表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/43

第34話:労災と、折れたプライド


(ヤバい。これ、サボタージュの範疇超えた)


イグニアの瞳から、理性の光が消えていた。

レンズの奥で燃える紅蓮は、もはや「秩序」も「任務」も焼き尽くし、ただ「わたしを舐めた(・・・)」という純粋な激情だけを燃料に、その魔力を際限なく暴走させる。


(「お仕事」じゃなくて、「労災」になるやつだ——!)


これはもはや、業務サボタージュではない。

これは、キレた新入社員が、会社のサーバーラックに物理的にガソリンをぶちまけようとしている瞬間に立ち会ってしまった、中間管理職わたしの絶望的な悲鳴だ。


「舐めるなァァァァァ!!」


イグニアが放ったのは、もはや「アロー(矢)」という形状を保っていなかった。


「クリムゾン・インフェルノ!」


空き地全体を焼き尽くさんとする、無軌道な炎の津波。


(ドガァァン!!)


回避した背後でビルが崩落する轟音を聞きながら、私は前世(佐藤 葵)の記憶に深く刻み込まれた、ある業務上の真理を思い出していた。


(——『火事トラブルは、火元ひもとで消すのが一番早い』!)


このまま広範囲の破壊活動を続けさせては、マリエルへの「報告」どころではない。

衛兵どころか、あの王子アルフォンスまでしゃしゃり出てくる可能性がある。


面倒事ざんぎょうは、これ以上増やすな!)


私の思考は、瞬時に「サボタージュ(遅延工作)」から「ダメージコントロール(火消し)」へと切り替わった。

炎の津波が、第二波、第三波と、地面を舐め尽くしながら迫る。


(うるさい!)


私は、その紅蓮の海を真正面から突き切った。

バッタの外骨格が、炎を弾き、チリチリと焦げ臭い匂いを上げる。だが、構わない。


「なっ!?」


炎の中から、無傷で(精神的にはキレ気味で)飛び出してきた私を見て、イグニアの目が驚愕に見開かれる。


(タメが長い! 運用ミスだって、さっきから言ってるだろ!)

(こっちは「お仕事」中なんだよ!)


私は、バッタの脚力でゼロ距離まで踏み込む。

至近距離に現れた私に対し、イグニアはもはや遠距離魔法を諦め、慌てて杖(炎の杖)を振りかぶった。


(遅い!)


私は、彼女のその無謀な攻撃プロジェクトを、物理的に「止める」ため、右手を振りかぶった。


(止まれ!)


前世で、暴走する上司の無茶振り(エンターキー)を止めるために、何度キーボードを叩き割りたいと思ったことか。

その時の鬱憤うっぷんと、「早く帰りたい」という焦燥を込めた、ただの「制止」の一撃。


彼女が杖を握る、右腕の肩口。

そこを、外骨格に覆われた手刀で、叩いた。


——ゴキッ。


それは、乾いた枝が折れるような、安っぽい、しかし生々しい音だった。


「……………ぁ」


イグニアの口から、間の抜けた空気が漏れる。

彼女が放っていた炎の津波が、まるでテレビの電源が落ちるように、ふつり、と消えた。

瓦礫の山に、絶対的な静寂が訪れる。


イグニアの杖が、カラン、と乾いた音を立てて地面に落ちた。

彼女は、自分の右腕を見た。

それは、ありえない方向に、だらりと垂れ下がっていた。


「あ……あ……」


数秒の沈黙。

その意味を、脳が理解することを拒絶し、そして受け入れた瞬間。


「ぎゃあああああああああああああああ!!!!」


夜の廃墟地区に、魔獣の咆哮ほうこうとは似ても似つかない、ただの「少女」の、純粋な激痛の悲鳴が響き渡った。


(…………え?)


私は、振り抜いた自分の手を見つめたまま、完全にフリーズしていた。


(……うそ)

(……折った?)

(いや、違う、止めたかっただけだ。ちょっと、肩を叩いて『落ち着け』って)

(……でも、これ、どう見ても、折れてる)


((労災だァァァァァァァァァ!!!))


私の脳内で、佐藤 葵(28)の理性が、最大音量で叫び声を上げた。


(ど、ど、どうしよう!? 相手、怪我した! しかも腕! 魔法少女の命(?)の腕!)

(これ、顛末書てんまつしょじゃ済まない! 訴訟!? 懲戒解雇!?)

(いや、待て、落ち着け私。マリエルへの報告、報告はどうする!?)

(『偵察してたら、相手がキレたんで、止めたら腕が折れました』…?)


((通るかそんな報告書!!!))


(むしろマリエルは喜ぶぞ!『よくやりましたバッタちゃん。敵戦力を一人無力化ですね』って! 違う! そうじゃない! 私はサボタージュがしたいんだ!)


私が、社畜人生最大のパニックに陥っていると、


「……っ、う……!」


イグニアが、折れた腕を押さえ、脂汗と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、それでも私を睨みつけていた。


「……ころ……してやる……!」


左手で、地面に落ちた杖を拾おうと、無様に瓦礫を掻き、もがいている。


((まだ戦う気なの!? やめて! 私のSAN値が持たない!!))


逃げろ。

私の本能が、この「ヤバい現場(労災発生現場)」から一刻も早く立ち去れと命じる。


私は、わざとらしく一歩下がり、悪役の作法に則った。


「(声が震える)く、ククク……!」

「な、なかなか骨があるじゃないか、魔法少女…!」


((骨だけに!!!))

(ダメだ、思考がまとまらない!)


「だ、だが、今日のデータは取れた! 目的は果たしたわ!」


((マリエルへの報告用! マリエル、聞いてる!? ちゃんと「お仕事」したからね!!))


「ま、待て……! 逃げるなァァァ!!」


イグニアの必死の制止を振り切り、私はバッタの脚力を全開にした。


「次こそ、お前の息の根を止めてやる! フハハハハ!」


((ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!))


心の中で全力で謝罪しながら、私は人生(二度目)で最速のスピードで、その場から全力で撤退した。


後に残されたのは、瓦礫の山の中、折れた腕を抱えて蹲る、一人の魔法少女。


「……っ、くそ……!」


イグニアの歯が、痛みか屈辱か、ギリ、と鳴った。

無事な左手で、瓦礫が散らばる地面を何度も何度も殴りつけた。


「……逃げるなよ……!」


それは、怒りではなかった。

追い詰められた子供が漏らすような、か細い、懇願にも似た響きだった。


滲んだ涙が、月明かりに照らされた地面に、小さな染みを作っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ