第27話:逢魔時の馬車(と、すれ違う三者の思惑)
王都が濃紫の血に滲む、逢魔時。
世界の輪郭が曖昧に溶け出し、常ならざるものが蠢き始めるその時刻、王立貴族学園の生徒会室では、長引いた雑務の処理がようやく終わりを告げた。インクの乾いた匂いが残る部屋で、リオン・ヴェルデは窓の外の闇に細めた目を向けた。予定をとうに過ぎた時刻が、几帳面な彼に微かな焦燥を刻ませる。
「すまない、エステル。君まで付き合わせてしまった」
完璧な貴公子の仮面の下に、わずかな疲労が滲む。
「いえ、リオン様。これも生徒会の務めですから」
同じく残っていたエステルが、涼やかな表情を崩さずに応じる。その声には、彼女自身の秘密を覆い隠すような、静かな張りが含まれていた。
「もう夜も深い。私の馬車で寮まで送ろう」
「…恐れ入ります」
断る理由のない申し出を、エステルは静かに受け入れた。
ヴェルデ公爵家の紋章を誇示した豪奢な馬車が、人気のない学園の門を滑り出す。
その「獲物」を、建物の影が吐き出した闇の底から見つめる「怪人」が一体いることなど、知る由もなかった。
(よし、来た。偵察(という名のサボり)の成果、見せてやる!)
仮面の下で口角が歪む。馬車が最も暗い路地へと差し掛かり、街灯の光が途切れた、その一瞬。
影が、動いた。
馬車の両脇を固めていた護衛騎士二人の意識が、音もなく刈り取られる。
首筋への的確すぎる一撃。鐙から足が外れ、鍛えられた肉体が馬から崩れ落ちるまで、コンマ数秒。
物音一つ立てさせない、獣じみた無慈悲な奇襲だった。
息つく暇もない。次の瞬間、車内を凄まじい轟音が襲った。
ガギィン!
金属が悲鳴を上げ、引き千切れる音。馬車の扉が、蝶番ごと外骨格の腕によって無造作に引き剥がされたのだ。
「なっ…!?」
「きゃっ…!」
夜の冷気が、暴力的なまでの異形の影と共に車内へとなだれ込む。リオンとエステルが、言葉を失ってその存在を見開いた。
(よし、弟発見! これで襲撃は—)
扉を紙屑のように投げ捨て、私がリオンにトドメを刺す(フリをする)ため車内へ一歩踏み込もうとした—その動きが、不自然なほど唐突に、ピタリと停止した。
(…………は?)
視界の端、リオンではない存在に意識が釘付けになる。
そのリオンを庇うように、咄嗟に身を乗り出そうとしている少女。
月光を弾く金の髪。強い光を宿す、見知った青い瞳。
(こ、こいつ…魔法少女A!?)
なんで、弟なんぞと一緒にいやがるんだ!
一瞬、思考が白く染まる。
だが、その混乱は即座に、ブラック企業の社畜めいた歓喜へと反転した。
(な、なんてツイてる…!!)
これぞ天啓! 弟を襲撃しに来たら、都合よく「妨害役」の魔法少女までセットでついてきた! これでマリエルへの言い訳も完璧だ!
「(ククク…)二人まとめて、ここで—」
悪役ムーブ全開で腕を振り上げた、その時。
(……ん?)
再びエステルの姿に焦点を合わせ、私は決定的な違和感に気づく。
いつも見慣れた水色の戦闘服ではない。ただの、学園の制服だ。
輝くステッキも帯びていない。
(……あ)
思考が、冷水を浴びせられたように停止する。
(そうか、変身してない)
なぜ? 理由は明白だった。私の視線は、エステルの隣で状況を把握できていない「邪魔者」へと移る。
(こいつ(リオン)だ)
正体を隠すため、一般人(弟)の前では変身できない。
そういうことか!
瞬間。私(怪人)とエステル(魔法少女)の思考が、狭い車内で奇妙なシンクロを起こす。
守るべき対象を前に、変身できない魔法少女。
茶番の相手(魔法少女)が変身してくれないと、仕事が成立しない怪人。
((この男が、邪魔だ!!))
そんな空気も読めず、リオンは腰の細剣を引き抜き、震えるエステル(を演じているエステル)を背後に庇った。
「下がっていろ、エステル! この化け物が…!」
「リオン様…!」
狭い車内でリオンが剣を振りかぶる。
(チッ…)
私はそれを、外骨格で覆われた腕で、心底面倒くさそうに弾き返した。
ガィン!と甲高い音が響く。
何度も突き、払ってくるが、まるで当たらない。
(あーもう! 邪魔くさい!!)
エステルと「戦闘(という名の茶番)」を演じて、いい感じに撤退するのが私のミッションだというのに! この「守護るナイト(笑)」のせいで、肝心のエステルが変身できない!
(いっそ、こいつ(リオン)マジで殺しちゃおうかな…)
本末転倒な思考が頭をよぎる。
((お願いだから、さっさと逃げてくれないかしら!!))
それは、私(怪人)とエステル(魔法少女)の、偽らざる本心だった。
その時だ。
「フィ!?」
エステルのカバンがもつれ、中からあの白いイタチ(マスコット)が飛び出した。
フィラートは、私を見るなり全身の毛を逆立て、電光石火で車外の闇へと消えていく。
三度、私とエステルの思考が一致した。
((あ、助けを呼びに行った!))
私(怪人)の胸中に(よし!)と、安堵のガッツポーズが上がる。
(これで増援が来る! 完璧だ! それまで「時間稼ぎ」をしないと!)
エステル(魔法少女)の胸に(まずい!)と、本物の焦りが走る。
(イグニアたちが来るまで、この怪人を足止めしないと!)
「「……」」
奇妙な沈黙が落ちる。
互いに「時間稼ぎ」という目的が一致した今、私(悪役)が取るべき行動は一つしかない。
「ククク……フフフハハハハ!!」
私は、意味もなく高笑いを始めた。
これぞ悪役の様式美。プレゼン資料を読み上げるがごとく、なぜか計画をベラベラと喋り出す、あれだ。
「リオン・ヴェルデ! 私がなぜお前を狙うか、知りたいか!」
「なっ…貴様、何者だ!」
「(たっぷりタメて)私は、公爵家の『財産』を頂きに来た者!」
(うん、いい反応だ、弟よ)
「なんだと!?」
「そうだ! まずはお前を殺し、次はお前の父親を、そして母親も…! ヴェルデ家の人間を皆殺しにして、全てを奪い取ってやる!!」
私は、どこかで聞いているであろうマリエルへの報告(建前)を、大声でまくし立てた。
リオンが激情に青筋を立てて反論する。
「ふざけるな! 誰の差し金だ! そんなこと、私が許さんぞ!」
「まぁ、なんて恐ろしい…!」
エステルも、弟の後ろで(完璧なタイミングで)震え、実に模範的なリアクションを取ってくれる。
素晴らしい。実に「ごっこ遊び」らしい展開だ。
ふと、私は冷静にリオンの顔を見た。
(しかし…こいつ、実の姉が目の前にいるのに、全然気づかないんだな)
いや、まぁ、中身は丸ごと「佐藤葵(28)」に入れ替わってるし、外見はバッタの怪人だし。分かるわけがなかった。
(そんなものか)
外骨格の仮面の下で、元・佐藤葵は、よく分からない感傷に浸りかけた。
その時。
—遠くから、空気を焦がすような熱風が、凄まじい速度でこちらに飛んでくるのを「バッタの本能」が察知した。
(来た!)




