第40話:混沌と秩序の取引
地上。
その眩しさに目が眩んだ直後、鼓膜を殴りつけるような爆音と、鼻を突く焦げ臭い匂いに全身が強張った。
私が地下で格闘していた間に、学園の中庭は、文字通り地獄の釜の底が抜けたような有様と化していた。
「クリムゾン・フレア!」
イグニアの放つ灼熱が、異形の群れを炭化させる。
「オーダー・シールド!」
クラリッサの張る障壁が、兵士たちを蛇のような触手から辛うじて守っている。
「秩序の刃!」
エステルの光の斬撃が、空を覆う飛翔タイプの化物を切り裂く。
魔法少女だけではない。アルフォンス王子と、憎たらしい弟が、近衛騎士たちを鼓舞し、必死で戦線を維持している。
だが、無駄だ。
私が開けた(ぶち破った)穴——地下神殿への入り口——が、今や世界への「傷口」となり、そこから新たな「混沌の使い」が膿のように溢れ出し続けている。焼け石に水、というより、地獄に油を注いでいる。
(あ…だから、こっち(地下)に来なかったのか…!)
いや、違う。「来なかった」んじゃない。「来られなかった」んだ。
私が「サボタージュ」の当てにしていた「不可抗力(魔法少女)」は、私が地下で呑気に(?)儀式を妨害している間、この地獄の最前線で、必死に「業務」をこなしていた。
皮肉な話だ。
(…さて)
腕の中、マリエルが(頭突きのおかげで)静かな寝息を立てている。
この戦場で、この意識のない女を抱えたまま戦うなど、無謀以前の愚行だ。
それに、この世界が混沌に包まれようが、私の知ったことではない。
私は、阿鼻叫喚の戦場に、きっぱりと背を向けた。
学園の高い壁、その向こうにある王都の街並みを見据える。
(まず、こいつ(マリエル)の安全確保が最優先)
私は膝を深く沈め、バッタの外骨格に神経を集中させ、脚力を最大まで溜め込む。
背後で、リオンが私に気づき、裏返った声で絶叫した。
「姉さ…いや、ロザリア! 貴様ァ! やはりお前の仕業か!!」
知るか。
溜め込んだ力を解放する。地を蹴る衝撃が、爆発のように空気を震わせた。
風切り音が耳元で甲高く鳴り、一瞬にして戦場の喧騒が遠ざかる。数分にも満たない、しかし圧倒的な自由を伴う「飛行」。
私は王都のはるか郊外、黒煙が上がる市街地を遠望できる丘の、森の静寂の中に着地した。
そっとマリエルを地面に降ろす。
…いや、このまま寝かせておいて、目を覚ました瞬間に「門」だの「神」だの言い出して、勝手にどこかへ行かれても困る。
私は、近くにあった手頃な大木に彼女の背を預けさせると、ローブの帯を解き、彼女の身体を(気道を圧迫しないよう優しく)木に縛り付けた。
(よし。これで目を覚ましても、しばらくは動けまい)
拘束完了。
私は、マリエルの寝顔を、まじまじと見つめた。
この女のせいで、私は社畜OLから、悪役令嬢になり、バッタ怪人になり、百合セクハラを受け、挙げ句に世界滅亡の片棒を担がされた。
(…本当に、ろくでもない)
私は、彼女から視線を外し、黒煙が幾筋も立ち上る王都の方角を見た。
魔法少女たちの悲鳴、兵士たちの怒号、怪物の咆哮が、幻聴のようにここまで届く。
(……逃げるか?)
もういいだろう。マリエルは助けた。これで私の「業務」は終わりだ。
このままマリエルを担ぎ、あのカルトの里とは正反対の、世界の果てまで逃げればいい。
それが、佐藤葵(28)としての、最も賢明な「生存戦略」だ。
そう、思った。
思った、のに。
私は、もう一度、木に縛り付けたマリエルを振り返った。
「…………はぁ」
人生で最大級の、深くて、重い、ため息が漏れた。
理不尽な休日出勤を命じられた、あの月曜の朝のため息よりも、ずっと重い。
「……サービス残業か」
ぼそり、と呟く。
誰に命じられたわけでもない。評価も査定もない。報酬(ご褒美)なんてもってのほか。
それどころか、恩を仇で返される(再び呪いで縛られようとする)ことまで確定している、最悪の「残業」。
私は、マリエルから王都へと視線を戻す。
(あのクソデカいボス(門の隙間でもがいてる腕)を黙らせて、さっさと『門』を閉めれば、終わる、よな?)
面倒くさい。本当に、心の底から、面倒くさい。
私は、再び、地を蹴った。
今度は、来た道を引き返す、全力のバッタジャンプ。
緑色の流星が、救う価値もない世界(と、そこにいるたった一人の女の明日)のために、黒煙の上がる王都へと突き進んでいった。
王都は燃えていた。
悲鳴と、金属音と、そして——およそこの世のものとは思えぬ異形の咆哮が、黒煙の上がる空にこだましていた。
門から溢れ出た「混沌の使い」は、知性なき災厄そのものだった。
多関節の蟲のような姿でありながら、粘液質の触手を振り回す個体。あるいは、ぬるぬるとした不定形の肉塊が、ただただ騎士団を押し潰していく。
彼らは「混沌」側である私やマリエルには目もくれなかったが、この王都の「秩序」に属する全てを敵とみなしているようだった。
「第一騎士隊、退くな! 陣形を維持しろ!」
弟のヒステリックな声が響く。
その隣では、アルフォンス王子自らも剣を抜き、冷静に迫る脅威を斬り伏せている。
だが、彼ら「秩序」側の主力は、明らかに三人の魔法少女だった。
「クリムゾン・フレア!」
「オーダー・スラッシュ!」
光と炎が、混沌の群れを焼き払っていく。しかし、門から溢れ出る敵の数は無限に思えた。
その、まさしく地獄の戦場と化した広場の中央に、音を立てて「それ」は着地した。
ドゴォンッ!!
石畳が蜘蛛の巣状に砕け散る。
戦闘の喧騒が、一瞬だけ凍りついた。
混沌の使いも、騎士も、王子も、魔法少女たちも——その場にいる全ての視線が、新たなる「災厄」の登場に釘付けになる。
仮面を失い、人の形を保ちながらも異形へと変貌した姿。肌の一部を覆う緑の外骨格。
紛れもなく、この惨状を引き起こした元凶——ロザリア・ヴェルデ。
一同が構える。リオンの顔が憎悪に歪み、王子が警戒に目を見開く。魔法少女たちは、最大の敵を前に即座に臨戦態勢をとった。
その殺意と警戒のど真ん中で、私は、鬱陶しそうに頭を振った。
マリエルを安全な森に縛り付け、覚悟を決めて戻ってはきたものの、この現場の惨状は想像以上だ。
私は、怒りに震える弟も、冷徹な王子も無視した。
視線を向けたのは、この事態を「処理」できそうな唯一の専門家——魔法少女チームだ。
「……ちょっと聞きたいんだけど」
乾いた、感情の読めない声が広場に響く。
「門を閉めたいんだけど、やり方知ってる?」
一瞬の沈黙。
その場の全員が、自分の耳を疑ったような顔をした。
最初に爆発したのは、リオンだった。
「貴様ァァァッ!!」
憎悪と怒りを込めた絶叫が突き刺さる。
「よくも……よくも今更ノコノコと! この状態をつくったのは貴様だろうがッ!!」
「落ち着け、リオン」
アルフォンスが、剣先を私に向けたまま、冷徹に弟を制する。だが、その碧眼はリオン以上の侮蔑と疑念に満ちていた。
「……今更、何のつもりだ? 悪逆の限りを尽くした挙句、王都を地獄に変えて満足したか」
王子の声が、絶対零度の響きを帯びる。
「それとも、まさか、罪の重さに気付いて命乞いにでも来たのか? ロザリア」
(罪?)(命乞いしたって許してもらえるとは、とても思えないけどな)
私が眉を顰めると、その二人の男の怒りを遮る、冷静な声が一つあった。
「お二人とも、お静かになさってください」
“秩序の天秤”ことクラリッサ・シエロが、二人を制するように一歩前に出た。
彼女の知的な青い瞳だけが、この地獄の戦場で、目の前の異形を「脅威」ではなく「交渉対象」として冷静に分析している。
王子とリオンが、その無礼とも取れる制止に言葉を詰まらせる。クラリッサは二人を無視し、真っ直ぐに私を見据えた。
「――何が狙いなのですか? ロザリア様」
(……狙い?)
私は一瞬、答えに詰まった。「何」って、言われても。
(いや、マリエルのせいだけど、元はと言えば私のせい(?)だし、後味悪いし……)
そんな「社内稟議」みたいな理由が、この英雄譚のど真ん中で通じるわけがない。
どう答えたものか。
そう思考が迷った瞬間——
(あ、ダメだ。魔法少女を目の前にすると、自然と『悪役ムーブ』しちゃう。これ、もう条件反射だわ)
私は、にぃ、と口の端を吊り上げた。この世のすべてを嘲笑う、完璧な「悪役令嬢」の笑みだ。
「いやぁ? よく考えたら、天秤・・・・・もまだ抱いてないし」
「「…………」」
「世界滅ぼすの、早すぎかなーって?」
リオンと王子の顔から、完全に表情が消えた。
怒りではない。憎しみでもない。それは、汚物を見るかのような、純度100%の侮蔑だった。
(あ、引かれた。ドン引きされた)
だが、名指しされたクラリッサの反応は、違った。
「…………は?」
一瞬、彼女の知的な仮面が崩れ、隠しようのない殺気が漏れるが。
しかし、それもコンマ一秒。
次の瞬間、クラリッサは眼鏡(変身時の伊達)の位置をクイ, と押し上げ、恐るべき早さで思考を切り替えた。
「……なるほど」
彼女は、コホン、と一つ咳払いをした。
「世界を救ってくださるなら、私でも、砲火でも刃でも、お好きに『抱いて』ください」
「「はぁ!?!?」」
今度は、イグニアとエステルが素っ頓狂な声を上げた。
イグニア(炎)は「ふざけんな!?」と叫び、エステル(刃)は「わわわ、私たちは秩序の(※しどろもどろ)」と顔を真っ赤にしている。
そのメチャクチャ不満そうな顔の二人を、クラリッサは冷徹な視線で一瞥し、黙らせた。
「いいですか! この際、秩序の存続に比べれば、我々の貞操など誤差です!」
クラリッサは私にビシッと指を突きつける。
「取引成立ですね、ロザリア様! 私たちとフィラートを、門の前にある『祭壇』まで連れて行ってください!」
「――そうすれば、門は再び閉じることができます!」
(敵女幹部と手を組みラスボスと戦う魔法少女、劇場版の一番盛り上がるところきたな)
私は満足して頷き、踵を返した。
「決まりね。――じゃ、行くわよ」
祭壇に向かって一歩踏み出す。
クラリッサは呆然と立ち尽くす王子とリオンに、「外のことは頼みます」と言い残した。
「……私たちが門を再び閉じるまで、王都を民を守ってください」
王子やリオンがなんと答えたのかは聞く必要はないし、興味もない。
私は地を蹴り、叫ぶ。
「ハハハッ、三人まとめて可愛がってやるからな、約束忘れるなよ」
「え、ちょ、待ってください!」という魔法少女たちの悲鳴を置き去りに、門へと飛び込む。
サービス残業の始まりだった。




