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第2話:完全なる絶望



(……いや、状況整理は後だ。まずは、この理不尽極まりないクレームに対応しないと……)


そうだ。落ち着け、佐藤葵。


これは危機的状況。だが、危機的状況デスマーチこそ、私の本領だ。

 二十八年間の社畜生活で培った対人折衝スキルが、今こそ火を噴くはず。


まず、あの金髪王子。彼は「婚約者」だった。


だが、相手は王族。その婚約だ。

 いくら私(というより、この「ロザリア」という女)が何かをしでかしたからといって、こんな公衆の面前で、一方的に破棄できるほど軽い契約のはずがない。


裏には政治的な取引、家と家の力関係。そういう、もっと泥臭いものがあるはずだ。


(そうだ、お父様……いや、この体の父親はどこ?)


必死で視線を彷徨わせる。人々の嘲笑と好奇の壁を掻き分けて。


会場の最前列。ひときわ威厳のある豪奢な衣装をまとった、冷徹そうな壮年の男性が目に入った。

 彼は、ロザリアと同じ、燃えるような赤髪をしている。


間違いない。彼がこの「ロザリア・ヴェルデ」の父親、ヴェルデ公爵。


彼は私を……いや、私を断罪した王子を、真っ直ぐに見つめている。

 表情は氷のように硬いが、内心は焦っているはずだ。


大事な娘が(たぶん)、王家に嫁ぐという政治的カードが、今、目の前で破り捨てられようとしているのだ。

 きっと、王子を諌め、この場を収めてくれる。


「(お願い、助けて……!)」


心の内で、ほぼ見ず知らずの他人に必死で助けを求めた。


私の絶望に満ちた視線に気づいたのか、公爵がゆっくりと一歩、前に出た。


「お待ちください、殿下」


来た!

 私は(心の中で)小さなガッツポーズを取った。


そうだ、親は子の味方だ。

 きっとここから「娘の非礼は、親である私の監督不行き届き。この場はひとまず収めていただき、後日改めて……」という、ビジネスライクな和解の道を探ってくれるに違いない。


しかし、公爵は私のその淡い期待を、鋼のように冷たい声で粉砕した。


「――殿下のご決断、賢明至極に存じます」


「………………は?」


思わず、喉から間の抜けた空気が漏れた。


え、何? けんめい?

 あなたの娘、今、満場の前で婚約破棄されたんですよ?


「実のところ、殿下。この件につきましては、以前より貴方様とご相談申し上げていた通り」


「……え?」


「我が娘、ロザリアの素行の悪さ。それはもはや、ヴェルデ公爵家の恥。我が家の度重なる諫言にも耳を貸さず、淫蕩の限りを尽くすこの女に、もはや情けをかける必要はございません」


(そうだん? 以前、より?)


頭が真っ白になる。

 どういうことだ。


王子と公爵は、グルだった?

 この婚約破棄は、単なる「きっかけ」に過ぎず、すべては、こうなることが決まっていた……?


「このパーティでの醜態は、もはや弁解の余地なし。殿下がご決断下さったことに、感謝申し上げる次第」


公爵は王子に深く頭を下げると、ゆっくりと顔を上げた。

 そして今度こそ、私を真正面から睨みつけた。


その瞳には、父親が娘に向けるような情は、一滴たりとも含まれていない。

 それは、処理に困る「不良債権」を見る目だった。損失を確定させ、どう切り捨てるかを算段する、冷え切った査定者の目だ。


「ロザリア」


地を這うような低い声が、私の名前(ではない名前)を呼ぶ。


「貴様の我儘も、放蕩も、今日までだ。我がヴェルデ家の名をこれ以上汚すことは許さん」


彼は、まるで判決を言い渡す裁判官のように、高らかに宣言した。


「たった今より、貴様を勘当する! ヴェルデ家の籍から除名し、追放処分とする!」


(か、かんどう……!?)


婚約破棄の次は、勘当?

 嘘でしょ。


転生(?)初日にして、王子の婚約者から、ただの無職(どころか無籍)にジョブチェンジ?


展開が早すぎる!

 デスマーチ中の突然の仕様変更より理不尽だ!


「衛兵! 何をしている! その恥知らずを、今すぐここから叩き出せ!!」


公爵の怒号が、シャンデリアの光を震わせる。


それまで遠巻きに事態を眺めていた屈強な衛兵たちが、金属音を響かせ、私に向かって無慈悲に歩み寄ってくる。


(待って、待って、待って! 私は何もしてない! 人違い……いや、人違いじゃないけど、中身は違うの!)


言葉にならない叫びは、もちろん誰にも届かない。


ガシッ、と無遠慮な手が両腕を掴む。

 硬い甲冑が肌に食い込み、痛みが走った。


なす術もなく、私は床を引きずられ始めた。

 その、瞬間。


(あ……お母様!)


視界の端。公爵の隣で、この一部始終を冷ややかに見つめている、氷のように美しい女性の姿が映った。

 彼女が、この体の母親。


いくらなんでも、母親なら。

 父親がダメでも、この冷酷な男がダメでも、母親なら、きっと……!

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