第38話:空っぽの学園と、邪悪な閃き
王都の夜闇を跳躍し、公爵家の追手——そして、姉の常軌を逸した奇行にドン引きしていた弟たち——を完全に振り切った私たちは、学園からさほど遠くない、打ち捨てられた廃屋の屋根に身を潜めていた。
冷たい夜風が、戦闘の高揚(という名のヒステリー)で火照った身体に心地よい。
(……ふぅ。完璧だ)
私は内心、この夜三度目となる、完璧なガッツポーズを決めた。
これで公爵家は、あの「暗殺予告(大嘘)」を真に受け、城塞と化すだろう。
マリエルの「公爵家乗っ取り(という名の暗殺)計画」は、事実上、「実行不可能な高難易度案件」として無期限の『ペンディング(保留)』になったのだ。
(やった……! ついにやったぞ、佐藤葵! この理不尽なプロジェクト、完璧な『遅延工作』で事実上凍結させてやった!)
私は「やり遂げた」という、深夜三時の障害対応を終えた社畜のごとき達成感に浸りながら、隣で苦虫を百匹ほど噛み潰している上司に向き直った。
ここが最後の押しどころだ。
「……マリエル。もうわかったでしょ?」
私は、わざと「もう、疲れたわ…」という倦怠感を声に滲ませる。
「公爵家はもう無理。リオンも本気になった。王都は私たちにとって『鬼門』なのよ」
私は夜空を仰ぎ、それっぽい台詞を吐いた。
「そう……まだ『時代』が来てないのよ。きっと。たぶん、来年か、再来年あたりに『門』の機運が……」
「…………」
マリエルは何も答えない。
彼女はただ、未練がましく、あの王立貴族学園の方角を——その闇の奥にある何か一点を、射抜くように見つめている。
(あー…やっぱ諦めきれてないな、あの顔)
(でも、どうしようもないだろ。あそこにはあの『魔法少女(秩序の番人)』がいるんだから)
そう。
計画Aの「学園(門)」は、魔法少女に阻まれた。
計画Bの「公爵家(拠点)」は、私によって、魔法少女(と公爵家)の鉄壁の防衛対象になった。
完璧な、八方塞がり。
これにて王都攻略は、完全撤退(解散)だ。
私が「さ、田舎に帰ろ?」と、この無駄な出張の終わりを切り出そうとした、その時だった。
「……あれは?」
私のバッタ的な複眼が、学園の上空を高速で移動する、三つの光点を捉えた。
白銀の光条。真紅の光条。そして、群青の光条。
魔法少女たちだ。
(は? 何してんだ、あいつら……?)
三つの光は、学園上空で一切躊躇することなく、進路を東へ。
一直線に——公爵家のある方角へと、猛スピードで飛び去っていった。
「…………」
「…………」
私とマリエルは、言葉もなく、顔を見合わせた。
(……うそだろ)
私の背筋を、氷のように冷たい汗が伝う。
(あいつら……まさか、私のあの『暗殺予告』を真に受けて……)
(公爵家の警備を固めに行ったのか!?)
私の「完璧なサボタージュ」が、最悪の形で噛み合った。
「門」を守るべき「邪魔者」が、私の「罠」によって、「門」から完璧におびき出されてしまった。
——今、この瞬間。あの学園(門)は、がら空きだ。
「……ふふ」
隣で、息を飲むような、押し殺した音がした。
見ると、さっきまで未練と苦渋に沈んでいたマリエルの顔が、ゆっくりと、ゆっくりと歪んでいく。
希望が絶たれた狂信者の顔から、絶対の好機を見出した狂信者の顔へ。
「ふふ、ふふふ……あはははは!」
マリエルは、肩を震わせて笑い始めた。
その笑顔は、これまでに見たどの笑顔よりも純粋で、無邪気で、そして——邪悪さが二百パーセントは増していた。
「……『邪魔者』が、消えてくれました」
マリエルは、熱に浮かされたような、恍惚とした瞳で私を見上げる。
「——バッタちゃん。戻ってくる前に、『門』を探しに行きましょう?」
(((あああああ、もう最悪だ!!!)))
私は内心で頭を抱えながら、再び侵入した王立貴族学園の敷地を、幽鬼のようにやる気なく彷徨っていた。
(私のバカ! なんであんな余計な悪役ムーブ(暗殺予告)なんかしたんだ!)
(これで門が見つかったら、全部私のせいじゃねえか! 業務上過失致死どころの話じゃない!)
「(わざとらしく)いやー、広いわー。学園、広すぎ。月明かりだけじゃ、こんなんじゃ見つからないって」
「(わざとらしく)あ、こっちの校舎、さっきも見た気がする。ダメだわ、完全に迷ったわー」
私は完璧な「やる気のない新入社員」ムーブで、同じ場所をグルグル回り、露骨な時間稼ぎ(サボタージュ)を試みる。
「——こっちです」
だが、マリエルは私のそんな小細工を一切無視した。
彼女はもはや、私の「やる気」など当てにしていない。彼女の狂信的な「直感」だけが、羅針盤のように彼女を導いていた。
マリエルは私の手を掴むと、まるで目に見えない引力に引かれるように、一直線に歩き出す。
(あ、ヤバい。こっち……)
見覚えがありすぎる。
魔法少女Aと初めて遭遇した、あの中庭。
そして、彼女が姿を現した、あの回廊だ。
「……」
マリエルは、回廊の奥で立ち止まると、壁や床を丹念に調べ始めた。
(いや、何も無いって。ただの廊下だって)
私は壁に寄りかかり、「早く諦めないかなー」と、この夜何度目かの溜め息をつく。
マリエルは、何もない空間に向かって、ふらふらと歩き出した。
そして、そのまま、通り抜けた。
水面に映った月をかき消すように、彼女の姿が、何もない空間に吸い込まれ、消える。
「は?」
マリエルは、何もない空間の「向こう側」で振り返り、私を手招きする。
「バッタちゃん、何をしています。早く」
(……え? 普通に通れるじゃん。私の勘違いか?)
私は怪訝に思いながら、マリエルが通り抜けた「何もない空間」に向かって、一歩、足を踏み出した。
ゴッ!!!
「ぐえっ!?」
透明な、しかし鋼鉄のような「壁」に、顔面から激突した。
見えない壁に弾き飛ばされ、私は無様に尻餅をつく。
「(狂喜)——そこです!!」
マリエルの声が、弾かれた。
振り返ると、彼女は、私が弾かれた「何もない空間」を、恍惚とした表情で、外側からベタベタと手のひらで触っている。
(うわぁ……)
彼女には、この結界を認識できない。
だが、「混沌の巫女」である彼女は通り抜け、「旧支配者の力(器)」である私は、この「秩序の結界」に弾かれる。
マリエルは、その絶対的な事実だけで、ここが「隠された入口」だと確信したのだ。
「見つけました……! ああ、ついに……!」
もはや、マリエルの瞳に、冷静さの欠片も残っていなかった。
彼女は、激しい興奮で頬を紅潮させ、荒い息を吐きながら、私に厳命する。
「そこです!! ぶち破りなさい!」
「今すぐに!!」
(……あーやりたくない……)
(……でも、上司に命令されると動いちゃうんだよな……)
私は、重い溜め息を一つ吐くと、尻餅をついた体勢からゆっくりと立ち上がった。
そして、見えない「壁」——秩序の守り——に向かって、右の拳を、ギシリ、と握りしめる。
「(小声)……結界信じてるぞ、お前ならできる」
全力のバッタパンチが、秩序の結界に叩き込まれた。
ピシ、と空気にヒビが入る。
——次の瞬間、凄まじいガラスの割れるような轟音と共に、空間そのものが砕け散った。
そこにあったのは、ただの壁ではない。
月明かりに照らされた、地下へと続く、古の石造りの階段。
「門」へと続く、禁断の入口だった。
「——ああ!」
マリエルは、歓喜の叫びを上げた。
彼女は、もはや私を待つことすらしない。
いつもなら「バッタちゃん、抱っこを」と要求するはずの彼女が、その時間すら惜しいとばかりに、自分の足で、転げるようにして暗い階段を駆け下りていく。
(ちょ、待てよ!)
その、あまりに無防備で、常軌を逸した背中に、私は、これまで感じたことのない強烈な「嫌な予感」を覚えた。
ごくりと唾を飲む。
地下から、カビと、何か得体の知れないものの匂いが吹き上げてくる。
(……ヤバい。マジでヤバいことになってきた)
私は、狂気に取り憑かれた主人の後を追うように、暗い地下へと足を踏み入れた。
同時刻。王都・公爵家屋敷上空。
冷たい夜気が、鐘楼の石を撫でていく。三人の魔法少女は、その頂点に音もなく降り立った。
「——厳戒態勢、ですね」
"秩序の刃"エステルが、眼下に広がる光景に息を呑む。
リオンと王子の命令により集結した公爵家の私兵と王都衛兵が、屋敷を三重にも四重にも固めている。無数の松明が、闇を焦がすように揺らめいていた。
あれは、怪人の強襲に備えるというより、もはや「籠城」の構えだった。
「チッ……」
"秩序の砲火"イグニアが、忌々(いまいまし)しげに舌打ちする。
右腕には、先日の戦闘で負った骨折を固定するため、痛々しい包帯と添え木が巻かれている。夜風が、その包帯の端を不吉に揺らした。
「こんだけ人がいやがって、どこから来るかもわかんねぇってのによ。あのバッタ女、マジでここを狙う気か?」
「間違いありません」
エステルが、イグニアを諌めるように、しかし鋼鉄のように硬い声で応じる。
「あの怪人の怨嗟と殺意は本物でした。彼女は公爵家を、家族を、憎んでいる。……そして、リオン様は私たちが守らなくては」
「……」
"秩序の天秤"クラリッサだけは、黙して語らなかった。
彼女は、公爵家の「完璧すぎる」警備網を冷静に分析しながら、心の奥底で疼く、拭いがたい違和感と格闘していた。
(……おかしい)
(あの怪人と、あのメイド(マリエル)。二人の目的が、本当に「公爵家への復讐」だけ……?)
クラリッサは自分は何かを見落としていないか?忘れていいないか?との考えを捨てることができなかった。
「——フィ?」
その時、エステルの肩に乗っていたマスコット、聖晶獣フィラートが、ビクンッ、と全身の毛を逆立たせた。
「どうしましたの、フィラート?」
エステルが問いかける。
フィラートは、眼下の公爵家ではない、まったく別の方角——王立貴族学園の方角を凝視し、カタカタと小刻みに震え始めた。
「フィ、フィ……フィイイイイイイイイイイ!!!」
「あ! あそこ! あそこですぞォォォ!!!」
「な、何!?」
イグニアが叫ぶ。
「結界が!」
フィラートの金切り声が、王都の夜空に響き渡った。
「学園の! 我らが守るべき『門』の結界が……今……破られたですぞォォォ!!!」
「「——なっ!?」」
エステルとイグニアの動きが、凍りついた。
その瞬間、クラリッサの中で、全ての点と線が、悪意に満ちた一本の線として繋がった。
あの怪人の、学園での不可解な行動。
あのメイド(マリエル)の、異様なまでの「門」への執着。
そして、あまりにもタイミングが良すぎる、あの「暗殺予告」。
クラリッサは、血の気が引いていく顔を、ゆっくりと両手で覆った。
「……やられた……」
それは、静かな、絶望に満ちた声だった。
「エステル……イグニア……。私たちは、踊らされていた……!」
彼女は、ギリ、と奥歯を噛み締める。
「公爵家じゃない……! 暗殺予告も、復讐も、何もかもが……!」
クラリッサは、憎悪と共に学園の方角を睨みつけた。
その瞳には、冷静な分析官ではなく、己の致命的な失態を呪う怒りが燃えていた。
「あの雌豚……!」
「狙いは、最初から……! 私たちをここ(公爵家)へおびき出し、手薄になった学園に侵入する……!」
「狙いは、最初から『門』だったんだわ!!」
「そん……」
エステルは絶句し、その場で崩れ落ちそうになる。足元から力が抜けていく。
「そんな……では、私たちは、まんまと……!」
「あのクソバッタ野郎ォォォ!!!」
イグニアの絶叫が、誰よりも早かった。
「ふざけんじゃねぇ!」
「急ぎますよ! 今すぐ学園へ戻る!」
「でも、公爵家の皆さんが……!」
「どちらが世界にとって重要ですか!」
クラリッサの叱咤が飛ぶ。
『門』の解放は、王都の危機どころではない。世界の、秩序の危機だ。
「戻るぞ、二人とも!」
「今度こそ、あの二人を……!」
「『秩序』の名において、叩き潰す!!」
三つの光は、公爵家の警備に集まっていた兵士たちが(何事か)と見上げるはるか上空で、絶望的な速度で反転した。
だが、彼女たちはまだ知らない。
その「気づき」が、あまりにも遅すぎたということを——。




