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第3話:唯一の(?)救いの手



(あ……お母様!)


衛兵の無遠慮な手が腕に食い込む。

 その痛みに抗うように、私は視界の端に映ったその人影に、最後の望みを託した。


豪奢なドレスをまとった、私と同じ燃えるような赤髪の美しい女性。このロザリアの母親だ。

 彼女は、公爵の隣で、ただ冷ややかにこの「劇」を眺めている。


お願い、止めて。

 いくらなんでも、実の娘が勘当されて追放されようとしているのよ。


あの冷血な父親がダメでも、母親なら。母親というものなら、きっと……!


私の必死の、懇願するような視線に気づいたのか、母親はゆっくりと私の方へ歩み寄ってきた。

 衛兵たちが、公爵夫人の接近にわずかに歩みを緩める。


(助けてくれる……!)


凍りついていた胸の奥に、小さな、淡い期待が灯った。


しかし、母親は私の目の前で足を止めると、優雅な仕草で扇を広げ、その口元を隠した。

 扇の上から覗く瞳が、私を上から下まで、まるで汚れた商品でも値踏みするように眺める。


そして、吐き捨てた。


「みっともない。……まあ、ちょうどよかったわ」


「…………え?」


「公爵家の恥が、これ以上王都の空気を汚さなくて済むのですから。せいぜい、その美貌・・だけを活かして、道端の娼婦にでもなって稼ぐことですわね。もっとも、あなたのような性根の腐った女を買う男がいれば、の話ですが」


それは、怒りや悲しみを含んだ声ではなかった。

 心底どうでもいい、道端に落ちたゴミを処理するかのような、冷え切った、何の感情も含まない声だった。


「ああ、それとも。その前にどこかで野垂れ死んでくださるかしら? その方が、後始末が楽で助かるのだけれど」


絶句した。

 呼吸が止まる。「蛇蝎の如く」という一文が、脳内で現実の感覚を伴って再生される。


嫌われている、なんてものではない。

 心の底から、存在ごと消えてほしいと願われている。


(どんだけ……どんだけ、憎まれてるのよ、私……いや、「ロザリア」は……)


もう、誰も私を助けてはくれない。

 母親の後ろにいる弟らしき少年も侮蔑の眼差しを一瞬だけ向けると、あとは顔を逸らし、見向きもしない。


その絶対的な事実が、氷の杭のように私の胸を貫き、先ほど灯ったばかりの淡い期待を木っ端微塵に砕いた。


抵抗する気力も、立っている力も失せ、私は衛兵たちによって、パーティ会場のきらびやかな大広間から無慈悲に引きずり出された。


重い扉が、背後で無情な音を立てて閉まる。

 まるで、今までの人生(と言っても、まだ数分にも満たないが)と、これからの人生を、ギロチンのように断絶する音だった。


衛兵たちは私を城の薄暗い廊下まで引きずると、用は済んだとばかりに乱暴に突き放した。


「とっとと失せろ。二度と王城ここの敷居をまたぐな」


私は受け身も取れず、冷たい大理石の床に倒れ込む。

 ゴツン、と鈍い音を立てて打った肘が、遅れて熱い痛みを訴えてきた。


高価そうな深紅のドレスも、床の埃で薄汚れてしまったかもしれない。

 でも、そんなことは、もうどうでもよかった。


(……どうしよう)


これから、どうすればいい?

 家はない。婚約者もいない。金も……たぶん、ない。


そもそも、ここはどこだ。

 私は、佐藤葵(28)なのに。


過労死したはずなのに、こんな場所で、無一文で放り出されて。


途方に暮れ、立ち上がる気力もなく、ただ床の冷たさに体温を奪われながら座り込んでいると。

 コツ、コツ、と控えめな足音が近づいてくるのが聞こえた。


(……まだ何かあるの? もう、放っておいてよ……)


顔を上げる気力もない。これ以上、何を奪われるというのか。

 やがて、その足音は私の目の前で止まった。


視界に入ったのは、シンプルな黒いメイド服の裾と、磨かれてはいるが質素な革靴。


「お嬢様」


静かで、感情の起伏が読めない声だった。


「お怪我はございませんか?」


……え?

 私を、心配してる?


私をゴミのように罵った両親でもなく、汚物のように見た婚約者でもなく、見ず知らずのメイドが?


私はゆっくりと、軋む首を動かして顔を上げた。


そこに立っていたのは、銀色の髪をきっちりと三つ編みにした、透き通るような青い瞳の、儚げな美少女だった。

 彼女は能面のような無表情のまま、私をまっすぐに見下ろしている。その瞳は、私を侮蔑も嘲笑もしていなかったが、同時に何の感情も映していなかった。


(……お嬢様? 私のこと?)


混乱する頭で、必死に記憶を探る。

 佐藤葵の記憶には、当然こんな美少女はいない。


では、ロザリアの記憶は?

 ……ダメだ。転生(?)したばかりの脳は、何一つ情報を返してくれない。


彼女が差し出そうとしている(ように見える)その気配は、救いの手なのだろうか。

 それとも、絶望への最後の一押しだろうか。


私は、ひび割れた喉で、掠れた声をなんとか絞り出した。


「……あの。……どちら様、ですか?」


その瞬間。

 それまで能面のように無表情だったメイドの少女が、初めて、その氷のような青い瞳を驚きに見開いた。

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