chapter② 6話
時刻は午前九時。ミサ直後の大聖堂。
この時間は時折、聖統教会の会議のため一時閉鎖される。
そしてその会議のため、監督司教と祓魔師団、及び粛清教会の一部隊員が大聖堂に集まっていた。
「……以上が今回の件の概要だ。ジュリエッタ・シルヴェストリはまだ幼く、深刻な状況は発生していない。早急に対応すれば穏便に済むだろう」
祓魔師団の団長、シルヴェリオ・バルトリーニ神父が淡々と概要を述べる。集まった者たちは長椅子に座り、彼の言葉を傾聴していた。
「祓魔師団以外の司祭と救護院の者たちは退席してもらっていい。本日も、神の意思に従うよう」
神父の指示に従い、この場の半数以上の聖職者が大聖堂を去っていった。この場に残ったのは、ハンニカイネン司教と祓魔師団、そして粛清教会だ。
「さて、今回の担当だが……クレイヴンでいいだろう。お前は既に、対象に接触しているとのことだしな」
神父の言葉に、レスターとルーファスがこちらを向いた。「そうだったのか?」と、隣でルーファスが尋ねる。
「うん。昨日ね」
ヴィンセントはそれに短く応じた。
いきなり指名されたことには驚いたが、願ってもないことだった。昨日のイルマとの調査が功を奏した、と言うべきか。
「僕も君が適任だと思うなあ。昨日私が見ていた限り、彼女と上手く対話も出来そうだし」
昨日ヴィンセントと鉢合わせた神父が間に入る。
「俺らは見回りでいいの?」
レスターが確認のため、神父に問う。
「ああ。というか、むしろお前には任せたくない」
「そうだね。誰もが君に、小さい子の相手はしてほしくないと思ってるだろうし」
司教もいつになく、辛辣な意見を口にする。
「なーんだ。みんな俺のことよくわかってるじゃないですかー」
聖堂内にどっと笑いが起きる。だが声を上げた者たちの目は、レスターを除いて一切笑っていない。
「それと常々言っているが……お前たちは考えなし過ぎる。処理が雑になればその分事務局の手間が増えるんだぞ」
「……俺はいつも真面目にやってる」
「僕も」
ルーファスの言葉にヴィンセントが同意する。
「え?」
ただ一人、レスターだけが腑に落ちていないようだった。
教会事務局は平たく言うと教会の窓口であり、入信手続きや雑務等を主に担当している。その裏で粛清教会が対応した任務の後始末……人や街への被害が出てしまった際に、「隠蔽工作」を担っている。
「姿勢の話ではなく、周りの者たちの負担も考慮しろという話だ」
「善処します」
「そんな言葉、どこで覚えたんだ。気味が悪いぞ」
レスターが真面目に返答をするも、この反応である。
「はあ……。クレイヴン、これも常に言い聞かせているが……最悪を阻止し、最良の犠牲で終わらせろ。以上だ」
神父は最後にそう告げると、司教や彼の部下と共に大聖堂を後にした。最終的に残ったのは、粛清教会の隊員三名のみだ。
「ま、いつも通りあんま気負わず、言われたことをやりゃあいいだけだな」
レスターがあっけらかんと言い放つ。
「そうだ。俺らは正義のヒーローでも何でもない。ただの殺し屋みたいなモンだからな」
怒りでも嘆きでもなく、ただ真実を淡々と述べるようにルーファスは呟いた。
これは、彼らなりの励ましなのだろう。少なくとも付き合いの長いヴィンセントには、そう感じ取れた。
「あんま長居してるとまたあの団長に何か言われそうだし、とっとと出るか」
三人は大聖堂の正面とは反対方向に位置する、主祭壇横にある小さな扉へと向かう。
聖統教会の聖堂には、信徒たちや聖職者らが出入りする扉とはまた別のものが存在する。
粛清教会は司教や司祭と異なり、厳密には「聖職者」ではない。教会の出入り自体や、先ほどのように会議の出席は可能だが、礼拝の義務は存在せず、聖典儀礼の参加は認められていない。故に主祭壇がある礼拝空間――聖堂の出入り口も、明確に区分けされているのだ。
異端を狩るにもかかわらず、教会内で異端のように扱われる、ある種歪な組織。教会が抱える矛盾。
自分たち三人はそれらを全て飲み干して、今日も異端を狩るために奔走する。
◇
二人と別れて早速向かった先は、例の喫茶店――|Purgatoriumだ。
約束の時間にはまだ早いが、待機している分には問題ないだろう。
昨日の記憶を頼りに目的地へ向かう。裏通りへと入ったところで突如、服を引っ張られた感触がした。
「わっ」
反射的に声が漏れる。振り向くと、すっかり見慣れた黒衣の少女が、ヴィンセントの黒いコートを掴んでいた。
「……君、なんでこんなところに?」
「あなたの性格なら、早くここに向かうと思って」
早くも自分の性格を見透かされているようで、気恥ずかしくなる。自分はそんなにも分かりやすいのだろうか。
「それよりも一緒に来て。事態が動き出したわ」
イルマの言葉によって、即座に臨戦態勢へと切り替わる。感情を急かすように、乾いた風が吹く。
――ここからは、戦いの時間だ。
ヴィンセントは彼女と共に、ロンドンの街を駆けだした。
「あの子、本格的に動き始めたみたい。ここから昨日と同じ気配を感じる」
連れられた場所は学校――プライマリースクールだった。現在二人は、校舎裏の林に潜んでいる。姿の見えないイルマはともかく、自分は傍から見れば完全に不審者だ。
「具体的に、どこにいるのかまで分かる?」
「そこまでは何とも。実際中に入ってみれば、探し出せるかも」
「さすがに僕が近づくと怪しまれるよなあ……」
現在の時間から考えると、既に午前の授業が始まっている頃だろう。校門周辺に人影は見当たらない。しかし不用意に近づく気にはなれなかった。
教会所属とはいえ、治安部隊の人間がいきなり子供たちの学び舎に現れるというのは、あまりに不自然だ。下手に出ると無用な騒ぎが起きる可能性もある。それだけは極力避けたい。今朝方神父に言われたことが、脳裏を掠めた。
「私が行くしかなさそうね。小さい子供は勘の鋭い子が多いのだけど、まあ、あなたよりは怪しまれないでしょうし」
イルマがすっと立ち上がる。彼女も同じ考えのようで、反論の余地はなかった。
「あの子の通っている学校かしら。良いところね。当然、ミレニアムよりは広くないけれど」
「……イルマ」
イルマが校舎へと足を踏み出そうとした、その背中にヴィンセントは声を掛けた。彼女が目的の相手と対峙する前に、どうしても釘を刺しておきたかったのだ。
「あの子を傷つけるような真似だけはしないでくれ。約束だ」
イルマはふわりと立ち止まり、肩越しに不敵な笑みを浮かべる。
「私が物騒なやり方をすると思っているの?安心して、上手くやるから」
そう宣言して、彼女は再び校舎へと歩き出した。
ヴィンセントは去り行く黒い背中を、苦い沈黙の中見つめていた。
◇
ジュリエッタが通う学校の一室。
ここは生徒や教師の目があまり届かない、隠れ潜むのに恰好の場だ。校内を「探検」してきた成果が、漸く日の目を見た。ただし、暗く埃っぽいところが難点だ。
ジュリエッタは昨夜家を出て学校へと辿り着いた後、今朝までこの部屋で過ごしていた。
我ながら、夜中に子供一人でここまでやってこれたのは幸運だった。暗い夜道を歩いてこれたのもそうだが、校内へと侵入出来たことだ。
学校が夜間厳重に施錠されることは、当然ジュリエッタも知っていた。
そのことを星さんに相談すると、「それは自分が何とかする」と言ってくれたので、彼に任せることにした。事実施錠されていた門は、星さんが開けてくれた。やっぱり彼は、自分をいつでもわくわくさせてくれる。未知の世界へ連れていってくれる。
「はあ……なんだか、どきどきしてきたな」
『大丈夫だよ、ジュリエッタ。きっとこれからすることが成功すれば、君は幸せになれるさ』
少年とも少女ともつかない、無邪気で無垢な声。この声は、ジュリエッタの耳にしか届かない。それが何だか特別なようで、初めて聞こえた時はとても嬉しかった。大切な人形が己の意思を持ち、自分の気持ちに応えてくれたようで、堪らなく嬉しかったのだ。
「それで……ここで何をすればいいの?」
外の廊下から、子供たちの声が聞こえてきた。どうやら、午前一番目の授業が終わったらしい。
『あのね、誰でもいいから、ここに一人連れてきて欲しいんだよ。もちろん、先生じゃなくて子供をね』
「うん」
『それでね、その子の頭を掴んでね』
「うん」
『そこにあるラックの角にでも思いっきりぶつけてくれよ。そうしたら最悪死ななくても、大人しくはなるだろ?』
ジュリエッタは一瞬、耳を疑った。
心臓が、身体が、どんどん冷えていくのを感じる。手の先から、震えが止まらなくなる。
彼は突然、何を言い出すのだろう。冗談にしたって、何も面白くない。
「えぇ……なんで、そんなことするの?危ないよ……」
ジュリエッタは喉から絞り出すよう声で、彼へ尋ねた。
『なんでって……君の願いを叶えるためだよ。これはそのための必要な手順さ。そう、大切な儀式のようなものさ』
悪びれることなく、彼は答える。
ジュリエッタはこの時初めて、彼に対して「恐怖」という感情を覚えた。ついさっきまで隣人のように接していた相手が、未知の怪物へと変貌してしまった、そんな恐怖。
「でも……」
『今までやってたことだって、君に友達を提供するためだ。でもあれじゃあ結局上手くいかなかったから、やり方を変えようとしてるだけ』
声が捲し立てる。怒りをぶつけるのではなく、己の困惑を伝えるように。しかし困惑しているのは、彼の言葉を聞いているジュリエッタの方だった。
『君は理解者が欲しいんだろ?寄り添ってくれない身内を大事にするより、これの方がもっと合理的だと思うけどな』
暫しの重い沈黙。
その空気に耐え兼ね、ジュリエッタが彼の問いに頷きかけたその時、暗い部屋に光が差した。
「こんにちは。お嬢さん」
光を背に、少女が立ちはだかる。
恐怖で硬直していたせいか、不思議と驚きの声は出なかった。
……こんな女の子は、学校で見かけたことがない。出会っていたとしたら、忘れるはずもない。それほど一目で印象に残る少女だった。
「……誰?」
「お嬢さん」などと子供扱いしてくるが、向こうも自分と大して年が離れていないように見える。少しムッとして、自然と声色が棘を帯びた。
「あなたは私が見えるのね。素質があるのかしら。それとも契約のお陰?」
「けいやく?」
「……驚いた。何も知らないのね。そうだろうとは思っていたけれど」
少女は呆れたように伏目がちになる。その様子に、ジュリエッタは更に苛立ちを覚えた。
むきになって立ち上がろうとすると、少女が黒いレースで覆われた右手を、ジュリエッタへ向ける。
「単刀直入に言うわね。その人形を渡して欲しいの」
少女から放たれる、静かな圧力。
たとえ拒否したとしても、けして逃しはしないとでも言うように。
「……どうして?」
「人形……というより、それに憑いている存在は邪悪なものなの。到底あなたに扱える代物ではないわ」
否定。またしても、否定だ。
ジュリエッタの気持ちは、苛立ちから悲しみへと変わった。
「みんな、みんなそうだ……私の友達を、誰も認めてくれない」
「人間は人間同士で仲間を作るの。あなたたちは、友達になんかなれない」
少女は冷ややかな声で、ジュリエッタを追い込む。その姿は、いつか見たドラマの探偵よりも恐ろしかった。
ジュリエッタは目に涙を浮かべて睨みつける。しかし少女は微塵も動じない。
「どうせ離れたら、孤独になるとでも思っているんでしょう」
「……」
「あなたはこれまで、いろんな人に嘘を重ねてきたでしょう?嘘をつくということはね、人に対する裏切り行為なの。そうやって信頼を失って行き着く先は、孤独しかない」
ジュリエッタの思考を見透かしたかのような、少女の言葉。
嘘。裏切り。
つい先日の、カウンセラーの言葉を思い出した。
――嘘を重ね続ければ、取り返しのつかないことになる。
ジュリエッタは今になって、その言葉の意味を漸く理解した。
理解を拒んでいたのは、家族や他人ではなく、自分自身だ。
だから無条件に理解を示してくれた彼に依存してしまった。
彼が居なくなってしまえば、また独りになってしまう。そうして自分はどうしようもなく「孤独」なのだと、一層心を閉ざす。
それが、ジュリエッタの抱える歪さだった。
「あなたは、寂しいの?」
そう言われてジュリエッタの頭に浮かんだのは、家族の姿だった。
「……わからない」
「それなら尚更、そんなものとは縁を切りなさい。あなた自身が不幸になろうと私にはどうでもいいけれど、あなたの家族はどう思うのかしらね」
「……」
分からない。
自分は何に飢えていて、何を求めているのだろう。
いつものように星さんに尋ねようとして、そこで漸く、彼の声が聞こえないことに気が付いた。
――いや。もう、彼の言葉は必要ない。
今は彼女の問いに、自分自身で答えを出したかった。
そうしないと、いよいよ自分は孤独になる。
ジュリエッタが緩やかに立ち上がる。少女はその様子を、黙って見ていた。
そして手にしている人形を強く握りしめながら、彼女に差し出した。
「ありがとう」
ジュリエッタの決意を受け止めるような、穏やかな声。
少女を覆っていた氷の壁が、春の雪解けのように融けていくのを感じた。
「家族は大事にしないとダメよ」
そう言い残して去ろうとする少女を、ジュリエッタは反射的に引き留める。
「……おねえさん」
「……何?」
「おねえさんも、寂しいの?」
少女と同じ質問。オウム返しのようなそれを、彼女へ投げかけた。
ジュリエッタには先程までの少女の口ぶりが、嘗ての誰か――それはきっと、己自身――を憐れんでいるように思えたからだ。
けれど少女は、まるで他人事のように、静かに呟いた。
「もうそんな感情は捨ててしまったわ。孤独感は、ただの弱さだから」




