chapter③ 7話
洗濯が終わったので、リモンが着ていた衣服一式を持って彼の元へ急ぐ。
リモンは何やら神妙な面持ちで佇んでいた。彼の性格を考慮するに、後ろめたい感情からではないだろう。大方また、変なことを考えているに違いない。
彼に服を渡し、適当な部屋に押し込めて着替えを催促する。数十分ほどして、彼がのそのそと部屋から顔を出した。
「ちゃんと着替えた?」
「……匂いが気持ち悪い」
リモンはぶつぶつと言いながら白衣へ袖を通す。彼の白衣は、血液を完全に落とせなかったためか所々薄いピンク色になってしまっている。あれだけ浴びれば無理もない。彼は最後に、くたびれた毛布を小脇に抱えた。
その毛布の中にあるのは、先程摘出した胎児を詰めた、小さな箱だ。
「使いに出した犬が、予想外の働きをしたな」
リモンは手土産でも持ち帰るように、満足げな面持ちをしている。ヴィンセントは思わず顔を顰めた。
「何だよ、今更後悔してんのか?」
「……いや、この選択に後悔はないよ。ただ、もっと早くに彼女を発見出来ていたら、その子も助けられたかもしれないって、思っただけだ」
「それを後悔っつうんだろうが」
リモンは苛立ち交じりに言い放つ。
「このガキはどうせ普通に生まれてきたって、碌でもねえ人生だぞ」
――果たして、そうだろうか?
――なぜ、そこまで断言できる?
反論しかけて、己の浅はかさに気づいた。
「生きている限り、君には明るい未来がある」などという言葉は、あまりに傲慢で無責任だ。優しさや正義感とて、時に相手を傷つけ、貶める刃になる。
だが、劣悪な境遇に身を置いているからといって、その人生の価値を他者が否定していいはずがない。
彼の言葉を否定するべきなのか。思考が頭の中で、蝋燭の火のようにゆらゆらと揺れる。
その蝋が溶けきる前に、思考を吹き消した。なぜなら――
「そうかもしれないけど、それを決めるのは、僕たちじゃないよ」
自分たちは、ただの部外者でしかないからだ。
二人で黙って店を出る。
今朝の青空とは一変して、視界の先は夕陽で真っ赤に染まっていた。その赤に照らされながら、ひたすら来た道を辿っていく。
「そういえば君、何が目的で外に出歩いてるの?」
ふと沸いた疑問を口にしてみる。
自分から聞いたものの、まともな答えは期待していない。
「どっかに、死にかけてる人間でも落ちてねえかなって」
僅かな沈黙の後、ヴィンセントは薄く笑い、
「一つ提案してもいいかな?今から帰るまで、お互い無言でいよう」
「そりゃ、願ってもないな」
「戻ったぞ」
イルマの元へ漸く帰還する。彼女はベッド上で何かを弄っていたようだが、二人が近づくとキルトを被って、今朝と同じ態勢に戻った。
「遅かったじゃない。一体何処まで行ってきたの?」
「風俗」
リモンが顔色ひとつ変えずに、涼しい顔でさらりと告げる。ヴィンセントはその横で、呆然としたまま硬直した。
彼の答えには間違いも嘘もなく、むしろ真実ではあるのが更に頭を悩ませた。イルマの表情も心なしか固い。
「そう」
その短い一言に、一体どんな感情が秘められていたのか。背中に冷たい汗が伝う。以前、父に付き添って枢機卿に謁見した時のそれと比肩するほどの、凄まじい緊張感に支配された。
「別に隠すことでもないんじゃない?あなたも男性だものね」
幻滅するでもなくあっさりと受け入れられると、かえって居た堪れなくなる。
「それよりもリモン、その手に持ってるものは何?」
「……あのね、イルマ……まず、順を追って説明させて欲しいんだけど……」
ヴィンセントは言い訳がましくならないよう、丁寧かつ慎重に、事の経緯を話した。
「……ふうん、そんなことがあったの」
「あまりにも予定外のことだったけど、何とか解決はしたよ。……彼のお陰だ」
ヴィンセントは隣にいるリモンをちらりと見やる。彼は毛布を剝ぎ取り、「ほらよ」と、持っていた箱をイルマへ差し出した。
「……悪いけど、それは一旦バールベリトに預けておいて。それよりもあなた、ちゃんと言うこと聞けたのね。偉いじゃない」
リモンは不服そうに箱を抱えなおすと、「利口な犬が増えて良かったな」と吐き捨てるように言い残し、部屋を出ていった。
「あの人の相手は、苦労したでしょう?」
「はは……でも偏屈な人とか、口の悪い人との付き合いは慣れてるから」
「そうなの?」
「うん。でも、悪い人たちじゃないよ」
イルマは穏やかな微笑を浮かべた。そして、不意に何かを思い出したような表情を見せる。
「そういえば……一仕事終えたら、部屋でゆっくり過ごすって約束したのに、すっかり置き去りにしてしまっていたわね」
「あー……そうだね。僕も忘れてたよ。ごめん」
「あなたが謝ることなんて、何もないと思うけど?私が勝手に言い出したことなのだし」
イルマは鈴を転がすようにくすくすと笑う。
――その愛らしい笑みが、今は空恐ろしいものに感じた。
リモンが持ち去っていった胎児の身体は、悪魔を引き剥がした後、そのまま朽ちていくだけなのだろう。つまり、待っているのは死だけ。必然、身体は廃棄するしかない。中身を使い切った容器を、ぽいとごみ箱へ捨てるように。
――そんな酷薄なことを、目の前の少女は、迷わずに行えるのだろう。
「あなた、甘いものは好き?今丁度、お気に入りの茶菓子があるのだけど」
「うん、好きだよ」
どこか上の空のまま返事をする。今の自分は、上手く笑えていただろうか。
「そう?じゃあ、少し待っててくれる?」
「いいよ、僕が持ってくる」
ベッドから出ようとするイルマの代わりに、ヴィンセントが雑用を買って出る。彼女の身体を気遣ってのことだが、それと同時に、この場に居続ける気まずさから逃れたいという思いもあった。
イルマの「ありがとう」という温かな声が、去りゆくヴィンセントの背中にかけられた。
◇
ヴィンセントが去ったのを確認すると、イルマは懐からチェーンの付いた小さな石を取り出した。
ルビーやガーネットとも異なる、赤い鉱石。血液を固めて作られたような赤黒いそれは、イルマの手元できらりと鈍い光りを放っている。
「お前が充電切れした原因は分かってる。それに入ってた魔素、あいつの傷治すのに一度使い切っちまったからだろ?」
声のする方へ振り向くと、いつの間にかリモンが入ってきていた。
「驚いた。疲れてもう寝たのかと」
「話を逸らすな。質問に答えろ」
リモンは惑わされることなく、強引に話を進めようとする。誰に対しても常に横柄な彼は、言うことを聞かない患者には殊更に厳しいのだ。
「……こんなもの、大した問題ではないわ。また集めればどうとでもなるのだし」
「魔素鉱石は本来、あくまで緊急時に使う補助道具なんだろ?それでこの先保つのか?」
「……」
イルマが黙っていると、リモンが足早に距離を詰め、彼女の胸倉を掴む。その衝撃で、手にしていた石がシーツの上へ転がった。
「お前、死ぬつもりじゃあねえよな?」
「……私がそんな女に見える?」
医者と患者が、静かに睨み合う。
戻ってきた彼がこの光景を見たら、さぞ困惑するに違いない。緊迫した状況とは裏腹に、イルマは内心で自嘲した。
「お前を生かすのも、殺すのも俺だ」
「そうね」
その脅迫を真っ向から受け流し、イルマは不敵に微笑んだ。




