【セイル視点】その裏にあった話
セイルにとって魔術とは、興味深い学問であり、便利な手段であり、愛しい友人だった。
今年新しく建てられた魔術実験室にセイルは初めて訪れていた。学園の敷地の端という立地、そして成績優秀者のみが使用できるという条件のお陰で人の気配は随分と少ない。多くの学生が集まる学園でそういった場所は貴重だ。
(結構いい感じ)
新設ということもあって、置かれてる器具はどれも真新しい。いくつか手に取って見れば、使用したことのない種類のものもありセイルの気分も珍しく高揚する。器具で結果が大きく変わるわけではないが、どうせなら新しいものの方がいい。せっかくなので使ってみようと準備をしていれば、実験室の扉が開き誰かが入ってきたのがわかった。
セイルとは少し離れた作業台の前に立ったその人物を横目で見れば、想像していたよりも視界に残る男だった。整った顔立ちと意志の強そうな眉、少し猫のような生意気そうな瞳。静かな実験室よりも、外の魔術模擬場の方が似合いそうな気がした。
(どこかで見たことあるな)
何となく見覚えのある顔立ちに、己の記憶を探る。たしか以前会ったクラウス伯爵家の嫡男、彼と似ているのだ。
(弟が2人いるって言ってたけど、年齢的に下の子か)
弟が二人いてどちらも優秀なのだとそれはもう周りに自慢しまくっていたが、なるほど、ここを使えるということは兄バカの贔屓目ではなかったらしい。ここから見る限り、手際も問題なさそうだ。
そう思いながらなんとなく作業の合間に様子を見ていれば、何やら難しそうな顔をして首を傾げ出した。どうしたのかと机の上に目を向ければ、見覚えのある本と材料が置かれておりセイルは1人納得する。1年前、自身も引っかかったところだ。あの頃の試行錯誤と苦労を思い出すと、少し苦い気持ちになる。
(教えた方がいいかな)
正直、めんどくさい。教えたところで嫌がられる可能性もある。けれど目の前であんな風に整った顔を顰めて唸っているのを見ると、少し気になって無視するのは憚られる。あとは、一方的に知っていたのと、盗み見していた負い目も少し。
(まぁ、いいか)
嫌がられたらもう関わらなければ良いだけなのだ。
「それ、鱗粉は後入れにしな」
*
魔術実験室で話した相手は、リオン・クラウスという名前らしい。由緒正しく力もあるクラウス伯爵家の子息となれば、少し探れば色々と話は聞こえてくる。家柄のみの自分の家とは大違いだ。
(多分あいつは俺の名前に気が付いてない)
初対面の時から、全く警戒も気負いも無いのだ。あれから何回か会っているが、それでも態度は変わらない。
セイルは、自分の噂がロクでも無いものが多いことを知っている。
王子に嫌われている婚約者。
火種を生まないための穴埋め婚約者。
家柄と顔以外取り柄のない婚約者。
大体あっているので否定のしようがない。母君の家柄が低い第四王子。必要ない争いを生まないように、宛てがわれたのは魔道具無しでは妊娠しない男の婚約者。それも金のない侯爵家の次男坊――それがセイルだ。
自分ではそこまで気にしていない立場だが、傍から見れば厄介だろう。付き合うメリットだってない。
(知ったら変わるかな……)
それは少し残念だな、とセイルは思った。
*
結局、リオンがセイルの名前を知っても特に何か変わることはなかった。
名前を告げた時は目を見開いて驚いていたし、面倒という顔を隠しもしなかったが、それでもそこにセイルに対する嫌悪は一欠片も現れなかった。態度の変化も、妙に丁寧な口調を意識しようとしていたが、今更改まらなくて良いといえばあっさりと何事もなかったように戻った。
「俺が言うのもあれだけど、リオンは良いわけ?」
「何がっすか」
「メリット無いでしょ。俺といても」
そうセイルが薬草を刻みながら言えば、隣のリオンの動きが止まった気配がした。不思議に思ってそちらを見れば、ぽかんとした表情でリオンがこちらを見ている。
「リオン、手止まってる」
「あ、やべ」
セイルが短く指摘すれば、慌ててリオンは鍋をかき混ぜるのを再開させた。少しでも気を抜けば失敗する工程だ。気をつけて欲しい。
「てかメリット、メリットねぇー……まぁ、聞いた時は面倒だなって思いましたけど」
「うーん、素直」
リオンのあまりの直接的な言葉に思わずセイルが呟けば「いや、だって仕方ないでしょ」と反論が返ってくる。
「まー、メリットって言われると意識してなかったっすけど」
「そう」
「でも普通に優秀な先輩と話しながら実験できんのってメリットじゃないですか」
そう、なんて事ない様に言ったリオンの言葉にセイルの手が一瞬止まる。何となく、口の端がムズムズした気がしてセイルはそっと舌で唇を濡らした。
「おまえ、人から軽そうって言われない?」
「なんで急に悪口言われてるんですか俺」
*
図書室の奥、専門書の棚が置かれている場所の窓から外を見ればセイルの婚約者である第四王子の姿が見えた。その隣には、親密な距離で寄り添う女子生徒の姿。
(タイミング悪いな)
別にセイルは態々見ようと思ってここに来たわけではない。本当にたまたま借りたい本が出来たので来ただけだ。
(もう少し隠れれば良いのに)
幸いこの場所にはセイルしかいないが、別に王子のいる場所は図書室からしか見えないわけではない。また増えるであろう教室での鬱陶しい視線を想像して、セイルはため息を吐いた。
(放っておいてくれれば良いのに)
そもそも王子はセイルが男な時点で気に食わないのだ。自分にはどうしようもないことだ。
(まぁ、気持ちは分からなくもないけど)
魔道具で男性も妊娠できるようになってから、貴族の男同士の婚姻は一般的なものになった。しかし、王族がそれを行った例は今の所ひとつもない。今回、セイルが選ばれたのが初めてのことなのだ。
(人は前例がないものを嫌うからな)
良い意味でも。悪い意味でも。そして今回は、悪い意味でだった。
前例の無い王族の男の婚約者。
許可が無いと望めない子供。
他兄弟の華やかな立場の相手。
(哀れだ、とは思うけど)
けれどセイルにはどうすることもできない。わざわざしてあげようとも思わない。
だからきっとこの関係が良くなることは今後一切無いのだろう。
*
学園ではごく稀に授業が無くなることがある。
ある日、急遽午後の授業が無くなったセイルは、午前の授業が終わってすぐに魔術実験室を訪れていた。
いつものように作業に没頭していれば、時間の感覚はすぐに曖昧になる。
「セイル先輩」
ひと息ついたところで、不意に声がかかる。顔を上げれば、対面の机にリオンが肘をついてこちらを見ていた。
「あれ、居たんだ」
「さっきから居ましたよ」
そう言ってリオンはセイルの傍に来て、紙袋を差し出した。
「なにこれ」
「昼飯、どうせ食ってないんでしょ」
「顔色悪いですよ」と呆れた顔で言われ、セイルは紙袋を受け取り中身を見る。中には具材の挟まれたパンがいくつか入っており良い匂いを漂わせていた。
「あ、その揚げ鶏のは俺のなんで」
リオンはそう言って袋の中から、一番ボリュームのあるパンを掴んで取っていく。
「リオンは昼食べたんじゃないの」
「もう放課後っすよ」
「普通に腹減りますって」とリオンは首を傾げながら言う。とりあえず外に出て食べようということになり、魔術実験室の裏手の木の根元へと腰を下ろせば、リオンも当然のように隣に座った。最初からそこが自分の場所であるかのように。
改めて袋の中を見れば、忘れていた空腹をようやく自覚する。ありがたくハムとチーズの挟まったパンを手に取って隣を見れば、リオンが既に大口を開けてパンにかぶりついていた。豪快な食べ方のはずなのに、不思議と下品には見えない。
「なんですか」
「いや。なんで買ってきてくれたわけ?」
「え、上の学年が午後授業無いって聞いたんで」
そういうことでは無い。けれどそれを言うのも違う気がしてセイルは「そう。ありがとう」とだけ返してパンに口に運んだ。
その日食べたパンは、いつもより美味しい気がした。
*
最近、リオンとの距離が少しおかしい。
——いや、最初からおかしかった気もするが。
今日も、作業に集中していればいつの間にか隣にリオンがいる。けれど今日は、いつもの少し様子が違い、何かを言うか迷っているように口を薄く開閉している。
「あー、聞いても良いっすか」
やっと口を開いて放たれたのはそんな言葉で、碌なことを聞かれた試しがない前置きだな、と思う。
「その前フリって普通良くないでしょ。べつにいいけど」
「先輩はいいんすか。……あの人のこと」
言われて、己の婚約者の姿を思い浮かべる。最近では特定の女子生徒との交流を全く隠す様子も無くなっていた。もしかしたらリオンもその姿を見たのかもしれない。
「んー。別にどうでも良いかな」
「……どうでも良い?」
「うん。そもそも興味無いんだよねあの人に」
「それ、だいぶ身も蓋もないっすね」
少し言い過ぎたかと思ったが、リオンの様子は変わらない。どこか納得した様子でセイルの言葉を受け止めていた。
「まぁ、いいならいいですけど」
軽くそう言って、リオンはそれ以上踏み込まなかった。いつも通りの調子で、何事もなかったみたいに話題を変える。
(……そこで引くんだ)
他とは違うその空気の温度に、ほんの少しだけセイルは目を細めた。
*
突き刺さる視線とざわめき。そして目の前で血を流している女子生徒。
目の前の光景を見て、セイルはうんざりとした気持ちになった。
「今、突き飛ばされたんですって……!」
「え、誰に?」
「エルシオン様が……」
ざわざわと周りに集まりだした生徒が、言葉を紡ぐ。セイルと、女子生徒を置き去りにして。
(やられたな)
初めに悲鳴をあげた生徒と、セイルの名前を出した生徒の顔が頭に浮かぶ。
見覚えがある。ここ最近、やけに第4王子の周りで見かける顔だ。
(なにか企んでるんだろうけど)
正直、自分の関係ないところでやって欲しい。親しくない相手と、望んでいない立場のせいで巻き込まれるのは御免だった。
「……保健室、早く連れて行ってあげた方が良いんじゃないの」
収まらないざわめきに辟易してそう言えば、余計に周囲の目線が厳しくなる。何を言ってもどうせこの流れは止まらないのだから、さっさと切り上げた方がマシだろう。
そしてそのまま立ち去ろうとした時、人混みの向こうに戸惑いと心配を混ぜたような顔をしたリオンの姿が見えた。
(珍しい表情)
こんな場面でなければ、少し面白かったのに。
そんなことを考えながら、セイルはその場を後にした。
*
セイルは自室で魔法石を頭の上にかざして眺めていた。昼間、黒魔術やら魔王やらの話をしながらリオンが魔力を込めたものだ。セイルのものとは違い、リオンの瞳と同じ緑色に輝いている。
(魔力量だけなら俺より多いな)
魔力の込めれた石の数を思い出して、セイルはそう思う。
(手伝ってもらえて助かった)
なにせ、ここ最近のきな臭さの為に引っ張り出してきた魔道具はとにかく燃費が悪いのだ。ストックしていた魔力石があっという間に空になるぐらいには。
(使い勝手悪いんだよね。時間と位置情報しか記録出来ないくせに)
それでも何もしないよりはマシだろう。何に使うか聞かされないまま手伝わされたリオンは哀れだが。
(巻き込んだら可哀想だし)
そう考えたところで、セイルは小さく息を吐く。
淡く光る緑色が、やけに目についた。
*
成果発表会という名目の割に、妙に落ち着かない空気だった。発表内容よりも、別の何かを待っているような。
(あぁ、今日か)
最近の流れを思えば、驚くほどのことでもない。
セイルは気にする様子もなく、自分の順番を待った。
進行に名を呼ばれた瞬間、講堂の空気がわずかにざわついたのが分かった。壇上へ向かおうと一歩踏み出したその時、よく通る声が場を遮る。
(……来たか)
視線を上げれば、第4王子がこちらを見下ろしていた。
そこからはひどく分かりやすい流れだった。積み上げられていく証言は、どれも曖昧なものばかりだ。
見た、らしい。
聞いた、らしい。
断言を避けながら、それでも結論だけは先に置こうとする話し方。証拠のない言いがかりのようなものだ。
(雑だな)
内心でそう評価しながらも、周囲の空気が傾いていくのは分かった。王子の発言に合わせて、他の生徒から発せられる肯定の声。セイルへの疑惑の声。事実の強さではなく、空気で押し切ろうとしているのが分かった。
(どうしたものか)
何も用意していないわけではない。多少の証明はできる。
ただ、それをここで出す必要があるかは別の話だ。そこまで考えたところで。
「あー、すみません」
場違いなほど軽い声が、場を割った。
(リオン……?)
思わず僅かに目を見開いてそちらを見れば、見慣れた後輩が手を挙げていた。
(なんで)
面倒事を避けたがる性格は知っている。自分の名前を告げた時だって、そう言っていたのだ。
だからこそ、この場で口を開くとは思っていなかった。
リオンは気負った様子もなく、淡々と事実を並べていく。
時間。
場所。
その時、誰といたか。
(……なるほど)
自分が出すつもりだったものと、内容はほぼ変わらない。けれど、明確に差があった。
(空気が変わったな)
全員がリオンを注目している。王家の覚えめでたいクラウス伯爵家の子息。決して過度な反論も批判もしない、可能性を提示するその言葉を、否定しきれる者が居るだろうか。
(……物好きだな)
内心でそう思いながらも、不思議と悪い気はしなかった。むしろ——
やがて議論は崩れ、場は収束へと向かった。
結論は保留。
その流れを確認してから、セイルは一歩前に出る。
「やってませんよ、私は」
視線が集まるが、気にする必要は無かった。
「興味無いんで」
それだけを告げて、セイルは口を閉じた。これ以上は必要ないだろう。
視線を外して何気なく客席の方へと目を向ければ、騒がしさの中でリオンと一瞬だけ視線が合った。
(馬鹿だなぁ)
放っておいたら良かったのに。メリットなんて無いだろうに。ああいう場で口を開く意味が、分からないほど鈍いわけでもないだろうに。
(……まぁいいか)
ポケットに入れた魔道具を指で撫でる。感覚を確かめるようにゆっくりと。
(無駄になったな)
使用した魔法石の数を思い浮かべる。本来、無駄にしたら嘆く量だ。
それでもそんな気持ちは、セイルの胸には一欠片も浮かばなかった。
*
その後、セイルの身の潔白は証明され、第4王子の婚約は正式に解消された。
王子本人不在の場で、書類を交わすだけの呆気ない終わり。セイル自身思い入れも何もないので、特に思うことは無かった。
ゴタゴタが落ち着いた後。数日ぶりに魔術実験室に行けば、その裏手の木に背中を預けて座っているリオンの後ろ姿が見えた。
近付いて背後から声をかければ、緑の双眸が振り返ってセイルを捉える。そのまま、当然のように隣に腰を下ろすがリオンは当たり前のようにそれを受け入れる。拳一個分も空いてないその近い距離を。
「で?」
「……ん?」
「嫁ぎ先無くなったんだけど」
ほんの少し、下から覗き込むようにリオンを見る。己の柔らかい髪が、重力に従って揺れた。
「元から崩壊してたでしょ」
「細かいことはいいんだよ」
「良くねーよ」
何を言いたいのか分からないというように、戸惑った表情でリオンが返事を返す。その表情が普段よりも幼く見えて思わずセイルは目を細めた。
「で?」
「ん?」
「責任、取ってくれる気は?」
「……は?」
見開かれた目がセイルを凝視する。
「俺の嫁ぎ先になってくれる気はないの?」
「……」
重ねて言えば、リオンの顔がじわじわと赤くなっていくのが分かった。言葉が見つからないのか、口を薄く何度も開け閉めしている。
(可愛い)
優秀な後輩。
かっこいい後輩。
可愛い後輩。
セイルにとって、魔術以外で初めての。
数日前、王宮の一室で婚約解消の書類にサインをしている時。その時ふと、思ったのだ。セイルが卒業して、リオンとの関係が終わってしまった時、その時も自分は今のように心を揺らさずにいられるだろうかと。
答えは――。
淡く光るあの魔法石よりもずっと綺麗な緑の瞳。それを見つめて、ゆっくりと近付いて――。
「考えといて」
答えは急かさない。今は、まだ。
それでも、あの熱を持った瞳を見れば結果はわかっていた。




