだから、今すぐ逃げて……!」
私は彼の服の袖を掴み、狂ったように叫んだ。けれど、ロバートは逃げようとはせず、私の両肩をその大きな手で静かに、でも力強く包み込んだ。彼の碧い瞳は、驚くほど穏やかだった。
「落ち着くんだ、陽子。大丈夫、私はどこにも行かない」
「何を言ってるの!? 見つかったら殺されちゃうんだよ!?」
「いいかい、よく聞いてくれ。この洞窟は入り口が狭い。私がここに隠れていれば、彼らは気づかずに通り過ぎるはずだ。だから陽子、ユーは今すぐ診療所へ戻って、何事もなかったように過ごすんだ。ユー自身の身を、第一に考えてくれ」
「でも……!」
「信じて、陽子」
ロバートは優しく微笑んで、私の額にそっと手を触れた。その目は信じてくれと言わんばかりに芯をしっかり持っていた。その手の温もりが、私のパニックになりかけた心を不思議と落ち着かせていく。
「ユーが救ってくれたこの命だ。そう簡単には諦めないさ。だから、私を信じて待っていておくれ」
その力強い言葉に、私は彼の言う通り「隠れていれば大丈夫なのだ」と、信じるしかなかった。私は何度も頷き、彼の瞳を目に焼き付けると、後ろ髪を引かれる思いで洞窟を後にし、山を駆け降りた。
(おねがいします、どうか。)
診療所に戻ると、大人たちはまだ緊迫した面持ちでいたが、私が大人しく戻ったのを見て、それ以上は何も言ってこなかった。先生だけが、哀れむような目で私をじっと見つめていた。
一時間、二時間……。
遮光カーテンを閉め切る必要のない昼間なのに、診療所の中はまるで深い闇の底にあるように重苦しかった。
遠くの山の方から、怒号や犬の鳴き声がかすかに聞こえてくるたびに、私の身体はビクッと強張った。
(神様、お父さん、お母さん、拓也……。お願いだから、彼を見つけないで)
(ロバートを、どうか守ってください……)
私は診療所の片隅で、自分の両手をきつく握り締め、ただひたすらに祈り続けた。これほどまでに誰かの無事を必死に祈ったのは、あの空襲の夜以来だった。彼を信じると決めたけれど、胸のザワザワとした不穏な予感は、時間が経つほどに大きくなっていく。
夕方近くになった頃、遠くからザッ、ザッ、と複数の足音が診療所の前を通り過ぎていくのが聞こえた。山狩りを終えた憲兵たちと、村の男たちが戻ってきたのだ。
私は弾かれたように立ち上がり、勝手口の隙間から外の様子を覗き込んだ。
男たちの顔には、さっきまでの緊張感はなく、どこかやり遂げたような、弛緩した空気が漂っていた。その中の一人の憲兵が、肩にかけた銃を直しながら、隣の男に笑い混じりの大声でこう言ったのだ。
「いやあ、手間取らせやがって。手向かいしやがったから、その場で一発撃って殺してやったよ。すっきりしたなぁ!」
「はは、さすが憲兵殿だ。これで村の憂いも消えましたな」
その言葉が鼓膜に触れた瞬間、私の世界から、すべての音が消え去った。
手向かいした。その場で、殺した。
ロバートは、最初から分かっていたのだ。自分の足ではもう逃げ切れないことも、犬の鼻は誤魔化せないことも。だから、私を巻き込まないために、「隠れていれば大丈夫」なんて優しい嘘をついて、私を帰らせたのだ。
「……あ……」
叫び声すら出なかった。私はその場にへたり込み、冷たい床の上に両手をついた。
命を救いたいと願い、昨日、あの満天の星空の下で確かに心を通わせたはずだったのに…。私の生きる意味になっていたあの命が、もうこの世界のどこにも無いという残酷な現実だけが、容赦なく私を打ちのめしていた。
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