第8話:忘れられた神々(旧支配者)
王都を出て、十数日が経過した。
もはや、日付の感覚も曖昧だ。
あれからさらに数日、馬車に揺られ続け、私は(佐藤葵は)完全に無の境地に達していた。
お尻の痛みは感覚がなくなり、硬い干し肉は「噛む」という作業になった。
前世(社畜)で鍛えた「思考停止による苦痛の無効化」スキルが、ここで遺憾なく発揮されていた。
変化があったのは、昨日からだ。
馬車は、あれほど立派だった王国の主要街道を外れ、明らかに「人の往来」を拒むかのような、険しい山道に入り込んでいた。
振動は「揺れ」から「衝撃」に変わり、車輪が岩に乗り上げるたび、身体が宙に浮きかける。
(……本当に、こんな道の先に、村があるの?)
もはや、王都のきらびやかな悪意は、遠い昔の悪夢のようだ。
私の頭にあるのは、昨日のマリエルの言葉。
あの、冷酷で、無関心で、理不尽な「外なる神々」。
そして、それを平然と信仰する、私を切り捨てた「冷たい人々」。
私は、ガタガタと鳴り続ける車内で、向かいに座るマリエルに視線を向けた。
彼女だけが、この地獄の道中でも、背筋を伸ばし、姿勢を一切崩していない。
「……マリエル」
「はい、ロザリア様」
「昨日の……『外なる神々』が、王国の神様なんだよね」
「さようでございます」
「……じゃあ、マリエルの村は? あなたも、あの……冷たい神様を?」
その問いは、ただの好奇心ではなかった。
もし、彼女も「同じ」なら。
この道の先に待っているのが、あの父や母と同じ「冷たさ」なら。
私は、今ここで馬車を飛び降りた方がマシかもしれない。
私の切切な問いに、マリエルは、初めて、ゆっくりと瞬きをした。
そして。
それまで鉄の仮面のように無表情だった彼女の顔に、はっきりと、微かな「侮蔑」と、信仰者だけが持つ「熱」が浮かんだ。
「――とんでもない」
その声は低く、抑えられていたが、確かな怒気を含んでいた。
「私たちが、あのような『虚無』を信仰するものですか」
「え……」
「私たちが信じるのは、もっと古く、もっとこの大地に近しい神々。……王国の者たちが、愚かにも忘れ去った、真の主」
マリエルは、窓の外の険しい山々――文明から切り離された原始の森――を見つめ、うっとりと言う。
「『旧支配者』にございます」
(きゅう、しはいしゃ……?)
初めて聞く単語。だが、その響きには「外なる神々」とは違う、どこか生々しい力がこもっていた。
「彼らは、『外なる神々』のような冷たい『理』ではございません。彼らは、意志をお持ちです。喜び、怒り、そして、我々と同じように……愛憎を」
「……意志を、持つ……」
「ええ。かつて、この地は彼らのものでした。ですが、『外なる神々』を信仰する者たちとの戦いに敗れ……彼らは、この地を追われたのです」
マリエルの声に、静かな悲しみと、押さえきれない憤りが滲む。
「ある神は、海の底で、目覚めの夢を見ておられます(・・・・・・・・・)」
「ある神は、風に乗り、名状しがたい声で、今も呼びかけておられます(・・・・・・・・・・・・・・)」
「彼らは、敗れました。そして……忘れ去られたのです」
マリエルはそこで言葉を切り、その熱を帯びた青い瞳で、私を真っ直ぐに射抜いた。
馬車の中の薄暗がりで、その瞳だけが、異様に輝いている。
「……ロザリア様」
「は、はい」
「謂れのない罪で断罪され、」
「信じていた者たちに裏切られ、」
「全てを奪われ、居場所を追放された」
彼女は、まるで私の心を覗き込むように、一言一言、静かに告げた。
「――『忘れられ、見捨てられた、古き神々』」
「…………っ!」
私は、息を呑んだ。
「なんだか……今の、ロザリア様と、似てはおりませんか?」
その言葉は、呪いのように、私の心に突き刺さった。
似ている?
私と、神が?
(忘れられた、存在……)
(追放された、存在……)
あの王城での絶望が、単なる「神話」と地続きになった瞬間。
私は、まだ見ぬその「旧支配者」という存在に、抗いようのない、暗い「共感」を抱いてしまっていた。
(……この人たちは、「そっち側」なんだ)
(私と、同じ……)
私がその衝撃に言葉を失っていると、ガタンッ、と。
それまで私を苦しめ続けた衝撃が、ふいに、止まった。
地獄のような20日間の旅が、終わりを告げたのだ。
窓の外が、急に明るくなる。
険しい山道を、抜けきったのだ。
「ロザリア様」
マリエルが、馬車の扉に手をかける。
その顔は、いつもの無表情に戻っていた。
いや、違う。
その瞳の奥に、確かな「歓迎」の色を浮かべて。
「到着いたしました」
「ここが、今も『忘れられた神々』を祀り続ける……私たちの村でございます」




