第29話:魔法少女たちの仮説
月光が、無惨に引き裂かれた鋼鉄の馬車と、そこに折り重なる人だったものとを、区別なく冷ややかに照らし出していた。
怪人の、耳障りな高笑いが夜闇に溶け、遠ざかっていく。
一人の少年は、その残響を、まるで悪夢から醒めきれないまま見送るしかなかった。
最初に、張り詰めた空気を破ったのはリオンだった。
彼は、自らが纏う、埃一つないエリート校の制服の完璧さと、眼前に広がる血と鉄屑の惨状とが、同じ世界に存在しているという事実を、脳が受け入れることを拒否しているようだった。
「……今のは、何だ」
絞り出した声が、自分のものでないかのように微かに震えた。
それは恐怖ではない。リオン・ヴェルデという存在が、自らの理解も、秩序も、権威も一切通用しない理不尽によって蹂躙されたことへの、純粋な「怒り」と「混乱」だった。
「貴様ら、何者だ! あの怪人は何だ! なぜ私が、こんな……!」
リオンが、夜闇から現れた魔法少女の出で立ちの二人――「秩序の天秤」(クラリッサ)と「秩序の砲火」(イグニア)に詰め寄ろうとする。
だが、「天秤」は、激昂する彼を、まるで道端の石ころでも見るかのように通り過ぎた。
彼女の視線は、リオンの傍らで(完璧な被害者を演じ)茫然と座り込む少女にだけ注がれている。
「そこのお嬢さん、ご無事ですか」
「え……あ、はい……」
「天秤」は、リオン・ヴェルデという存在を完璧に「無視」したまま、業務的な口調で続ける。
「『砲火』」
「あァ? なんだよ『天秤』」
「貴女は、このお嬢さんを安全な場所まで。私は、現場の初期調査と、そこの彼の対応を」
リオンの顔が、屈辱に歪んだ。
この自分が。「公爵家次期当主」である自分が、生まれて初めて、誰かの優先順位の中で「取るに足らないもの」として扱われている。
「待てと言っている! 私はヴェルデ公爵家、リオン・ヴェルデだ! 貴様らの素性と、あの怪人の目的を説明しろ!」
「知らなくていいことです」
「天秤」の、氷点下の空気を纏った声が、リオンの言葉を斬り捨てた。
「我々はこのお嬢さんを保護するだけ。……ご自分の屋敷へは、ご自分で帰られるように」
「なっ…!」
リオンが、その傲慢さに満ちた「秩序」に反論の言葉を叩きつける前に、「砲火」は少女の腕を掴み、「天秤」と共に、現れた時と同じように唐突に闇へと溶け去った。
後に残されたのは、月光に照らされた護衛の亡骸と、ねじ曲がった馬車の残骸。
そして、自分が信じていた世界の「秩序」そのものから、初めて外側へ放り出された、エリートの少年だけだった。
場所は変わって、王立貴族学園。
その一室、生徒会室の奥、古い紙の匂いだけが主の「秘密の書庫」。
変身を解いた三人の少女が、重苦しい沈黙の中で集まっていた。
「フィィィ…! なんと恐ろしい『混沌』の気配でしたか! あれは、この王都が許容できる力を超えていますぞ!」
聖晶獣フィラートが、恐怖の残滓に全身の毛をぶるぶると逆立てて叫ぶ。
「チッ、あと一歩だったってのによ…」
イグニアが、壁に背を預け、不満そうに腕を組む。
だが、エステルとクラリッサは、浮かない顔で俯いていた。
エステルは、先ほどの恐怖を反芻し、クラリッサは、得られた情報を反芻していた。
「……クラリッサ様」
先に沈黙を破ったのは、エステルだった。
「あの怪人は、言いました。リオン様も、公爵様も、奥様も殺し…公爵家の財産を奪う、と。あんなにも、あんなにも恐ろしいことを……」
「……」
「ですが…!」
エステルは、自分の手のひらを、まるでそこにまだ感触が残っているかのように見つめた。
「あの爆発の瞬間…私は、あの怪人に庇われました。リオン様も…。まるで、私たちが死なないように…守るかのように、抱え込まれて……」
イグニアが、その言葉を鼻で笑った。
「はっ。何言ってんのよ、エステル。あんた、どうかしてんじゃないの? アレは、アタシの爆風で『偶然』そっちに吹っ飛んだだけだろ。怪人が人を守るワケないじゃん」
「……いいえ」
静かに、しかし強く反論したのは、クラリッサだった。
彼女は、冷静な分析官の目を取り戻し、思考の駒を並べていた。
「イグニアの言う通りなら、怪人はエステルを『盾』にするはずです。ですが、エステルの報告通りなら、怪人はエステルを『抱え込み』、リオン様を『背中で庇った』。…あれは偶然ではありません。明確な『保護』の意志です」
「じゃあ、なんだってのよ!?」
「……仮説だけど」
クラリッサは、指でこめかみを押さえた。
アジトの冷気が、昂ぶった思考をわずかに冷ましてくれる。
「まず、『敵の言葉を、素直に信じるのは危険だ』という前提に立って」
「あの怪人は、本当にリオン様たちを『暗殺』することが目的だったのかしら?」
エステルが、はっと息をのむ。
「……どういう、ことですの?」
「もし、あの怪人の本当の目的が、『公爵家暗殺計画という欺瞞情報を、リオン様に聞かせること』、それ自体だったとしたら?」
イグニアが「はぁ?」と、理解できないというように眉をひそめる。
だが、クラリッサは構わず続けた。
「だとしたら、あの爆発から二人を守った理由が説明できるわ。せっかく『情報』を伝達したのに、その伝達役が死んでしまっては、目的が達成できませんから」
「な…!?」
エステルは、あの凄惨な現場が、全て計算された「情報操作」だったという仮説に、背筋が凍るのを感じた。
「じゃ、じゃあ…!」
イグニアが、苛立たしげに頭をかきむしる。
「その『暗殺するぞ』って情報を流す目的は、なんなんだよ!?」
「……そこまでは、まだ情報が足りないわ」
クラリッサは冷静に首を振った。
「でも、もう一つの可能性も考えましょう。……もし、あの『暗殺計画』が、本当だったとしたら」
「え?」
「あの怪人の言葉通り、公爵、夫人、リオン様の殺害計画が、今も進行中だとしたら……。そこには、一つの致命的な『矛盾』が生じるの」
「矛盾……?」
「『リオン様たちを殺したところで、なぜ公爵家の財産が手に入ると思っているのか』。…通常、正当な相続人が全て死亡すれば、財産は国庫に没収されるか、縁の遠い親族が継ぐことになる。あの怪人が、どうやって?」
イグニアもエステルも、息を詰めてクラリッサの次の言葉を待つ。
「この矛盾を解消する方法は、一つしかありません」
クラリッサの、秩序を司る冷徹な目が、鋭く細められた。
「あの怪人の背後にいる『黒幕』が……公爵、夫人、リオン様の三名が死んだ場合、『合法的』に公爵家の全財産を相続できる、正当な理由を持つ人物だったとしたら?」
「……!」
「そんなヤツ…誰だよ!?」
イグニアの叫びに、エステルもクラリッサを見つめる。
クラリッサは、一度目を伏せた。
その脳裏に、かつて同じ学舎で学んだ、ある少女の姿が浮かぶ。
自信なさげに、だが、論理的な帰結として、彼女は口を開いた。
「……可能性、にすぎないわ。でも」
その声には、ごくわずかな、彼女自身も気づかぬほどの痛みが滲んでいた。
「勘当され、家を追い出され、そして……あの三人(ちち、はは、おとうと)がいなくなれば、全てを取り戻せる人物」
「……まさか」
「ロザリア。……ロザリア・ヴェルデ様の、現在の足取りを追う必要があるかもしれない」




