第6話:田舎への誘い(スローライフの予感)
マリエルが確保した宿は、王都の平民街にある、安宿と呼ぶには清潔で、宿屋と呼ぶには質素な場所だった。
少なくとも、身分を証明するものが何もない私たちを、金さえ払えば(マリエルが払ったが)快く泊めてくれた。
「……ふぅ」
きしむベッドに腰を下ろし、私はここ数時間(体感)で初めて、まともな息を吐いた。
断罪、勘当、追放、無一文(回避)。
怒涛の展開だった。前世のデスマーチ終盤、一週間の徹夜明けに匹敵する疲労感だ。
テーブルでは、マリエルが先ほど換金した金貨と銀貨を、冷静沈着に数え、仕分けている。
その手際の良さ。
あの宝石とドレスが、これほどの現金になったのだ。
公爵令嬢(元)の持ち物、恐るべし。
「(とはいえ……)」
私は、その革袋の山を不安な目で見つめた。
素人目にも大金だと分かる。平民が数年遊んで暮らせるくらいはあるのかもしれない。
だが、この先ずっと、というわけにはいかない。
お金は、使えばなくなる。
(私は……「ロザリア」は、貴族の作法以外、何も知らない。いや、転生したての私(佐藤葵)は、その作法すら知らない。生活能力、ゼロ)
前世の営業事務スキル(ExcelとPowerPoint)が、この世界で役立つとは思えない。
どうする? このまま王都にいても、いずれ金は尽きる。
路頭に迷うのは時間の問題だ。
「あの……マリエルさん」
「はい、お嬢様」
「あなたは……これから、どうするの? 私のせいで、その……クビに、なっちゃったのに」
私がそう尋ねると、マリエルは硬貨を数える手を止め、静かに顔を上げた。
「お気遣いなく。私は、実家に戻るつもりですので」
「実家?」
「はい。王都から馬車で20日ほど離れた、田舎の……静かな村にございます」
田舎。村。
その言葉が、私の荒んだ心に、清涼な水のように染み込んだ。
(田舎……いい響きだ……)
前世は、東京のコンクリートジャングルで、蛍光灯の光を浴びながら数字に追われる日々。
転生したら、きらびやかだが魑魅魍魎の渦巻く貴族社会(即追放)。
どちらも、私(佐藤葵)が心から求めていたものじゃない。
私がぼんやりと夢想していると、マリエルが小首を傾げた。
「お嬢様は、どうなさいますか? この王都に残られますか?」
「え……あ、いや、私は……」
そうだ。マリエルが実家に帰ったら、私は一人になる。
この、超有能で、ちょっと(かなり)怖いけど、唯一の命綱である彼女と、ここで別れる?
無理だ。絶対に無理。
この王都で一人で生きていけるわけがない。
私が絶望的な顔で首を横に振るのを見て、マリエルは(おそらく計算通りに)告げた。
「もし、お嬢様さえよろしければ」
「……え?」
「私の実家に、ご一緒にいらっしゃいませんか?」
――キた。
その誘いを、私は待っていた。
「い、いいの!?」
「はい。幸い、実家は(田舎貴族ですが)屋敷もございます。お嬢様お一人を匿うくらい、わけもございません」
(……スローライフだ)
私の脳内に、理想郷のイメージが洪水のように押し寄せた。
緑豊かな村。美味しい空気。採れたての野菜。
恩着せがましい上司も、理不尽な取引先もいない。
私を「淫乱令嬢」と罵る王子も、「野垂れ死ね」と吐き捨てる両親もいない。
激務と過労で死んだ社畜(佐藤葵)。
転生即追放された悪役令嬢。
そんな、ダメージを負いすぎた私の心を癒す場所。
それが、田舎でのスローライフ!
(そこで、生活の基盤を立て直すのよ! 前世ではできなかった、まともな生活……!)
(あわよくば、村の朴訥な青年と出会って……! そうよ、今度こそ彼氏なしの人生(前世)を繰り返さないわ!)
私は、輝く未来(という名の壮大な勘違い)を前に、興奮で立ち上がった。
マリエルの両手を、ガシッと握りしめる。
「行く! 行きます! あなたの実家に、ぜひ連れて行って!!」
私の勢いに、マリエルは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにいつもの無表情(に、心なしか満足げな微笑みが混じったようにも見えた)に戻った。
「かしこまりました。では、明朝、始発の馬車で発ちましょう」
こうして、私の(地獄の)スローライフへの第一歩が、高らかな希望と共に踏み出されたのだった。




