第42話:穿(うが)つ踵(かかと)と、ゼロ距離の炎
「邪魔だ、雑魚どもがァッ!!」
私の背中から、イグニアの半ば自暴自棄になった絶叫が迸る。
彼女が左手で突き出した杖の先から放たれた劫火が、通路を埋め尽くさんとしていた『使い』の群れを、一瞬にして炭化させ、蒸発させた。
(うわ、えげつな。だが、こりゃ確かに……)
コンマ数秒の跳躍と着地を繰り返す私の身体は、彼女にとって最高の砲床と化しているらしい。寸分の揺れもない背中の上で、イグニアは魔力を垂れ流す。あの女、この連携を瞬時に計算していたのか。
イグニアが撃ち漏らした個体が、壁の亀裂から獣のように飛びかかってくる。
それを、私と完璧な並走を続けるエステルが、一閃のもとに切り伏せた。
「秩序の刃!」
背中のイグニアの体温を感じながらも、私の視線は(無意識に)エステルの剣捌きを追っていた。
(……ん?)
(……あいつ、化けたな)
学園で最初に出くわした時(マリエルの一件で私を吹っ飛ばした時)の彼女は、速さだけが取り柄の「脳筋」だった。力の加減を知らない、ただ振り回すだけの剣。
だが、今は違う。
高速の突き(ストレート)で敵の体勢を誘った直後、わざと剣速を殺した斬り上げ(チェンジアップ)で敵の盾を無効化し、最小限の体捌き(カット)で致命的な一撃をいなしている。
(……フォークボールまで覚えやがった。緩急自在ね)
なぜだろう。理由は皆目見当もつかないが、胸の奥、硬い外骨格の内側から、じわぁ……っと、熱いような、むず痒いような、謎の感慨が込み上げてくる。
(……(しみじみ)……エステルは、俺が育てた……)
私の(感慨に満ちた)視線が、その熱に気づいたのか。
迎撃を終えたエステルが、こちらをギロリと振り向いた。
そして、彼女は。
まるで、ドブネズミの死体に群がるウジ虫でも見るかのような、純度百パーセントの侮蔑と嫌悪に満ちた表情を、私に向けた。
「……なんですか」
「(ビクッ!?)」
「まだ門は閉じていませんよ。……その汚らわしい目で、私を見ないでいただけますか?」
ひどい言い草に外骨格の下で若干傷ついていると、今度は背後から金切り声が飛んできた。
「そうだそうだ! つーか、お前さっきから何、俺の太腿を気安く撫でてるんだよ! いい加減にしろよ、この変態バッタァ!!」
(無茶言うな! おんぶしてるんだから腕が触れるのは当然だろ! どうしろと!?)
半分ヤケになった私は、口元をニヤリと歪めた。
「あ? 撫でるって、こういうことか?」
私は彼女の太腿を支えていた右手を、意図的に少し上にずらし、その尻をムギュッと鷲掴みにした。
「ふぎゃっ!? て、てめぇ……! ふざけんな!」
イグニアが、唯一動く左手で私の頭(外骨格)を思い切り殴りつける。
ゴスッ! ……という鈍い衝突音と、
「いっっっっっっっっったぁぁぁぁ!!」
殴ったイグニア本人が、左手を抑えて絶叫する羽目になった。(※私の外骨格は鋼鉄より硬い)
「(並走しながら、こめかみを抑えて)……あなたたち、ふざけているのですか」
唯一まともなクラリッサが、心底呆れ果てた、体温の低い声を出す。
「イグニア、左手も使えなくするつもりですか。ロザリア様、約束は『世界を救ってから』です。気が早すぎますよ」
私が「違うわ!」と反論しようとした、まさにその時。
圧迫感のあった通路の空気が、ふっと開けた。
「「「……着いた……!」」」
目の前に、あの忌まわしい祭壇の間が広がる。
そして、その中央。空間そのものを歪ませながら脈動する『門』が、不気味な紫黒の光を放っていた。
その『門』の隙間から……。
私がマリエルを気絶させた時にはまだ片手だけだった『何か』が、今やその巨大な上半身をねじ込ませ、こちら側の世界に傷だらけになりながら這い出そうと、ぎちぎちと音を立てながら、もがいていた。
地底空間の最奥。
澱んだ空気が肌にまとわりつく巨大なドームの中央、混沌の汚泥が滲み出す「門」が、不気味な脈動を繰り返していた。
そこへ、混沌の使徒の残骸を踏みしだき、四人と一匹が雪崩れ込む。
呼吸は荒く、最後の力を振り絞ったのが明らかだった。
「ここが……祭壇ですぞ!」
マスコットのフィラートが、切迫した声で叫ぶ。
「今すぐ儀式を! エステル、イグニア、クラリッサ! 君たち三人の『秩序』の力を祭壇へ! それで門は再び封じられますぞ!」
フィラートが祭壇の中心で燐光を放ち、震える声で古の詠唱を紡ぎ始める。
だが、いくつもの節くれだった『手』が、ゆっくりと、しかし確実に門の縁を掴む。
ゴゴゴゴゴ……! 物理的な摩擦音とは異なる、空間が軋む音。
「フィー!? アレが門を掴んで……あれでは閉まりませんぞ!」
フィラートの声が、詠唱から絶望の悲鳴に変わった。
「……策は一つ」
即座に、クラリッサが氷のような冷静さで状況を断じる。
「エステル! 私たちはフィラートと祭壇を守る! 雑魚どもが第二波、第三波と来ます!」
クラリッサは、背中にイグニアを背負ったままの私を、射抜くような視線で捉えた。
「ロザリア様! あなたとイグニアであの『腕』を何とかしてください! 門が閉まる、ほんの一瞬の時間を稼げれば、それで十分です!」
「まかせろ、本体ごと灰にしてやる!」
背中でイグニアが、苦痛に歪む声で悪態をついた。
私は無言で頷き、守られるべき祭壇に背を向けた。
「秩序の刃!」
「秩序の束縛!」
背後で、魔力の奔流が空気を焦がす音と、新たな雑魚の群れが床を掻くおぞましい音が混じり合う。
私は、ただ目の前の、門をこじ開けようとする黒曜石の悪夢を見据える。
「さっさとアレに近づけ! バッタ女!」
背中のイグニアが叫ぶ。その声には焦燥が滲んでいた。
「最大火力をぶち込んでやる!」
要求通り、私はバッタの脚力で床を蹴り、崩れた瓦礫を足場に壁を蹴る。
人間離れした軌道で、重力に逆らいながら高速で「腕」に肉薄する。
振り落とされそうなGの中、イグニアが折れていない左腕一本で、震えるワンドを構えた。
「燃え尽きろォ! マキシマム・クリムゾンフレア!!」
至近距離。極大の火球が炸裂し、凄まじい爆炎が黒曜石の甲を包み込む。
だが。
「……なっ!?」
熱波と煙が晴れた先、そこにあるのは絶望。
黒曜石の甲は、わずかに煤を纏っただけで、ヒビ一つ見当たらない。
「硬すぎる……! 私の最大火力が、効かない!?」
イグニアが息を呑む。ワンドを握る手に、絶望が伝播する。
(……私の外骨格と一緒だな)
私は落下しながら、瞬時に分析する。
(あの硬さ。熱を拡散し、爆風を外部へ逃がす構造だ。なら——)
(やることは一つ)
「振り落とされないでね」
後ろのイグニアに軽く忠告し、私は助走の為にボスから距離を取った。
「なっ、何すん——!?」
イグニアの疑問に答えてる暇はない。ボスに向かって全力でダッシュ。
いきなりのGにイグニアは軽く悲鳴をあげ、バランスを崩すがすぐに、私の首にしがみつく。
私はあの巨大な「腕」の、最も太い「手首」の関節部。動力の集束点。その一点だけを見据えて——。
全身の筋繊維が軋む音を立てる。
増幅されたバッタの筋力を、右脚の踵、その一点へと圧縮、収束させる。
(——消し飛べッ!!)
ゴシャァァァァァッ!!
甲高い、硬質な破壊音。
体重の全て、いや、存在の全てを乗せた渾身の『バッタ・キック』は、ついに黒曜石の装甲を貫き、深々と突き刺さった。
蜘蛛の巣状の亀裂が、衝撃点を中心に手首全体へと瞬時に広がっていく。
「今よ!! イグニア!! そのヒビに叩き込め!!」
我知らず、私は叫んでいた。
私にしがみついたイグニアは、一瞬、何が起こったのか分からないという顔で私を見たが、次の瞬間には、その口元に獰猛な笑みを浮かべていた。
「……上等だっ!!」
彼女は、もはや遠距離砲撃の体裁などかなぐり捨てていた。
ワンドを握りしめた左腕を、私が穿った亀裂のど真ん中に、まるで杭を打つかのように深々と突き刺す。
「ゼロ距離だ……!」
彼女の目が、狂気的な輝きを放つ。
「喰らいやがれェェェェェ!!」
次の瞬間、爆発は「腕」の内部で起こった。
凄まじい轟音と振動が、地底空間そのものを揺るがす。
その凄まじい衝撃はイグニアを内側に庇う、背中の外骨格越しに感じられる。
(ほんと無茶するな、私が庇わなければ、死んでるぞ)
黒曜石の破片と、およそこの世のものとは思えぬおぞましい体液を撒き散らしながら、巨大な腕は手首から先が完全に吹き飛んだ。
『■■■■■■■■■————ッ!?』
門の奥から、世界の理が軋むような、魂を直接削る絶叫が響き渡る。
掴むものを失った巨腕は、まるで灼熱に触れたかのように怯み、門の奥へと引っ込んでいった。
——門が、空いた。
「今ですぞ!! 三人とも、祭壇へ!!」
フィラートの絶叫が響く。
「「「はぁぁぁぁっ!!」」」
クラリッサ、エステル、そして先ほどの爆風でボロボロになったイグニア。
三人が同時に祭壇へ手を突き、最後の力を振り絞る。
ギギギギギギギギギギ…………ッ!
耳障りな摩擦音を立てて、数千年ぶりに開かれかけた混沌の「門」が、ゆっくりと、しかし抗いがたい秩序の力によって閉じていく。
淀んでいた混沌の気配が急速に薄れ、地底空間に清浄な「秩序」の光が満ちていく。
やがて、門は完全に閉じた。
一拍の静寂。
すべてを圧していた重圧が消え、耳がツンとするほどの沈黙が訪れた。
「……やった」
イグニアが、その場にへたり込んだ。
「やった……やったぞ……!」
「ええ……!」
エステルが駆け寄り、震えるイグニアの肩を支える。
クラリッサも、張り詰めていた糸が切れたように、深く、長い息を吐いた。
「やりましたぞー!」
フィラートが歓喜の声を上げ、疲労困憊の三人の周りを、涙ながらに飛び回る。
三人は顔を見合わせ、そして——互いの無事を確かめるように、自然と、支え合うように抱き合った。
張り詰めていた緊張が解け、生還した安堵が、ゆっくりと彼女たちを包んでいく。
「……終わった、のですね」
エステルが、涙声で呟いた。
「……ええ」
クラリッサが、その声に応えるように頷く。
「ですが、王都の雑魚がまだ——」
そこで、クラリッサは気づいた。
この祭壇の間に、四人目の気配がない。
「……待って」
エステルが、ハッと顔を上げる。
「あの人は? ロザリアは!?」
三人と一匹は、慌てて周囲を見渡す。
だが、雑魚どもが塵となって消え、静けさを取り戻した広大な祭壇の間に、あの異形の「バッタ」の姿は、どこにもなかった。
まるで最初から、そこに存在しなかったかのように。
彼女は、音も、気配も残さず消え去っていた。




