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Hellish Heaven  作者: 紫咲雪花
chapter② きらきら星
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12/29

chapter② 2話

 辺りに漂う香ばしいパンの香り。街を走る赤い二階建てのバス。忙しなく歩く人々。

 教会の神秘から遠ざかれば、たちまち喧噪と熱気が渦巻く現実の街が広がる。

 今日もロンドンは、いつも通りだ。

 

 あれからヴィンセントとイルマは共に、教会を離れロンドンを北の方へと向かっていた。

 イルマは軽い足取りで先を行く。可憐な容姿も相まって、その姿は翅の生えた妖精のようでもある。

 ――彼女は妖精ではなく、魔女なのだが。

「ところで君、普通に出歩いてるけど大丈夫なの?」

 彼女の背に向かって、ヴィンセントは当然とも言える疑問を投げた。

 偏見かもしれないが、ノクセルペンティア(魔女)は人目を避けるものではないだろうか。だからこそ、ヴィンセントは魔女に遭遇したことがないのだと思っていた。

 しかし目の前の小さな魔女は、堂々と日の下を歩いている。周りの人間も、不自然なほど彼女を気に留める様子がなかった。

「ノクセルペンティアは普通、出歩く時は特殊な『道具』を使うの。どうしたって、この眼は目立つでしょう?でも私にその必要は無いの」

「それは、どうして?」

「私はあの館の外では、存在しない『幽霊』のようなものだから」

 彼女から、思いがけず突飛な答えが返ってきた。イルマはそんなヴィンセントの困惑を無視するように、言葉を続ける。

「でもあなたのような霊媒体質とか、魔女や魔術師は私を視認できる。あとは悪魔や、それと契約している人間もね」

「それって……」

「そう。私が見えるってことは、悪魔か、それと関わっている可能性が高いってこと」

 それはつまり、彼女の存在そのものが判断材料になるということか。

 悪魔憑きは一目で異様だと分かるが、悪魔と契約している人間や、人間の姿を模倣した悪魔を看破するのは難しい。ヴィンセントは霊媒体質ではあるが、あくまで引き寄せてしまうだけで、相対した人物の正体を見極める力はない。

「だからあんまり私に向かって喋り過ぎると、あなた、変な人に思われるかもね」

「え」

 イルマはくすくすと、悪戯が成功した時の子供のように笑うと、歩みを再開させた。

「あんまり話しかけるなってことかな……」

 

 サザーク橋までやって来た所で、イルマはぴたりと足を止めた。そして、橋の東側に位置するロンドン橋を眺めるように、欄干に寄りかかった。ヴィンセントも彼女に倣うようにして隣に並び立つ。

「……それにしても、広いわね。この街は」

 イルマは風で靡く髪を抑えながら、興味深いものを探るように目を細めている。

「首都だからね。でもここよりもっと広い国があるんだと思うと、途方も無く感じるよ」

 彼女の眼が、郷愁の色に染まる。

「世界はもっと、想像もつかないくらい広いのでしょうね」

「世界は広いよ。まあ、僕も海なんて渡ったことないけどさ。きっと僕らのいるこの場所は、地球から見ればちっぽけなものだよ」

 イルマは否定も肯定もせず、静かに微笑んでいた。

 

 橋を渡り切り、更に北へと進んでいくと、賑やかな市場へと辿り着いた。

 辺りを見回すと、レストランやパブなどの飲食店に留まらず、様々な種類の店が軒を連ねている。

 市場の楽し気な雰囲気とは対照的に、イルマは神妙な面持ちだった。

「イルマ、ここに何かあるの?」

「偶然、この辺りの路地に妙な落書きが残されていたのを見たの」

「落書き?」

「ええ。線が滅茶苦茶で何を表しているのか分からなかったのだけど、調べてみたら何かの紋章(シジル)みたい。今日はそれを描いた……」

 イルマの話に耳を傾けていると、突如足元に何かがぶつかった。

「わっ」

 イルマのものではない少女の声。

 視線を下げると、黒い髪を両サイドに束ねた、如何にも育ちの良さそうな少女が、ヴィンセントの足元で狼狽えていた。

「ごめんね、大丈夫?」

「だ、大丈夫、です」

 少女の声は上擦っていて、明らかに挙動不審だった。

 ヴィンセントは顔に似合わず身長が高いとよく言われる。そのせいで自然と威圧感を感じるのかもしれない。小さい女の子なら、尚更だろう。

 ヴィンセントはすぐさま膝を折り、少女と目線を近づける。

「……お兄ちゃん、教会の人?」

「うん、そうだよ」

「……」

 それきり少女は、何故か黙りこくってしまった。

 状況が理解出来ないと、こちらもどうしたものかと悩んでしまう。しかしここは、大人である自分がしっかり対応しなければならない。

「もしかして迷子かな?誰と一緒にいたの?」

「えっと、あの……お兄ちゃんと……」

「そっか……じゃあ一緒に探そう。君一人じゃ危ないからね」

 ヴィンセントは少女の手を引き歩き出す。少女は大人しく従ってくれた。

「君、名前は?」

「……ジュリエッタ」

「ジュリエッタ、取り敢えずお兄さんを探そう。勝手に離れちゃ駄目だよ」

「うん。ありがとう、おにいさん」

 普通、迷子になってしまった子供は不安で泣き出すことも多いというのに、ジュリエッタは大人しく指示に従ってくれている。言動はまだ幼いが、利口な子だと感心した。

「君のお兄さんて、どんな人?」

「えっと……髪の色は私と違って金色で……」

 ここまで人が多いと発見は難しいだろうが、何も知らないよりはましだろう。

「……あれ?」

「どうしたの?」

「いや……」

 ヴィンセントはここにきて、イルマの姿が見当たらないことに気が付いた。

 こんな時に、彼女まで迷子になってしまっただなんて笑えない。いや、むしろはぐれてしまったのは自分の方なのか?

 ……しかし、彼女については心配など不要かもしれない。まだ少女とはいえしっかりした性格をしていることは、ここまでの短い付き合いの中でも知っている。

 今は隣にいる少女を守らなければならない。ジュリエッタは見た目通りの、幼い少女なのだから。

 

 雑踏の中を歩く。

 彼女の兄らしき人物は未だ見当たらない。

 ヴィンセントはジュリエッタの様子をちらりと伺う。疲労や不安で心細くなっていないか、心配になったのだ。

 ジュリエッタはやはり、未だ不安そうな顔をしている。

 その時、彼女が抱きしめている、猫を模した人形に目をやった。

「それかわいいね。いつも持ち歩いてるの?」

「うん。大事なお友達だもん」

 そこでジュリエッタは初めて、実に子供らしい、無邪気な笑顔を見せた。

 それにつられてヴィンセントも顔を綻ばせる。

 

 程なくして市場の群衆の中に、見慣れた黒衣の集団が現れた。祓魔師団(アンテ・レギオ)の神父たちだ。

「おや?ヴィンセントくんじゃないか。その子は一体?」

 眼鏡を掛けた、柔和な男が話し掛けてきた。見知った顔と出会い、ヴィンセントは少し安堵する。

 祓魔師団(アンテ・レギオ)は、悪魔祓いだけが仕事ではない。むしろ今の彼らのように、布教や慈善活動が主だ。この状況に於いては、偶然出くわしたのは幸いだった。

「迷子です。家族とはぐれちゃったようで」

 ジュリエッタの方を見ると、彼女はすっかり萎縮してしまっている。知らない大人たちに囲まれているのだから、無理もない。

「そうか、可哀想に……。良ければ僕たちで預かるよ」

 すると少女はどうしてか、一層焦ったような表情をしていた。まるで、悪戯を咎められた子供のようだ。

 しかし、こんな幼い子を放っておくわけにもいかない。それに神父たちに預けた方が安全だ。

「ジュリエッタ!」

 そんな時、遠くからジュリエッタの名を呼ぶ声がこちらまで届いた。本人もそれに気が付いたようで、目に安堵の光が灯る。

 声のする方へ振り返ると、一人の少年が息を切らして現れた。

「ジュリエッタ、探したぞ……!」

「お兄ちゃん……」

「どうやら、無事に再会できたようだね。良かった」

 兄妹の再会に、ヴィンセントと神父はほっと胸を撫で下ろした。

「お前、どうやってここまで……」

「僕が迷子になったこの子に会って、事情を聞いて一緒にお兄さんを探していたんだよ」

 ジュリエッタの代わりに、ヴィンセントが状況を大まかに説明する。

「……すみません。ありがとうございました」

 兄はヴィンセントと神父たちに頭を下げると、「行くぞ」と言って妹の手を引き去っていった。

 二人の背中を見送っていると、神父が口を開いた。

「ところでヴィンセントくんは、何でまたこんなところに?」

「ああ……ちょっと、見回りでもしようかなと思いまして」

「君は真面目だねえ。確かにここら辺は最近、祓魔師団(こっち)でも目を付けてるけど、君も何か感じるものがあるのかな?」

「……そうかもしれないですね」

 どうやら彼らも既に、イルマと同じような情報を手に入れているらしい。流石、教会が誇る優秀な集団だ。

「君も何か発見したら直ぐに報告してくれよ」

「はい」

 変に疑念を抱かれないよう、早々に彼らと別れる。

 直後、人混みの中で少女を見つけた。

 イルマだ。

 彼女は所在なげに、石造りの壁にもたれかかっていた。

「酷いわね。私を放って他の女の子にかまけているなんて」

「イルマ……あの、ごめん」

 思わず謝罪の言葉が出てきてしまった。しかし彼女も本気で怒っているわけではないらしい。

「君、今まで何処にいたの?」

「例の落書きを探していたの。見つけたから、ついてきて」

 些か腑に落ちない点はあったが、ヴィンセントは大人しく彼女の後を追いかけた。

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