chapter② 1話
「こんにちはジュリエッタ、元気にしてたかしら?」
物腰柔らかな女性カウンセラーが、少女に優しく語りかける。
「こんにちは先生。先生もお元気でしたか?」
どんな時でも挨拶はきちんとする。少女が両親から教えられた大事なこと、その一だ。
少女は右手に嵌めた人形を動かし、花が咲いたような可愛らしい笑みを浮かべる。
「学校はどう?周りの子たちと、仲良く出来てる?」
カウンセラーのその言葉を聞いた瞬間、少女の表情が哀しげに翳った。
「……みんな私のこと、噓つきって言うの。わたしは何も嘘なんかついてないのに」
少女は涙目になり訴える。それに対してカウンセラーは穏やかに諭した。
「嘘っていうのはね、風船と似ているのよ。重ねるごとに膨らんでいって、最後には耐えきれず破裂してしまう。そうなったらもう、取り返しがつかなくなってしまうの」
「……」
「ジュリエッタ、ちゃんと話聞いてるか?」
立ち会っていた兄が、押し黙ってしまった妹を注意する。
「……ごめんなさい、お兄ちゃん」
大事なこと、その二。素直に謝ること。
「謝るのは俺じゃないだろ」
「まあまあお兄さん。ジュリエッタ、あなたのペースで話してくれて良いのよ」
カウンセラーが兄妹の仲裁に入り、診療が再開される。
その後も少女はカウンセラーに、人形を通して他愛も無いことを話した。
家族のこと。学校のこと。身の周りに起きたこと、全て。
少女は重い病を抱えてなどいない。ただ少し、周りの子供たちとは違うところがあった。
少女は、ずっと人形を手に嵌めている。まるで、自身の身体の一部であるように。
人形は、黒い猫の姿をしている。
少女は手元のそれを、大事そうに撫でた。瞬間、それに合わせて人形の耳が、僅かに反応を示した。
しかしその弱々しい動きは、少女以外誰も気が付くことはなかった。
大事なこと、その三。
家族に隠し事はしないこと。
◆
「おいジュリエッタ、どこ行く気だ?」
セラピーを終え岐路につくつもりが、妹が唐突に「生きたい場所がある」と言い出し、何処かへ向かって勝手に歩き始めてしまった。
「『星さん』がお出かけしたいっていうから」
「いつまでそんなこと言ってんだ。お前のくだらない妄想に付き合わされる俺たち家族の気持ちも考えろ」
「妄想じゃないもん。お兄ちゃん、なんでいつもそんなこと言うの」
ジュリエッタは不貞腐れて顔を歪ませる。今にも泣きだしそうだ。
……またこうなるのかと、兄であるアンドレイは頭を抱えた。
妹のジュリエッタは昔から感受性が高く、空想癖のある子だった。
事の始まりは、六歳の誕生日プレゼントで貰った人形。それをジュリエッタは、自力で動いて喋る「友達」だと思っている。
十二歳を迎えた現在でもそんな調子で、学校でもからかわれていたようだ。それを不憫に思った両親が、一度強く窘めたことがある。しかしジュリエッタは反抗し、暫くは部屋に引きこもってしまったのだ。……自分の世界、ひいては自分自身が否定されたと感じたのだろう。
それ以来彼女の妄想についてはあまり触れなくなったが、最近になってまた「友達」を増やしたようだ。
今、彼女が夢中なモノは「星さん」。その名の通り、星の姿をしているらしい。
本人曰く、それは夢の中だけでなく現実にも現れて、実際に言葉を交わさずとも心で会話できるのだというのだ。
それを初めて聞いた時、アンドレイは頭を抱えた。妹の妄想癖は悪化していく一方だった。
パペットセラピーに通わせているのは、両親の提案だった。無論ジュリエッタのためであるが、自分たち家族の単なる気休めでもある。
けれど改善は見られない。医師たちを責めたくはないが、このまま通い続けることに意味があるとは思えない。
心の病は、身体の外傷と違って簡単に治せない。
ジュリエッタの奇行に、自分たち家族はいつまで振り回されるというのだろう。
「せめて行き先は教えろ。俺の方から母さんたちには話しておくから」
「……」
妹は都合の悪いことがあると、こうしてすぐ黙ってしまう。
対話は相手を理解するために存在する。そしてそれは、人間という生き物が持つ利点だ。故に対話を拒むことは、理解を拒むことと同義だ。自分たち兄妹は、血が繋がっているというのに、理解し合うことが出来ないというのだろうか。
このままでは、埒が明かない。
アンドレイは渋々携帯を取り出し、一先ず両親への連絡を試みる。それと同時に、携帯が手の中で振動を始めかと思うと、液晶には見慣れた名前が表示されていた。友人、もとい腐れ縁のロナルドだ。
「ジュリエッタ、ちょっとそこで待ってろ」
妹に注意しながら応答すると、直後、威勢のいい若者の溌剌とした声が耳に響いた。
「よお、ジュリエッタちゃんは元気か?」
「なんでお前が兄貴ヅラしてんだ。俺の妹だぞ」
「まだうんと小さい頃から知ってるんだぜ。もう一人の兄貴みたいなもんだろ」
ロナルドが自慢げに鼻の下を擦るのが、電話越しにも想像が出来た。
「まったく、ジュリエッタちゃんはあんなに素直で良い子なのに、なんで兄貴はこうなっちまったんだかねぇ」
「うるせぇ」
自分で言うのもなんだが、俺たちの家はそこそこの金持ちだ。親は自分たち兄妹にいろんなものを買い与え、可能な限り望みを叶えた。その上、教育で子供を縛り付けるということもしなかった。しかしそれらのせいで、ジュリエッタの空想癖が暴走したとも言える。
「……最近は空想上の友達……所謂イマジナリーフレンドが出来たみたいでな。このままじゃ悪化していく一方だ」
『絶賛反抗期の妹を抱えてる俺にとっちゃあ、そんなの可愛いモンだけどなあ』
「似たようなモンだ。ジュリエッタも俺たちの言うことなんざロクに聞かねえ」
『うーむ……。因みにその友達ってのは?』
「本人が言うには、『星』が見えるんだと。んで、心の中で会話が出来るらしい。でもある時から、詳しいことはあんまり話さなくなったな」
そう伝えると、ロナルドは何か思案しているのか、黙り込んでしまった。
数分程してロナルドは、唐突に改まった声色で妙なことを言い出した。
『馬鹿みたいな話だが……悪魔憑き、とか』
「はぁ?」
アンドレイは思わず眉をひそめた。
友人は何を思って、そんな突拍子も無いことを言い出したのか。
「悪魔憑きなんて、映画の中だけの話だ。あんなの実際はただの病気か何かだろ。顔も声も変わらないし、首も回転しないしな」
『まぁ、そうだろうけどさ』
「……一応聞くが、なんでそう思ったんだよ?」
アンドレイはロナルドと違って幽霊やオカルトの類は信じていないが、話半分で聞いてみることにした。
『俺、趣味でオカルト話漁ってるだろ?そん時に見た悪魔憑き事件がな、今のジュリエッタちゃんと状況が似てるんだよ』
「……」
『……まあ、いいや。この話は止めよう。俺だって人の妹を悪く言いたくはねーしな』
ロナルドの煮え切らない態度にじれったくなり、追及しようと口を開いた時、アンドレイはあることに気が付いた。
――ジュリエッタの姿が、見当たらない。
「ジュリエッタ……?」
冷や汗が背中を這い、鼓動が早くなる。
ただでさえ行動が読めず危なっかしい子供から目を離すなんて、我ながらどうかしている。思わずロナルドとの通話に熱が入ってしまった。
『どうした?』
「ジュリエッタとはぐれた!一旦切るぞ!」
ロナルドの返答を待たず、携帯を切りポケットに押し込む。
そしてアンドレイは妹を探すため、街の中を駆け出した。




