chapter③ 1話
思えばあの時から、知らない大人たちがよく来るようになった。
春の昼下がり。窓から差し込む陽射しが、とても心地いい。
この季節はいつも、庭の花が満開に咲くのが楽しみだった。
部屋の窓から中庭を見ると、色とりどりの花が顔を覗かせていた。きっと外の植物園も、たくさんの綺麗な花が咲き誇っているのだろう。
遠くで聞こえる、誰かの足音。
いつもは静かな館の中が、どうしてか今日は賑やかだった。
何だろう、と思い一階へ降りると、母が談話室で来客の相手をしているようだった。
行儀が悪いと思いつつ、扉の隙間からそっと中の様子を窺う。
来客は約二十名ほどで、母と同じ年ぐらいの婦人や紳士ばかりだった。中には若い青年の姿も混ざっている。
……こんなに多くの人を、母は一体どこから集めてきたのだろう。私が知る限り、母はあまり人付き合いをしない質だったように思う。
彼らと母が応接室で話しているのを遠巻きで見ていると、母が私に気が付いたのか、手招きをして呼び寄せた。私は気恥ずかしさで顔を赤くしながら、母の元へ駆け寄る。
「この子が以前からお話していた、私の娘です」
母は私を膝へ乗せ、まるで商品のお披露目でもするように、皆に紹介した。
一斉に、視線が私へと集中する。
――可愛らしいね。
――お人形さんみたい。
――将来が楽しみだ。
彼らは口々に私を持て囃した。私はそれを嬉しいと思うよりも、羞恥と困惑を隠せなかった。
助けを請うように、母を見つめる。
私と同じ、金の髪。
私と同じ、魔女の瞳。
こちらの思いが届いたのか、母と目が合う。
母の目には一点の曇りも無く、それをとても美しいと思った。
しかし、それと対照的に。
母の口元が、怪物のように醜く歪んだ。
「この人たちと仲良くするのよ、イルマ」
私はその時初めて、母に対して、形容し難い恐怖を感じた。
◆
イルマの館を去ってすぐに報告書を纏めた。書類仕事は苦でなかったために、深夜を回る前には完了した。これを明日教会へ提出すれば、正式に任務完了だ。
「見てみろヴィンス、クマの解体ショーだ」
レスターが楽し気な声と共に、ヴィンセントの眼前に皿を差し出す。見ると、以前シスターから貰った有名店の焼き菓子が、皿の上で見るも無惨な姿となっていた。
「そういうことするの、本当にやめた方がいいと思うよ」
「食い物をわざわざ動物の形に寄せること自体、悪趣味じゃねえか?」
「屁理屈言わない」
そんな二人のやり取りを、ルーファスは無言で遠巻きに見ている。
教会からの任務を終えたばかりだというのに、帰ってきてから待っているのは、平穏な時間だ。
ヴィンセントは彼らに任務の話はしない。向こうも毎回、無事に終わったかどうかしか聞いてこない。
自分たちはお互いのことを一々詮索しない。ヴィンセントにとっては、それがとても居心地が良かった。恐らく他の二人もそうなのだと思う。
その夜。一仕事終え、疲労で自然と眠くなる筈が、どうにも頭が冴えてしまって眠れなかった。
人は夜になるとネガティブな思考に陥りやすくなるという。人体の不思議だ。
今のヴィンセントも、頭に靄がかかったように薄暗い闇を手探りで歩いている感覚だった。
昨日あの館で抱き始めた不安が、今も焼きついた影のように離れない。
――やはり、明日もイルマに会いに行こう。
幸い明日は非番だ。予定もない。
ヴィンセントとて、彼女の秘密を興味本位で暴き立てたいのではない。ただ不確定な未来を憂慮するよりも、僅かながらでも前へと進んでいたいだけだ。
今日は街が賑やかだ。ロンドンにしては、綺麗な青空が広がっているからだろうか。心なしか、道行く人の表情も明るく見えた。
「お腹空いた!」
雑踏の中、無邪気な少年の声が響く。「もうすぐだから、大人しくしててね」と、彼の母親か姉らしき女性が嗜めた。
それだけの他愛の無い、名前も知らぬ家族のやり取りに、自然と笑みがこぼれた。
昨日と同じく、館へ入るとバールベリトが出迎えた。イルマの部屋へ行っても良いか尋ねると、
「イルマ様のことでしたら、お気になさらず。今後は私と一緒でなくとも、ご自由に入室されて構いませんよ」
思いの外、あっさりと許可を出した。
「わかった。じゃあ、行ってくるよ」
階段を昇って、館西側にある一番奥の部屋まで辿り着く。妙に緊張してしまい、扉をノックするだけで数分ほど時間を要してしまった。
「ヴィンセントだ。入ってもいいかな」
「……ええ、どうぞ」
了承を貰い入室する。
ベッドで上体を起こしているイルマは、いつもの黒とは対照的な白いネグリジェに身を包んでいる。その姿は彼女の抱えている特質と相まって、病衣のようにも見えた。
「イルマ、大丈夫?」
「ええ。もう何ともないわ」
イルマは至って余裕そうな笑みを浮かべている。……それを却って痛ましく感じてしまったのは、彼女に対して失礼だっただろうか。
「あなたも律儀な人ね。わざわざこんな所まで来るなんて」
「だって……君が心配だったから」
イルマは赤い瞳を丸くしたかと思うと、顔を綻ばせた。
彼女の身を案じていたことは事実だが、先ずは彼女に問いたださねばならないことがある。
「バールベリトから聞いたよ、君の身体のこと」
途端に彼女の表情から笑みが引いていく。ヴィンセントはそれに気づかぬ振りをして、言葉を続ける。
「昨日は何事も無かったから良かったけど、大事なことはちゃんと言って欲しい」
「それは……」
彼女は傷ついたような、申し訳なさそうな表情で俯く。そして小さな膝を抱えて、
「ごめんなさい」
と、今にも消え入りそうなか細い声で謝罪をした。
ヴィンセントは目を見張った。率直に言って、彼女からこうも素直に謝罪されるとは思っていなかったからだ。
暫しの間、お互い何も言えずに黙り込む。自分から言い始めたこととはいえ、少し気まずい空気だ。
「ん?」
ふと、ベッドに違和感があることに気が付いた。
彼女の左隣に、何か白い物体が横たわっている。よく見るとそれは、人間の頭部だった。
「あの、君の隣にいるのは……?」
「ああ……彼のことは気にしないで。いつも『こう』なの。困ったものよね」
気にするな、と言われても無理がある。
「彼」ということは、無論男性だ。常識的に考えて、男が少女の寝室どころか、ベッドへ勝手に潜り込んでいい道理はない。そんな状況を平然と受け入れている彼女にも、非常に訝しく思った。
「リモン、いい加減起きて」
イルマが容赦なく彼の頭をはたく。子供が寝坊した時の母親のようだ。
「……」
暫くしてベッドからもぞもぞと現れたのは、白衣を着た青年だった。
寝起きで乱れた白銀の髪に、幽霊のような相貌。見るからに不機嫌といった表情で、悪びれる様子は全くない。
男はヴィンセントに気が付くと開口一番、
「あ?お前、死に損なった野郎か」
と、悪態をついた。
衝撃で固まっていると、「リモン」とイルマが窘める。
「彼はリモン。イルマ様の侍医です」
呆気に取られていると、いつの間にかバールベリトが入ってきていた。どうやら朝食を運びに来たようだ。
「御覧の通り口も態度も悪いですが、腕は悪くありません。そうでなければ、私たちが追い出してますけどね」
当の本人は話を聞いているのかいないのか、大きな欠伸をしていた。
「ちなみに、あなたが襲われた時の傷はリモンが治療したのですよ。勿論、イルマ様の魔術の助けもありますが」
「そうだったんだ……ありがとう」
包み隠さず言えば、かなり複雑だ。教会の人間が、悪魔に助けられたということなのだから。しかしイルマもリモンも、恩人であることに変わりはない。ここは素直に、感謝の気持ちを述べることにした。
「……腹見せてみろ」
リモンはそんなヴィンセントの胸中は知ったことかという風に、低い声でヴィンセントに促した。
「ええ……?まあいいけど……」
ヴィンセントは言われるまま、着ていた白いカットソーをたくし上げる。同性であるリモンはともかく、女性たちの前でというのは何とも気まずい。
「……」
リモンは無言でまじまじと見つめている。イルマはというと、そんな彼の様子を注意深く窺っているようだった。
「いつまで腹出してんだ。早くしまえよ」
「……今の時間、何だったの?」
「ごめんなさい、こういう人なの」
……彼女たちが苦労していることは、想像に難くなかった。




