第41話:屈辱のおんぶ(ライド)
カビと古い石の匂いが立ち込める地下通路に、エステルの甲高い悲鳴が反響した。
「急いで! 門から溢れた『使い』たちが、もう王都中に……!」
湿った空気が、彼女の声の震えを不気味なほど鮮明に運んでくる。
私が先陣を切り、クラリッサ、エステル、フィラートが続く。
だが、一歩、また一歩と引き連れていく影が一つあった。
「くそっ……! このっ……!」
イグニアだ。
杖を引きずる乾いた摩擦音が、私たちの焦る足音のリズムを無慈悲に乱す。
砕かれた右手の痛みが、全身の平衡感覚を奪っているのだろう。左手一本で杖に体重を預ける姿は、もはや「走る」というより「転がる」のを必死で堪えているように見えた。
焦燥が、血の気を失った彼女の横顔を醜く歪ませる。
「イグニア! 無理をしないで!」
速度を緩め、手を差し伸べようと振り返るエステルの優しさが、今は致命的な遅れを生む。
その瞬間、先頭を走っていたクラリッサが、何の前触れもなく石畳を蹴って停止した。
「エステル、そのまま前へ」
「え? でもクラリッサ、イグニアが!」
「時間の無駄です」
雑音を切り捨てるような、体温のない声だった。
クラリッサはくるりと踵を返し、この場で唯一、平然と呼吸を整えている私――『混沌』の怪人の複眼を真正面から射抜いた。
「ロザリア様」
「……何?」
「貴女が、イグニアを背負ってくれますか?」
「「はぁ!?」」
私とイグニアの、まるで示し合わせたような驚愕の声が、湿った壁にぶつかって消えた。
この女、今、何と。
「ふざけんなクラリッサ! なんで私がこいつなんかに……!」
イグニアが、手負いの獣のように牙を剥く。
だが、クラリッサは氷のような一瞥で、その激情を凍てつかせた。
「黙りなさい」
ぴしゃり、と空気が鳴る。
「イグニア。貴女は今の状態でも、チーム最大の『火力』です。ですが、その『足』では私たちに付いてくることすら叶わない。違いますか?」
「ぐっ……」
事実が、反論の言葉を喉の奥に押し戻す。
再び、その無機質な視線が私を捉える。
「ロザリア様。貴女は、我々の中で最高の『フィジカル』と『防御力』を持つ『移動体』です」
息を呑むエステルの気配がする。
「……私が何を言いたいか、もうお分かりですね?」
イグニアを、背負う。
私の、怪物の脚力。
イグニアの、人間の火力。
(……そういうことか)
脳内で、最悪のパズルが組み上がった。
こいつ、私とイグニアを強制的に合体させて、『高速機動型・重魔導砲台』を即席で作り上げるつもりだ。
並の思考じゃない。駒を配置するだけの、なんとえげつない、なんと合理的な思考回路だ。
私がクラリッサの狂気的な戦術にリツゼンとしていると、彼女は「早く」と顎をしゃくった。
イグニアは、唇を噛み切り、その血の滲むような顔でこちらを睨みつけている。屈辱に、肩が小刻みに震えていた。
「……(チッ)わーっかりましたよ! さっさと乗りなさい、背中を貸すから!」
乱暴に背中を向けると、クラリッサが抵抗する間も与えず、イグニアの身体を私の外骨格へ押し付けた。
「うおっ、と……」
「……っ!」
想像よりずっと軽い身体。
だが、その軽さとは裏腹に、伝ってくる熱量と、抑え殺した悔しさに満ちた呼吸は異様に重かった。
私は彼女の太腿の下に両腕を差し入れ、硬質な外骨格でしっかりと抱え込む。
不格好な「おんぶ」の体勢が、完成してしまった。
「……おい」
「あ?」
「……変なとこ、触ったら……マジで、殺すからな……」
背後から聞こえたのは、か細く途切れ途切れの、しかし純度百パーセントの殺意だけを練り込んだ声だった。
(善処しとく!)
内心で毒づき、固定を完了させた、その時。
「行きますよ!」
クラリッサとエステルが、まるでリハーサルでもしていたかのように、私の左右を固める。完璧な護衛のフォーメーションだ。
「イグニア、前方の掃討を!」
「言われなくたって!!」
八つ当たりじみた叫びと同時、通路の奥、闇が蠢き、新たな『混沌の使い』の群れが濁流のように溢れ出してくる。
私は、バッタの異形へと変貌した両脚に、ありったけの力を込めた。
「行くぞ、イグニア! 振り落とされるな!」
「誰に言ってんだ、!!」
床を蹴る。
石畳が、私の跳躍の圧力に悲鳴を上げた。
コンマ数秒でトップスピードに達した身体は、屈辱と怒りを背負ったまま、文字通り「戦車」となって、混沌が渦巻く闇のど真ん中へと突進した。




