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【本編】魔術実験室での出会いとその顛末



編入生が来るらしい。という話を初めて聞いた時、リオンは「へぇ」と思っただけで特に気に留めていなかった。

編入してくるのが己のひとつ上の学年ということもあり、接点は多くないだろうと思ったからである。最高学年に編入なんて大変そうだなとは思ったが、それきり頭の片隅に追いやってしまった。それよりも新しく増設された魔術実験室の話の方が魅力的だったのだ。




「なんか最近学園騒がしくね?」


そう呟いたリオンの言葉は、魔道具の授業終わりの教室に思ったよりも響いた。

黒板には、性別適応補助だの身体機能拡張だの、やたらと応用例が並んでいる。中には妊娠機能の代替なんて項目まであって、皆それを書き写すのに必死だったせいだろう。


「え?なにリオン知らねーの?」


リオンの言葉を聞いたクラスメイト達が、わらわらと席の周りへと集まってくる。その全員が意外そうな顔をしていた為、リオンは更に首を捻った。


「知らねーけど」

「マジ?なんか上の学年に来た編入生が色々すげぇって話なんだけど」

「編入生が来たってのは知ってる」


自分で言うのはなんだが、リオンはそれなりに交友関係が広いタイプである。なのに話題の出来事を今まで誰も教えてくれなかったなんて、と少しばかり面白くない。それが表情に出ていたのか、クラスメイト達は「まぁ、リオンそういうの興味無さそうだしな」と頷きながら言った。


「そういうの?」

「一言で言うなら痴情のもつれ的な」

「あー、興味ねぇわ」

「だろ。だから誰も言わなかったんだよ」


そう言って笑ったのはリオンと同じ伯爵家の友人のラルフだ。焦げ茶色の短髪に、人懐っこそうな顔立ちをした男である。


「その編入生凄くてさ。なんでもレオ王子とかそのご友人の人達とかなり親密らしいぜ」

「……はぁ?」


思わず間の抜けた声が漏れた。

レオ王子と言えばこの国の第4王子のことである。その友人達というのも、この国ではそれなりに高い爵位の子息たちばかりだ。しかもレオ王子には婚約者が居たはずだ、王家として理にかなった侯爵家次男の婚約者が。


(いや、それは流石に――)


「編入生ってどこの家だ……?」

「エルシェイド子爵令嬢だよ。体が弱くて田舎で療養してたらしい」

「あー、……」


高位の家であればリオンも気にしていたはずなので子爵令嬢と聞いて納得する。聞いた今の状況に理解を示せるかは別だが。


「すごいなそれ」

「だから騒がしいんだよ」

「納得した」


体の弱い子爵令嬢とそれを取り巻く王子達。なんとも庶民の好みそうな展開である。ということはつまり、面倒事の匂いがすると言うことだ。


「巻き込まれたくねー」

「リオンは婚約者居ないからなぁ。何かしら余波は受けそうだよな」

「そう言うラルフは余裕そうだな」

「俺には既に学園卒業している麗しの婚約者様がいるんで」


そう言ってラルフは、ふふんっと得意げに首にかけたペンダントを周囲に見せびらかす。この前の休暇で婚約者とお揃いで買ったとか言っていたものだ。


仲が良くて大変よろしい。



「まぁ、上が卒業するまで静かに過ごせれば良いんだけどな」


そう言いながら見た窓の外は、差し込む陽の光がやけに白く、影だけがくっきりと落ちていた。



*



その日の放課後。


リオンは今年度から新設された魔術実験室へと足を向けていた。

もう何度か利用しているため、足取りに迷いは無い。


(編入生がどうとかより、こっちの方がよっぽど有意義だろ)


施設の実験室は敷地の端にあり、成績上位者しか使用できない。その為、人が少なくて快適なのだ。

入口で学生証をかざすと、淡く光が走り、静かに扉が開いた。いつも通り受付にいる担当教官に軽く挨拶して中に入る。


「……ん?」


中には既に、先客が居た。見覚えのない顔の男子生徒だ。もっとも、リオンも毎日通っているわけではないのだが。


(きれーな顔)


不躾にならない程度に見た横顔は、随分と華やかな顔立ちをしていた。自分の容姿にそれなりに自信のあるリオンですら、おっと思うほどだ。どこかで見かけたこともある気がするが、名前までは出てこない。


(タイの色からして、一つ上か)



先程教室で話した内容を思い出し、リオンは少しだけ気が重くなる。


(まぁ、俺には関係ないけど)


空いてる作業台の前に立ち、図書館で借りた本を広げる。上級魔法薬全集。教科書には載っていない範囲のものだ。


(マギナ草にポルツゥア石、それからミンティル蝶の鱗粉……)


材料を記載通りに処理をしてビーカーへと入れる。それから魔力を込めながら右に3回、左に2回慎重に回せば出来上がりだ。しかしその色は思っていたよりも薄い。


(·······?なんか、出来が悪いな)


出来上がりはした。けれどそれは納得のいく品質ではなかった。手順も材料も魔力操作も問題ないはずなのに。


「それ、鱗粉は後入れにしな」


内心首を傾げていれば、後ろから声をかけられた。振り返って見れば、先程横目で見た生徒がこちらへと視線を投げかけている。


「後入れ?」

「そう、3回右に回したあと」

「……いや、でもこの本には」


そんなこと一言も書かれてはいない。しかしその人は「まぁいいからやってみなよ」とリオンを促してきた。




「……できた」


目の前には先程よりも品質の良い魔法薬。言われた通り鱗粉を後入れした結果だ。


「その本、改訂されてないんだよね。まぁ品質が悪くても作れるからだろうけど」


そう言ってその人は、自分の実験を再開させる。無駄な動きのないその手際は、思わず見入るほどだった。


「ありがとうございます。助かりました」


リオンがあのまま続けていても、この方法にたどり着くにはかなり時間がかかっただろう。あそこで声をかけて貰えたのは幸運だった。


「べつに。たまたま目に入ったからね」


そう言って少しだけ笑った顔が、妙に頭に残った。


(瞳、少しだけピンクが混ざってんだな)



*



「セイル……エルシオン……?」

「そう」


リオンの呟きに、目の前の人物が軽く頷く。


あの日、実験室で会った相手は

どうやら第4王子の婚約者様だったらしい。


「なんだ、流石に名前は知ってたんだ」

「そりゃまぁ·····」

「言われるまで気付かなかったけど」

「うっ、……いや、でもさっさと教えてくれたら良かったじゃないっすか。……ですか」


そう言ってリオンが口を尖らせれば、セイルは悪戯が成功したみたいに楽しそうに笑った。


「べつに今更改まらなくても良いよ」

「まぁ、その方が俺も助かりますけど」


一応先輩と言うこともあってそこまで無礼な物言いをした覚えは無いが、今更仰々しい言葉遣いをしろと言われたら困ってしまう。そういう交友関係は全て兄に丸投げしているのだ。


「てか、セイル先輩。やっぱその薬草刻むよりすり潰す方が良くないっすか?」

「確かに効能は上がるけど魔力操作の難易度が跳ね上がるでしょ」

「俺はできるし」

「お前ができても大半の人間はできないでしょ。たかが傷薬に非効率すぎ」


セイルの手元を見ながらリオンが言えば、直ぐに返事が返ってくる。テンポよく交わされる会話が、どこか心地よかった。

知識の豊富さと技量、そして会話の楽しさ。それらと第4王子の婚約者という面倒な相手の情報を天秤にかければ、あっさりとそれは傾いた。


この関係を続ける方へと。



*



その後、リオンとセイルの関係に大きな変化はなかった。少なくとも魔術実験室の中では。


学園のざわめきは相変わらずで、この頃徐々に空気が悪くなっていっている感じがする。


(やな感じだな)


廊下に出れば、ひそひそとした声がやけに耳につく。内容までは聞き取れなくても、どこか落ち着かない気配が心をざわつかせる。


それが嫌で何とはなしに窓の外へと目をやれば、中庭の一角。窓のすぐ下で、数人の生徒が一人の女子生徒を囲んでいた。


(……あー)


その光景にリオンは思わず眉を寄せる。囲まれている女子生徒は俯いて言い返す様子もない。とてもじゃないが和やかとは言えない状況だった。


(さすがに、あれは)


一瞬だけ逡巡して、窓に手をかける。声をかけるぐらいはした方が良いだろう。


そう思った、次の瞬間だった。


囲んでいた三人が急にその場から立ち去り、入れ替わるように背の高い男子生徒が一人現れた。王国の式典で見た事のある横顔だ。

その人物は女子生徒と少し話した後、そのまま肩を引き寄せた。


(……あー、なるほど)


あれが噂の子爵令嬢ね。


納得と、理解。それから面倒そうだという素直な感想。

下手に目を付けられるのはごめんだと、リオンは静かに窓から身を引いた。


(関わりたくねーな)


小さく息を吐いて、その場を離れる。

背後ではまだざわめきが続いていたが、振り返ることはしなかった。



*



いつもの魔術実験室は、外のざわめきと切り離されている。


ゴリゴリと実験用の石を砕くセイルを眺めながら、リオンは躊躇いがちに口を開いた。


「あー、聞いても良いっすか」


その言葉にセイルはほんの一瞬だけ手を止めて、チラリとリオンへと視線を向ける。


「その前フリって普通良くないでしょ。べつにいいけど」

「先輩はいいんすか。……あの人のこと」

「んー。別にどうでも良いかな」

「……どうでも良い?」

「うん。そもそも興味無いんだよねあの人に」

「それ、だいぶ身も蓋もないっすね」


興味が無いと言い切るセイルの表情に乱れはない。それはもう、一欠片も。


(ほんとーに興味無さそうだな)


仮にも婚約者だと言うのに、とは思うが。らしいと言えばらしい。そもそも、やらかしてるのはあっちだしな。とリオンは先日の中庭の光景を思い出す。


噂の子爵令嬢は確かに遠目でも可愛らしい顔立ちをしていた。言い方は悪いが、いかにも男が好きそうな、守ってあげたくなるようなそんな子だ。けれど、


(どう考えても先輩の方が綺麗だよな)


ゴリゴリと目の前で石を砕き続けているセイルの横顔を見つめる。男とか女とか、そういうのに囚われない『美』があるのだとリオンはセイルに出会ってから嫌という程実感した。


(何が嫌だったのかねぇ王子様は)


確かに興味が無いと言い切ってはいるが、セイルは冷たい人間では無い。それこそ、面倒臭がりの癖に初対面のリオンにアドバイスをくれる程度には。

きっと婚約者として普通に接すれば、それなりの関係を築くことができるだろうに。


(ま、想像でしかねーけど)


ここには不穏な空気も、不快なざわめきもない。ただ、作業する一定の音だけが静かな空間に響いていた。



*


「レオ様にも困ったものだ」


そんな声が聞こえ、リオンは曲がり角の手前で足を止めた。どうにも穏やかではない内容に、戻るべきか一瞬迷う。


「まぁ、貴族じゃ珍しくもないが……王家だからな」

「前例がありませんしね。魔道具で子供はどうにかなるとはいえ」

「元々あの方、お立場に不満をお持ちでしょう。尚更ですよ」


レオ王子。

王家。

魔道具。

前例。


こぼされる単語で、話の輪郭が少し見えてくる。頭に浮かんだのは、あの魔術実験室でいつも見ている顔だった。


(あの人のことか)


「他の殿下方は公爵家や他国の姫君ですからね」

「……あの方だけ、侯爵家の次男でしたか」

「釣り合いを考えれば、思うところもあるでしょう」

「元々気位の高いお方ですしな。幼い頃から甘やかされてきた分、尚更でしょう」


今まで詳しい事情に興味はなかったが、どうにも拗れそうな話だ。


(そりゃあ、ああもなるか)


「まぁ……母君のご実家のこともありますし」

「強くは言えんでしょうな」


(……まだなんかあんのかよ)


ひそりひそりと交わされる会話は、思っていた以上に遠慮がない。


「まぁ、どのみちあの方では……という声もありますしな」

「……口が過ぎますよ」


小さく咎める声が落ちる。


(うわ、言うねぇ)


思った以上に踏み込んだやり取りに、リオンは内心でだけ苦笑した。これ以上は聞くべきではないだろう。小さく息を吐いて、リオンは来た道を静かに引き返した。



教室に戻れば、ラルフとその他数人が何やら真剣な表情で話しているのが目に入った。


「あ、リオン」

「おー、何?なんかあったわけ?」


名前を呼ばれたので、近くに寄って空いてる席へと腰を下ろす。


「レオ王子の話なんだけどな」

「ん?あー、まぁ最近色々あるよな」


またここでもレオ王子の話かと、リオンはラルフの言葉に相槌を打つ。今の学園の話題の中心なので仕方ないといえば仕方ないのだが。


「なんか編入生を嫁に迎えるみたいなこと言ってるのを聞いたヤツがいるらしくてさ」

「……無理だろ?」


子爵令嬢と王子の結婚。絶対とは言わないが、無理がある。何より第4王子にはセイル・エルシオンという婚約者が居るのだ。リオンはセイルの顔を思い出しながら眉を顰めた。


「普通はな」


ラルフが頷く。けれど、そのまま少しだけ声を落とした。


「……ただ、どうにも上の空気が妙なんだよな」


その言葉に、周りにいた一人がすぐに乗る。


「それな。エルシオン侯爵令息が子爵令嬢を虐めてる、とかいう話も出てるらしいぞ」

「いや、あれは完全に噂だろ」


別の生徒が苦い顔で否定する。


「けどさ、あの編入生の様子見ると、周りがそう思うのも無理なくね?」

「……あの人がそんなことするタイプには見えなかったけどな」


少しだけ間を置いて、ラルフがぽつりと挟む。


「まぁ、“婚約者としては気に入らないはず”って理屈は分からなくもないけど」


「それは……まぁな」

「立場的にはなぁ……」


小さく同意が重なる。確かに自分の婚約者が、他の人と仲を深めているという構図は一般的には嫉妬して嫌がらせするには十分の構図だろう。けれど、


(全っ然あの人には当てはまらねぇな)


所詮は噂。あることないこと好きに言われているんだろうなとは思う。本人もいちいち否定するようなタイプでは無いから余計だ。


(婚約破棄ねぇ……)


そうなれば、流石のセイルも何かしら動揺するのだろうか。それは少し面白くないなと、あまり想像できないセイルの姿をリオンは思い浮かべながら思った。



*



ある日の放課後。


魔術実験室へ向かう途中、リオンはいつもよりも人の気配が多いことに気が付き首を傾げた。


(なんだ……?)


普段は静かなこの辺りに、ざわざわとした声が集まっている。嫌な予感がして、リオンは僅かに足を速めた。


曲がり角を抜けた先、中庭へと続く通路の手前。そこに、人だかりができていた。


「――っ、誰か呼んで!」

「血、出てるじゃない!」


切羽詰まった声が耳に入る。


(……は?)


何事かと思わず顔を顰めながら人垣の外側から中を覗き込めば、地面に座り込んだ一人の女子生徒が目に入った。


淡い色の髪。見覚えのある顔。


(あー……あの子爵令嬢)


膝を押さえていて、そこからじわりと赤が滲んでいる。大きな怪我ではなさそうだが、周囲が騒ぐには十分だった。そしてそのすぐ傍に、もう一人。


(……セイル先輩?)


ほんの少しだけ距離を取って、セイルがそこに居た。特に慌てる様子もなく、ただ静かにその光景を見下ろしている。


「今、突き飛ばされたんですって……!」

「え、誰に?」

「エルシオン様が……」


ひそひそとした周りの声が、しかしはっきりと耳に届く。


(は?)


思わず眉が寄る。


「い、いえっ……それは、……っ」


子爵令嬢が何かを言いかける。けれどその声は震えていて、最後までは聞き取れない。その様子が、余計に周囲の想像を掻き立てた。


「やっぱり……」

「婚約者なのに、あんな……」


ざわめきが、一段大きくなる。


(いや、ないだろ)


リオンは反射的にそう思ったが、確信は持てない。決定的な瞬間は見ていないのだから。


「……保健室、早く連れて行ってあげた方が良いんじゃないの」


セイルが淡々とそう言葉を発する。その声色には心配の色が混ぜられているように思えたが、淡々とした言い方に子爵令嬢が小さく肩を揺らす。


「……っ」


それを見て、近くにいた生徒の一人が慌てて彼女に手を貸した。


「ほら、立てる?」

「だ、大丈夫……です……」


支えられながら立ち上がるその姿は、どう見ても“か弱い被害者”だった。


(……良くないなぁ、これ)


加害者と被害者。

嫉妬に狂った婚約者と虐められている恋人。

ふわふわしていた噂が、この場で、この状況で明確な輪郭を持とうとしている。


「……失礼する」


短くそれだけ告げて、セイルはその場を離れて行った。彼の近くで止める者は誰もいない。どこか不安げな顔をしている者は居たが、声をかけられる距離では無かった。それはリオンも。


(……これ、)


リオンは人垣から一歩引いた。


(誰かが“作ってる”だろ)


そうでなければ、ここまで都合よく話が転がるはずがない。けれど、それを証明するものは今の時点で何もなかった。


遠くで雷の音が鳴る。雨粒がぽつりと地面を揺らした。


(荒れそうだな……)


空を見あげれば、厚く黒い雲が空を覆っていた。



*



あの日の騒動は、否定されることなく広がり続けた。それに加えて、知らない者が聞けば信じてしまいそうなものから、思わず笑ってしまうようなものまで、様々な噂が学園を飛び交っていた。


「なんか色んな噂飛び交ってるっすね」


蓄魔石に魔力を貯めながら、リオンはそう口を開いた。この魔術実験室は、以前から騒がしさからは遠かったがここ最近は特にそうだ。たまに見かけた真面目な生徒達の顔は見かけなくなり、リオンとセイル、それから担当教官の3人だけが訪れる場所になった。


「そうだね」

「なんかセイル先輩は黒魔術研究してる魔王って噂もありましたよ」

「なにそれ。ちょっと面白いな」


口元にうっすらと笑みを浮かべながら、セイルはリオンの手から蓄魔石を受け取って検分する。


「どうっすかそれ」

「うん、いいんじゃない?ちゃんとムラはなくて純度も高いし」

「やりぃ」


セイルの評価を聞いて、リオンは次の蓄魔石に手を伸ばす。特別面白い作業ではないが、話をしながらやる作業としては適している。リオンが人より魔力操作が得意だからかもしれないが。


「俺が魔王なら」

「ん?」

「リオンは魔王の配下かな」

「やだよ。ぜってぇこき使うじゃないっすか」


現に今やっているこの作業も、セイルが必要というから手伝っているのだ。正式な配下なんてなればこき使われるのが目に見えている。


「そりゃそうでしょ」

「認めんなよ」

「ははっ。でもリオンは文句言いつつやってくれそうだけど」


優しいからねお前は。と呟かれた言葉をリオンはそっと聞こえないフリをした。


(……優しい、ね)



言われた言葉が胸を掠める。


本当にそうなら、もう少しぐらい――。




*


学園では、定期的に各自の成果を発表する場が設けられている。


成果発表会は、滞りなく進んでいた。


少なくとも、その一言が発せられるまでは。


「――次の発表者、セイル・エルシオン」


進行が名を呼んだ瞬間、講堂の空気がわずかに揺れた。どこからかざわめきが、波のように広がる。小さな声が重なり合い、やがてそれは無視できないほどのざわつきへと変わっていった。


壇上へと続く通路に視線が集まる。その中心に立つはずの人物を、見定めるように。だが。


「待て」


低く、よく通る声だった。

進行を遮るその一言に、場のざわめきがぴたりと止む。


声の主は――レオ王子だった。


「その発表は不要だ」


静まり返った講堂に、その声だけが響く。一拍遅れて、ざわめきが爆ぜた。


「不要……?」

「どういうことだ?」

「なに……?」

「まさかほんとに……」


囁き合う声が、疑念と好奇の色を帯びて膨らんでいく。


「セイル・エルシオン」


王子は壇上から、その名を改めて呼んだ。


「本日は、本来の趣旨とは異なるが――看過できない問題について話す」


どこか力が入りすぎている声。静かに振る舞おうとしているのに、僅かに焦りが滲んでいる。


「エルシオン侯爵令息による、一連の嫌がらせについてだ」


ざわり、と空気が揺れた。


「まず――三日前の放課後」


言葉を区切る間が、わずかに長い。


「彼女の私物が破損されていた件だが……その場に居合わせた生徒が、“エルシオン侯爵令息がそれを持ち去るのを見た”と証言している」


(……“見た”ねぇ)


リオンは王子の言葉に眉をひそめる。


「さらに数日前――彼女の持ち物に刃物が紛れ込んでいた件」


少しだけ王子が早口になる。


「直接の証拠はない。だが、現場付近で不審な動きをしていた者がいたとの話もあり――」


言いながら、自分で補強しているような響き。


「そして先日の件だ!」


わずかに声が強くなる。


「彼女は人気のない場所で襲われかけた。その際、“頼まれただけだ”という発言があったと報告を受けている!」


(報告を“受けてる”、ね)


リオンは小さく息を吐く。下手な推理小説を聞いている気分だ。

断言しきれない。だから、言葉が少しずつ濁る。


「これらを総合すれば――」


レオ王子が一瞬、言葉に詰まる。だがすぐに押し切るように続けた。


「無関係とは到底思えない!」


強引だが、勢いがある。

その勢いを補強するように、誰かが肯定の声をあげる。王子の背中を押すように、わざとらしく作られた声。けれどそれが講堂の空気を、ぐっと傾かせた。


(……あー、これ)


リオンは視線を落とす。


(流れで押し切るやつだ)


証拠は弱い。でも、雰囲気がそれを補っている。


(しかも全部、放課後絡み……)


思い出すのは、いつもの場所。


魔術実験室。


(あの人、普通に居たけどな)


だからこそ、なのだろう。作る側にとって本物は姿が見えない方が都合が良い。


(……めんどくせぇ)


空気が痛い。ここで出れば、面倒の中心に立つ。少なくともリオンはそれをずっと望んでいない。


(……でもなぁ)


壇上を見れば、いつもと同じ顔のセイルが立っている。綺麗な姿勢で、綺麗な顔で、面倒くさそうに。


(言う気、ねぇなあれ)


小さく息を吐く。


(……仕方ねぇか)


「あー、すみません。いいですか」


軽い声と気怠げにあげた右手。

ぴたりと空気が止まったのが分かった。


「……何だ」


レオ王子の声が、少しだけ尖る。


「今の話なんですけど」


集まる視線を無視して、リオンは一歩前に出た。


「いくつか、違うと思います」


ざわり、と止まっていた空気が揺れる。


「根拠はあるのか」

「……三日前の放課後の件」


食い気味に返ってきた声に、淡々と返事をする。


「その時間、セイル先輩は中庭にいません」


一拍、あえて置くようにリオンは息を吸った。


「魔術実験室にいました。俺と一緒に」


空気が止まる。


「その前の日も同じです。蓄魔石の調整してたんで」


視線を受けながら言葉を重ねる。


「担当教官もいたし、入室記録も残ってるはずです。時間も」


「……それが何だ」


少し強引な返し。レオ王子の眉がグッと寄り、リオンを睨みつける。


「他の件の否定にはなっていないだろう」


(あー、押す気だな)


リオンは内心で思う。


「全部は分かんないですけど」


肩をすくめる。あえて、軽く見えるように。


「少なくとも、“その時間にその場所にいた”って話は成立しないです」


「あと……まぁ」


少しだけ視線を逸らす。緊張で早くなっている鼓動を悟られないように、自然に。


「似たような時間帯の話が多いんで、どっか混ざってる可能性はあるんじゃないですか」


あくまで軽く。


断定はしない。


逃げ道を作る言い方で。


「――何を言っている」


レオ王子の声が鋭くなる。


「証言は複数ある!」


「ですが殿下」


すぐに別の声が割って入った。王家に近い家の生徒だ。この断罪劇の初めから、眉を寄せて様子を伺っていた生徒のひとり。


「今の発言が事実であれば、一部に明確な齟齬が生じております」


「しかし――」


「このまま断を下すのは、些か性急かと」


被せるようにその横の生徒が言う。


「再確認が必要では?」


ざわめきが広がる。


その中で――


「いや、そもそもその証言自体が曖昧だろ」


別方向から声が上がった。


「“見たらしい”“聞いたらしい”ばっかりじゃないか」


空気が変わる。


「それを言うなら、今のも一個人の証言だろう」


「だが具体性はある」


「後出しでいくらでも作れるだろ」


「王子の話が嘘だとでもいうのか!」


ざわざわと、声がぶつかり始める。王家側と、それに反発する側。意見が、明確に割れる。


「静まれ!」


レオ王子が声を張る。だが、完全には収まらない。

一瞬、間を取り損ねる。


「……っ」


わずかな焦り。

それを見て取れる距離だった。


(あー……)


リオンは小さく息を吐く。


(ぐっちゃぐちゃだな)


「……分かった」


レオ王子が、押し切るように言う。


「本件は、一度保留とする」


納得した訳では無いが、続けられない。苦々しさの滲む、そんな声音だった。


講堂の空気が、ようやく緩む。


(……終わったか)


リオンは肩の力を抜いた、その時。


「……一つだけ」


壇上から静かな声が落ちた。セイルが、静かな表情で口を開く。


「やってませんよ、私は。」


淡々と、何の感情も乗っていない。そんな声。


「興味無いんで」


一瞬の、空白。


それだけだった。弁明も、説明もない。ただ事実だけを置いて、セイルは口を閉じた。


「――っ」


ほんの一瞬。


それを聞いたレオ王子の表情が揺れた気がした。傷ついたような、置いていかれたような、言葉を失ったような、そんな間。


(……気のせい、か?)


すぐに、王子はいつもの表情に戻って去っていった。



それを合図に、成果発表会の場は幕を閉じた。



*



その後、件の一連の出来事は正式に再調査となり、セイルの潔白は証明された。


軽率な行動をした第4王子レオは、今は反省のため謹慎させられているらしい。今後どうなるかは今のところ不明である。


そして正式に、レオ王子とセイルの婚約は解消となった。




(やっちまった……)


魔術実験室の裏手。大きく育っている木に背中を預けて座りながら、リオンは空を仰ぎ見た。


面倒ごとに首を突っ込む気はなかったはずなのに。気がついたらこのザマだ。


「今回、レオ王子を唆した連中は王家側の醜聞が欲しかったらしいよ」


背後から声がする。振り返ると、セイルがいた。


「あー、なるほど」

「気が付いてた?」

「なんとなく?色々杜撰っつーか、あの場さえ何とかすればって感じだったんで」


リオンの答えに、セイルは興味無さそうに「ふーん」と答えながら隣に腰を下ろした。セイル自身がどこまで把握していたのかその表情からは読み取れない。


「で?」

「……ん?」

「嫁ぎ先無くなったんだけど」


横顔をぼんやりと眺めていれば、不意にセイルがこちらに顔を向けてそんな事を言う。さっきまでの無表情はなりを潜め、揶揄うような色の笑みを目元に乗せている。


「元から崩壊してたでしょ」

「細かいことはいいんだよ」

「良くねーよ」


間髪入れずに返すと、セイルは少しだけ目を細めた。


「で?」

「ん?」

「責任、取ってくれる気は?」

「……は?」


思わず間の抜けた声が出る。


「俺の嫁ぎ先になってくれる気はないの?」

「……」


一瞬、言葉が出てこない。頭の中で、単語がぐるぐると回る。


(いや、待て)


(それって――)


じわじわと熱が上がってくるのがわかる。首が、耳があつい。体中の血が、ふつふつと火にかけられているような気がする。



「……まじ?」


意識してなかったのは本当だ。気の合う先輩で、尊敬してて、ほっとけなくて。


けれど本当にそれだけだったか、と聞かれると返答に困る。

だってその、柔らかな声が、綺麗な横顔が、繊細な指先が、事ある毎に頭に思い浮かぶのだから。



「リオンは優しいからね」


だから、悪い先輩に捕まるんだよ。とセイルは目を細めた。綺麗なピンクの混ざった、甘やかな瞳。それが目の前に近付いて――。




「考えといて」



そう言ってセイルは背を向けて歩いて去っていく。



残されたのは暴れる心臓を抱えたリオン1人だった。


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