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第7話:馬上の神話(外なる神々)



王都の門をくぐり抜けてから、既に三日が経過していた。

 「馬車で20日」というマリエルの言葉を、私は(佐藤葵は)完全にめていた。


(……お尻が、割れる……!)


前世で乗った深夜の格安バスや、満員電車のほうが、よほど人道的だった。

 整備されているはずの王都近郊の街道ですら、この乗り合い馬車は、私の存在そのものを揺さぶるかのように、無慈悲な振動を延々と伝え続けてくる。


腰骨がきしみ、内臓が揺さぶられる不快感。

 公爵令嬢(元)の華奢きゃしゃな身体は、とっくの昔に悲鳴を上げていた。


(……でも、この程度。あのデスマーチに比べれば……!)


私は、前世で培った「徹夜明けの朦朧もうろうとした意識で満員電車に揺られる」スキルを総動員し、ひたすらこの苦痛を「いつものこと」として処理し続けていた。


食事は、街道沿いの宿場町で買った、硬い干し肉と、酸味の強い黒パン。


(……新入社員時代の、営業カバンに入ってた潰れたアンパンよりはマシ……)


そんな私の苦行をよそに、向かいの席に座るマリエルは、不思議なほど平然としていた。


あれほどの振動の中、彼女は背筋をぴんと伸ばし、時折窓の外を眺め、まるで快適な自室で読書でもしているかのように落ち着き払っている。

 揺れで髪が乱れることも、疲れた顔を見せることもない。


宿の手配も、食料の調達も、すべて彼女が淡々と、完璧にこなしていた。


(……この子、本当にただのメイドだったの?)


その手際の良さ。

 あまりの有能さに、私はこの地獄のような道中、ぼんやりとした疑問を抱かずにはいられなかった。


「あの……マリエル」


揺れが少しマシになった瞬間を見計らい、私はかすれた声で尋ねた。


「はい、ロザリア様」


「あなた……その、この道を何度も?」


「いいえ」


マリエルは、あっさりと否定した。


「初めての旅路でございます」


「え!? ……じゃあ、なんで、そんなに……手際がいいの?」


「来るべき日のために、『学んで』おりましたから」


(来るべき日……?)


その言葉に、微かな違和感を覚えたが、私はそれを深く追求する気にはなれなかった。

 それよりも、もっと根本的なことを、私は知らない。


「……私、この世界のことを、何も知らない」


ぽつり、と本音が漏れた。


「王城にいたとき、お父様も、あの王子も……当然のように『神の御心』だとか『神聖なる』とか、口にしてたけど」


「はい。貴族とは、信仰と権威を一体化させるものですから」


「ここの……この国の『神様』って、どういうものなの?」


暇つぶし。

 そして、純粋な好奇心。


私がそう尋ねると、マリエルは、それまで窓の外へ向けていた視線を、ゆっくりと私に戻した。

 その透き通る青い瞳が、私の本質を見定めるように、じっと見据える。


「……ロザリア様がおっしゃるのは、このアストレア王国が国教として定める、『そとなる神々(アウターゴッド)』のことですね」


その声は、相変わらず平坦だった。

 だが、その響きの奥に、ほんの一欠片ひとかけら、氷のような侮蔑ぶべつが混じったのを、私は聞き逃さなかった。


「そと、なるかみがみ……?」


「はい。彼らは、この世界の創造主ではありますが、我々人間の尺度で測れる存在ではございません」


マリエルは、まるで歴史の教科書でも朗読するかのように、淡々と語り始めた。


「例えば、『万物にして全なる者(ヨグ=ソトース)』。彼は時間も空間も超越した『ことわり』そのもの」


「例えば、『盲目にして無明むみょうなるアザトース』。彼は宇宙の中心で、意味も意志もなく存在し、その冒涜的な夢こそが、この現実世界であるとされています」


(…………は?)

(何言ってんの、この子?)


前世(佐藤葵)の常識が、その突拍子もない神話ファンタジーの理解を拒否する。


「え、えーっと……つまり、その……祈ったり、するんでしょ?」


「無意味です」


マリエルは、私の幼稚な質問を、一言で切り捨てた。


「彼らは『理』であり、『混沌』です。彼らにとって、人間の祈りなど、道端の石が風に吹かれる音と何ら変わりません。彼らは偉大ですが、冷酷で、無関心で、我々に何の救いも与えはしません」


「……じゃあ、なんで!?」


「なんで、あの王子たちは、そんな神様を必死に信仰してるの!? 救ってもくれないのに!」


私の叫びに、マリエルは、初めて、その唇の端に、冷たい、冷たい笑みを浮かべた。


「それ(・・)でございますよ、ロザリア様」


「『冷酷』で『無関心』で『絶対的』だからこそ、彼らは信仰するのです」

「『神の秩序は絶対である』。故に、『神の秩序を体現する我ら王家の秩序もまた、絶対である』と」


マリエルは、私を断罪した、あの王子の顔真似でもするかのように続けた。


「揺らがぬ秩序。変わらぬ支配。それこそが、彼らの信仰の正体。祈りが通じない神だからこそ、彼らの権威をおびやかす『奇跡』も起こらない。……彼らにとって、これほど都合の良い神々はおりませんでしょう」


「…………」


私は、言葉を失った。

 馬車の無慈悲な振動だけが、沈黙した車内に響いている。


(……冷酷で、無関心で、絶対的)


私は、王都のあのパーティ会場を思い出していた。


私の言い分など一切聞かず、一方的に婚約を破棄した王子。

 私を「不良債権」と切り捨てた、冷血な父。

 「野垂れ死ね」と吐き捨てた、無慈悲な母。


(……ああ、そうか)


ストン、と。

 私の中で、すべてのピースが、最悪の形で組み上がった。


(……ぴったりだわ)


彼らが信仰する神は、彼ら自身に、そっくりじゃないか。

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