chapter② 7話
「あの子の痕跡を辿っておいて良かった。まさかこんなに早く次の行動に移ろうとするなんてね」
授業が再開し、廊下は静まり返っていた。
イルマの手元には、先程ジュリエッタから渡された人形がある。それに憑依している悪魔は、不気味なほどに大人しい。微動だにしない様を見ていると、本当に何の変哲もない人形だ。
しかし魔女であるイルマは、その人形に潜む邪気など容易に看破している。
「一応聞いておくけれど……あなたは一体何を企んでいたの?」
人形の首元を強く掴み、その内に巣くっている「悪魔」に問う。
『企むも何も……ボクは最初から最後まで、あの子のためを思って行動していただけだよ』
「ふうん。あの子に悪魔のお友達でも呼んであげるつもりだったのかしら。けれど失敗したから、人間の死体を用意させて、あなたがそれを器にするつもりだったんでしょう。そんな人形よりも、死体でも人間の身体の方が色々と都合がいいものね」
『……やっぱり魔女っていうのは、底意地が悪いね。潰した計画を本人に一々説明するなんて。さっきだって、ボクに何も言わせてくれなかったね』
「……まあ、元気でいられるのは今のうちよ。今向かっているのは、あなたの断頭台だから」
死へ誘う死神のように、イルマが目を細めて笑む。悪魔は刑の執行を待つ死刑囚のように沈黙した。
◇
「……!イルマ、大丈夫だった?」
イルマの姿を見るなり、ヴィンセントは彼女に飛びついた。
『……これは驚いた。君、魔女のくせに粛清教会なんかと組んでるのか』
悪魔がわざとらしく、驚嘆の声をあげる。
「大丈夫よ。約束通り、あの子には何もしていない。あなたが心配することは何も無いわ。……そうよね?」
『うん。傷つけるどころか、ジュリエッタには指一本触れていないよ。お陰でボクは哀れな敗者さ』
悪魔が嫌味ったらしい台詞を吐き捨てる。それが癇に障ったのか、イルマは人形を地面へ無造作に放り捨てた。
「さあ、殺しましょうか」
彼女の言葉に誘われるように、ヴィンセントは懐から銃を取り出した。来る途中彼女に渡された指輪も身に付ける。
「あなたの持つその銃は、唯一悪魔を殺せる道具なのよね?」
「うん。形式的にはね。悪魔は死なないし」
ヴィンセントは少し、言葉を濁した。
彼女にあまり教会側の情報を漏らしたくないという意図もあるが、ヴィンセントですら武器の詳細を殆ど知らないからだ。
シルバーバレットは粛清教会の共通武器で、基本は一般的なハンドガンと同じ構造だ。特殊な造りとなっているのは、銃身というよりも弾丸の方である。
父曰く、銀製の弾丸を聖水に浸したものらしいが、詳細な製造方は粛清教会の隊員ですら知らされていない。因みにもう一つの武器である十字剣は、あくまで牽制や補助としての役割程度であり、実戦で使用することはまずない。
「銃声は周りに響くでしょうし、音は漏れないようにしたわ。何か物が倒れたくらいにしか思わない筈よ」
「ありがとう。じゃあ……」
ヴィンセントが人形へ銃を構えた、その時。
突如軽い爆破音と共に、目の前で土埃が舞った。
――視界が開けると、悪魔が姿を消していた。
「……消えた!?」
再び、周囲で爆破音が鳴り響く。
兵器と呼べるほどの威力はないが、まともに食らえば軽傷では済まないだろう。
「……あいつ、あんな身体でも魔術が扱えるのね。そこそこ格があるのかしら」
「悪魔が魔術を?」
「魔素を扱うという点では、魔術師も悪魔も同じなのよ。だから奴らも魔術を使ってくることはあるわ。私たちからすれば、ただの真似事だけれどね」
そこでヴィンセントは、ルシファーと対峙した時のことを思い出した。
彼は己の血を触媒に「同類」を呼び出せると言っていた。人間で言うところの「魔術」だとも。
「これだけの音が連続して響けば、人が来てしまうかも。……最後に小賢しい真似をしてくれたわね」
イルマの表情に僅かな焦りが見えた。
「でも、音は遮断してあるんじゃなかった?」
「私が張ったのは防音用の結界なのだけど……あいつは防音の許容量を超える大きな音を発生させて、周囲に騒ぎを察知させるつもりなんだわ」
彼女の発言から、己の乏しい想像力を働かせる。
実際、音というものは完全に消すことはできない。仮に優れた防音設備があったとしても、それが耐えうる大きさ以上の音は防げない上、換気扇や扉の隙間からも漏れてしまうからだ。
どれほど強靭な装備や便利な製品とて、そこには必ず何かしらの弱点が存在する。それは魔術も例外ではないのだ。魔術は便利ではあるが万能ではない、というイルマの言葉を痛感した。
「音自体は凝縮させた魔素を周囲にぶつけて発生させてる。勿論それは銃声よりも大きい。まずはあれを止めなくちゃ」
「わかった。じゃあとっととあいつを見つけて潰した方が早そうだね」
「同意見ね。……私に少し考えがあるわ」
そう言うとイルマは不意に、木の棒を拾い上げた。
「『ダウジング』って聞いたことはある?」
「あー……宝探しのアレ?」
「まあ、似たようなものね」
事実ダウジングについては、いつか何かの番組で聞いた程度の知識だ。L字の金属棒を両手に持ち、隠された金銀財宝を探し当てるといった、大雑把なイメージしかない。
「本来はペンデュラムとか正式な道具を使ってやるんだけど、生憎今は持っていないから即席でやるわ。何にせよあの人形の姿では、大して自由に動き回れないでしょうし、そう遠くへはいないはずよ」
イルマは木の棒を親指と人差し指でつまみ、地面に向けて垂直にかざす。するとそれは、ふるふると小刻みに震えだした。
「……ここから十時の方向ね」
「僕が行く」
「気を付けてね。他にも何かしてくるかもしれない」
今現在、爆発は収まっている。恐らく魔素が切れてしまった……所謂、燃料切れだろう。だが、いずれは力も回復してしまう。しかしそんな時間は与えない。ここで即座に葬る。
素早く、かつゆっくりと向かう。ぱき、と小枝を踏みしめる音だけが反響する。
『ねえ』
悪魔が呼びかける。ヴィンセントはピタリと静止した。悪魔は続けて、
『君は、孤独かい?』
と、あまりにも見え透いた揺さぶりをかけてきた。
ヴィンセントの感情からすうっと、熱が引いていくのが分かった。
声のする方へ大股で近づく。悪魔は予想通りの位置に、木の幹に身体を滑り込ませるように潜んでいた。
――地べたにいるのなら、丁度いい。
ヴィンセントは右足を振り上げ、容赦なく木に叩きつけた。
『ぴぎっ』
悪魔は覇気のない家畜のような声をあげ、地面を這いつくばる。
「……随分乱暴ね」
「……いや、これくらいやっておいた方がいいのかなと思って……」
悪魔は常に、どのような手を使ってくるか予想がつかない。故に先手必勝かつ、多少手荒な手段を取ることが推奨されている。それに下手に隙を与えて、またあの爆発を起こされては堪らない。
悪魔はずるずると地面を這いずっている。その姿には、未だ反抗の意思が感じられた。
「大人しくして」
びっと風を切る音が走る。見ると木の枝が、磔刑のように人形へ打ち込まれていた。
悪魔の手前にヴィンセント、背後にイルマが立つ。これで退路は失われた。
しかし悪魔は、頭部が枝に貫かれているにもかかわらず、残りの力を振り絞って頭を持ち上げる。
『……ジュリエッタもそうだけど……孤独な人間っていうのは、共通の匂いを発してるんだよ。ボクはただ、そういう人間に寄り添ってあげたいだけだ』
こちらを煽るような言動から一転して、説き伏せるような、静かで柔らかな声。
彼は本当に、心の底からそう思っているのだろう。紛うことなき、彼なりの善意。
しかしそれでは、人間は救われない。救われたとしても、それは偽りの救いだ。
『次は、君の友達になってあげる』
ヴィンセントは改めて、銃の安全装置が解除されていることを確認する。悪魔に向けて、銃口を向ける。
「生憎僕には、厄介だけど頼りになる友人が居るんだ。君の席は無いよ」
明確に、悪魔へ拒否を示した。
その身体が人形であるが故に、表情がないので感情は掴めない。
しかし、そんなものは関係ない。自分は使命のまま、悪魔を葬り去るだけだ。
『なんだ。つまんないの』
銀の弾丸が、人形を撃ち抜く。
静寂の中、様子を伺う。
人形はもう、動かない。
そこには布切れが転がっているだけだった。




