第23話:#マリエルたんの寝顔まじ天使
例の、鼓膜を直接削るようなノイズが嘘のように途絶えた。後に残されたのは、中庭の空気を重く圧する、真空めいた静寂だけだった。
背後で息を殺すマリエルの体温を感じながら、私は彼女を植え込みの影へと荒っぽく押しやる。視線は、月光の届かない回廊の最奥、暗闇が口を開けている一点に縫い付けられていた。
カツ、カツ、カツ。
硬い石畳を叩く、規則的すぎる足音。
それは、まるで節制と規律だけを食べて育ったかのような、清廉な音だった。一切の躊躇も、迷いもない。ただひたすらに真っ直ぐ、こちらへ向かってくる。
やがて、月の光がその輪郭を暴き出した。一人の少女だ。
水色のブラウス(どう見てもこの学園の制服を悪趣味にアレンジしたデザイン)
手には、それ自体が光源であるかのように清らかな光を放つステッキ
日曜日の朝、ブラウン管の向こうで戦っていた類いの、それだ。
「……えっと、魔法少女……様、ですか?」
無意識に、口の端から確認作業めいた言葉がこぼれていた。
少女——魔法少女Aと仮に呼ぼう——ことエステルは、私の異形(明らかに人外のソレ)と、全身から制御しきれずに漏れ出す強烈な『混沌』の気に、正義の執行者よろしくキッと眉を吊り上げた。
「魔法少女…? 私は『秩序の使い』! あなたが何者かは知らないが、王都の神聖な秩序を乱す『敵』であることは、その邪気でわかる!」
ステッキの切っ先が、寸分のブレもなく私に向けられる。教科書に載せるべき、完璧な戦闘の構え(スタンス)だった。
「秩序の刃!」
掛け声と同時。エステルの姿が消えた。
速い。常人ならば、認識すらできずに斬り伏せられていただろう。光の粒子をまとった斬撃が、私の胴体を正確に狙って直進してくる。
だが。
ガキンッ!!
甲高く、安っぽい金属音が響いた。
私はそれを、避けもしなかった。ただ、左腕を軽く掲げ、億劫そうに受け止めただけだ。硬質化した皮膚(外骨格)が、その神聖な光とやらを無慈悲に弾き返す。まるで飛んできた小石でも払うかのように。
「なっ……!?」
エステルの瞳が、信じられないものを見るように見開かれる。
(確かにすごい速さだ、でも私の外骨格を貫通できるほどの威力はない)
私は、彼女には聞こえない、心の内で冷静に呟く。
「はっ!」「たぁっ!」
続けざまに放たれる斬撃。
(でも速いだけだ。速さ一本槍。フェイントも、緩急も、次撃への連携も、何もない。あまりにも実直で、直線的すぎる)
これはダメだ。必殺技?に頼り切りすぎてる。
(2~3回の攻撃でもう、弾道が予想できる)
まずい。
(ダメだ。弱すぎる。これじゃ『手ごわい敵に妨害されてしまった』っていう、マリエルへの『言い訳』が成立しないじゃないか!)
適当に打ち合って、「くっ、強敵だ! ここは一旦引くぞ!」という茶番を演じるつもりだったのに。これでは数秒でカタがついてしまう。どうする? どうすれば「良い感じに苦戦」できる?わざと大振りな攻撃を空振りさせて、「な、やるな!」とか、そんな三文芝居でもすればいいのか?
私が「悪役ロールプレイ」のシミュレーションを脳内で開始した、まさにその瞬間。
(……ッ!?)
まただ。
旧支配者の囁きとは質の違う、別のノイズが頭に響く。
なんだこれ……フラッシュバック?
(戦闘中にやめろ!)
視界が、テレビの砂嵐のようにチカチカと点滅する。魔法少女Aの動きと、脳内に割り込んでくる謎の映像が、悪意を持って二重写しになる。
(邪魔だ! ……集中しろ、私!)
これは、元ロザリア(コイツ)の記憶か!?
何か私に伝えようとしているのか? この魔法少女の弱点とか、攻略法とか――!
数秒の集中の後、私の脳裏に、その映像が鮮明に結像した。
それは――
『(やけにキラキラと輝く、謎のフィルター処理)』
『(幸せそうに、すぅすぅと天使のような寝息を立てる、マリエルの寝顔のドアップ)』
『(画面の右下に、手書き風の丸文字フォントで、丁寧に打ち込まれた、謎のテキスト)』
『#マリエルたんの寝顔まじ天使』
(…………)
思考が、停止した。
あまりにも、あまりにも無価値なその情報に、私の脳が理解を拒絶した。
その一瞬の硬直は、当然ながら、致命的だった。
「そこっ!」
魔法少女Aの大技――さっきまでとは比較にならないほど密度を増した光の刃が、棒立ちになった私の胴体に、クリーンヒットした。
「ぐっ……!?」
凄まじい衝撃。私の身体は中庭の石造りの噴水に叩きつけられ、派手な水しぶきと耳障りな破壊音を撒き散らした。
「(ぜぇ…ぜぇ…)や、やった…か…?」
肩で荒い息をしながらも、エステルが警戒を解かずにステッキを構え直す。
だが、水しぶきと瓦礫の中から、私は(外骨格のおかげで肉体的にはほぼ無傷だが、精神的にはすでに致命傷を負いながら)ゆらり、と立ち上がった。
ゆっくりと立ち上がる私を見て、魔法少女Aが「なっ……あれを受けて、まだ!?」と驚愕に目を見開いている。
私は、彼女の追撃を警戒し、距離をとって体制を立て直す。
そして。
怒りに震える声で、私は夜空に向かって叫んだ。
「『#マリエルたんの寝顔まじ天使』……だと?」
ふざけるな。
ふざけるなよ、元ロザリアァァァァ!!!
今、戦闘中だぞ!?
こっちは命がけで、世界観の違う魔法少女(仮)と戦ってるんだぞ!?
そんな瀬戸際に、お前が(私に)見せてきた「切り札の記憶」が、それか!?
バカップルのインスタストーリーか、ここは!?
彼氏も彼女もいたことのないまま死んだ、享年二十八歳(社畜)への当てつけか、この野郎!!
私(佐藤 葵)の理性が、ゴリゴリと削れてきたSAN値の限界を超え、ブツリ、と音を立てて切れた。
「この世で最も価値のないプライベートデータを見せやがって!! 幸せアピールとかぶっ殺すぞ、このクソがァァァァ!!!」
私の怒りの矛先は、秩序も混沌も関係なく、目の前の「キラキラした存在(魔法少女A)」へ、ただ一点に向けられた。
(八つ当たりだ、上等だ!)
「うおおおおおおおおっ!!」
私は旧支配者の力でも、改造人間の本能でもない。ただひたすらに「私怨100%」の怒りに任せ、魔法少女Aに猛然とタックルを仕掛けた。
「きゃあ!?」
タックルは、かろうじて直撃は避けられたものの、体勢を崩した魔法少女Aが無防備に転がる。私は怒りの慣性をそのままに跳躍し、追撃の飛び蹴りを放つ。
その瞬間。
「危ない、エステル! クリムゾン・フレア!」
真横から、巨大な灼熱の火球が飛来した。
「ぐっ!?」
空中で完全に無防備だった私は、側面への直撃をまともに受け、蹴りの軌道を強制的に逸らされる。
「がはっ!?」
地面に激突し、数回転させられる。熱い。外骨格が一部溶けて、焦げた匂いが鼻をつく。
「オーダー・シールド!」
さらに、私とエステルの間に、青い光を放つ魔法陣(防御壁)が展開される。
着地した私が見上げると、そこには、二人の魔法少女が加わっていた。
魔法少女A:私のタックルで転がった少女。
魔法少女B:私を撃ち落とした、赤いローブの魔法少女。
魔法少女C:Aの前に立ちふさがり、防御魔法陣を展開する青い装束の魔法少女。
……一対三。
(ちょっとまずいかな?)
「チッ、しぶといな、あの怪人!」
イグニアが、好戦的な声を上げる。
どうする。やるか?
その時、植え込みの影から、冷静な声が響いた。
「――引き時です、バッタちゃん」
マリエル!
その声を聞いた瞬間、私の身体は思考より先に、完璧な判断を下していた。
私は即座にマリエルの隠れる植え込みまでダッシュし、彼女の細い腰を小脇に抱え上げる。
「なっ、逃げる気!?」
「撃ち落とせ!」
魔法少女たちが叫ぶが、遅い。
私はマリエルを抱えたまま、バッタの脚力を最大まで解放し、夜空へと跳躍した。
50メートル級の垂直ジャンプ。あっという間に、学園の屋根を越えていく。
イグニアが忌々しげに舌打ちするのが、微かに聞こえた。
クラリッサは、転がったエステルに手を差し伸べている。
立ち上がったエステルは、私たちが消えていく夜空を、呆然と見つめていた。
……そして、私に抱えられたマリエルは。
私の肩越しに、冷たい狂信者の瞳で、中庭に残された三人の「秩序の使徒」たちを、静かに、静かに見つめていた。




