5 ノースピークの悪魔
悪魔がその全身を現した。
頭に生えた双頭の角はねじまがり、朽ちた樹木のように禍々しく影を作る。所々が鱗に覆われた体は彫刻のような筋肉に包まれていた。全身は氷の如く青く染まり、それとは対照的に、瞳には憎しみの炎が爛々と燃えていた。
無理矢理に引き裂かれたかのようにほとんど形をとどめていない背中の羽を何度かばたつかせ、その巨大な敵は絶叫した。
ノースピークの悪魔。城主の成れの果ての姿だ。
「バフ撒き直すよ! しまっていこー!」
レドさんが再度、次々と瓶を地面に叩きつけ煙が沸く。後ろでベルさんが詠唱をはじめた。
次のボスの動き次第で展開が変わる。俺は盾を構え、どこにでも動けるように身を低く構えた。
これまで何度も戦ってわかってはいるが、こいつはとにかく一撃の威力が高い。まともに喰らえば即死。かすっても瀕死。油断すればたちまちパーティーは死体だらけになる。立て直すのに手間取れば、あっと言う間に時間切れだ。相手の行動とこちらの状態を見極めながら、受けるか避けるかのギリギリの選択を常に繰り返しながら戦わなくてはならない。敵の強さは勿論のこと、それ以上に戦いに集中し続けることが難しい。
回復待機のため俺の後ろに退いたミレイが、長く深呼吸するのが聞こえた。
敵が動く。初動の威圧感だけで緊張が走った。方向と視線を読む。ターゲットはきっと右に展開しているガブだ。
気づいたガブが弓を射ろうとしていた手を止め退く。追撃して来た右腕の凪ぎ払いをガブはさっとかわした。身のこなしはさすがに軽い。敵はその大きな体を器用に操りガブをさらに追う、と思いきや、ふいにこちらに向き直った。大きく踏み込む動きの振動で部屋全体が揺れる。
狙いは俺かミレイか。そのさらに後ろのベルさんか。一瞬の判断。
ボスと目が合った気がした。きっと狙われてるのは俺。
大きく踏み込みながら繰り出された右パンチを俺はすかさず盾で受け止めた。
衝撃が体を打つ。防御してもHPがごっそり減った。ボスが続けざまに、今度は叩き潰すように両手を振り下ろした。また俺。避けるか防ぐか。避け損なえばいきなり即死。防ぎきれるHPは残っているか。一瞬の迷いが頭をよぎり反応が遅れる。
ボスの振り下ろした両腕が迫る。
もう防ぐしかない。
その時、盾をかまえた俺の体を暖かい光が包んだ。
ミレイの回復だ。先読みで詠唱していたのか、そのタイミングはこの上ないほど完璧だった。
頭上から振り下ろされた拳を、俺は再び盾で受け止めた。即死寸前までHPが持っていかれたが、回復のおかげでギリギリ生きてる。
ボスは俺を殺せなかったことに地団駄を踏むように、口惜しげに吠えた。
さあ来い、続けて来い。
俺は盾の影から鎖を投げるタイミングを伺った。やみくもに狙ってもかわされるだけだ。敵とにらみ合いながらそのチャンスを待つ。
その間にもパーティーの攻撃は続く。
八丁さんがボスの体を切りつけながら跳んだ。左腕から肩へ、巨体の上を駆けるように切りつけながら顔面に刃を突き立てる。それと同時に炎の塊が横っ腹に直撃し、青い悪魔は一瞬たじろいだ。ベルさんの魔法だ。チャンスとばかりにガブがボスに向かって懐から取り出した爆弾を投げつける。
さらに咆哮。苛立つようにビリビリと空気が揺れるほどに叫んだ後、ボスはその場で右腕を高く突き上げ動きを止めた。
嫌な予感がした。この序盤から勘弁してくれよ。
魔法の詠唱。俺達冒険者のそれよりも遥かに早い速度で空中に大小様々な魔方陣が形成されていく。全て灰色の陣。ヤバい。あの色は最悪だ。
レドさんがすぐさま後退して叫んだ。
「集まって!」
ボスに張り付いて攻撃していたガブも、敵に背を向けこちらに引き返してくる。その背後で巨大な魔方陣が空中に次々と描かれていく。灰色の雲が急速に立ち込めるように不吉な魔力が結集し、部屋全体が暗く明減した。
俺達はパーティーの一番後衛、ベルさんの元に集まり身をよせる。ガブは立ち尽くすボスに向かい、だめ押しの矢を放った。ベルさんの詠唱したマジックバリアが輝き、光の膜に俺達の体が包まれる。
次に来る魔法の威力を俺達は知っていた。凶悪な威力を持つ古代の魔法。全員で防御に徹しなければ数秒後にはたちまち全滅だ。
しかし八丁さんだけは変わらずボスに張り付き、攻撃を続けていた。
詠唱中ボスは無防備になる。逆にチャンスとばかりにギリギリまで削るつもりだ。
八丁さんの体が赤いオーラに包まれ攻撃速度がどんどん増していく。防御を捨て攻撃を高めるサムライのスキル。とてつもない速度の斬撃の嵐に、目で見えるほど明らかにボスのHPゲージが減っていく。
レドさんが錬成を始めた。懐から取り出したチョークのようなものを使い、高速で床に模様を描いていく。
ボスの魔方陣はいまや空間一面に展開されつつあった。
「八丁さん!戻って!」
俺の呼び掛けにいよいよ限界だと悟ったのか、八丁さんはボスに背を向けこちらに向かって駆け出した。
「早く!」
たまらず叫んだ。
器用に二本足で走る狸の背後で、完成した魔方陣が空間に定着するように瞬く。それぞれが今にもはち切れんばかりに膨張した後、時間を巻き戻すように逆に収縮し、うごめいた。来る。
八丁さんが前のめりに俺の影に飛び込む。敵の陣が完成するのと、レドさんの錬成が終わったのはほぼ同時だった。
「錬成!」
レドさんの叫びと同時、手を添えた目の前の床から黄金の塊がまるで壁のように競り上がった。錬金術で作り上げた防御壁、その影に全員が身を隠す。さらに俺は盾を構え衝撃に備えた。
「踏ん張れ!」レドさんが叫んだと同時にボスを中心とした魔法の大爆発が部屋全体を包んだ。
凄まじい爆風が吹き荒れ、視界が一瞬ブラックアウトするように点滅した。
レドさんの錬金壁とベルさんのマジックバリア、俺の盾の三枚壁だ。こうでもしないと全員を守り切れないほどの壊滅的な威力。
視界が揺れる。
目を開けていられないほどに粉塵が飛び交う。
誰かが上げた悲鳴も、空気を震わす轟音にかき消された。
数秒後、爆風がおさまると錬金の壁はほとんど原型をとどめていなかった。ドロドロに溶けた壁の隙間からそっとボスの姿を覗き見ると、舞い上がった粉塵の向こうに立ちすくむ影が浮かんでいた。灰色の塵の向こうにその瞳だけが赤く輝いている。
「ちょっと、よりによって序盤からこの展開ひどくない?」
舞い散る粉塵を手で払いながらミレイがぼやく。
「でも防げた。いい感じじゃないかな、まだ誰も落ちてないし。ヒーラーが優秀だからかな」
「まじで言ってる?やる気でるわー」
いかにもやる気なさそうに立ち上がりながらミレイは答えた。
「さて、仕切り直しだよ! まだ時間はあるけど気は抜くな!ばっちこい!」
レドさんの合図で俺達は再び、赤く燃えるその瞳に向かって突撃した
◇
ほんの数分の間の出来事だったが、そこから先の戦いは俺達にとってこれまでで最高の出来だったと言っていいと思う。こういうのってなんて言うんだっけ?化学反応とか、シナジーとか、そういう類いのもの。
実際、ボスのHPを残り三割のところまで減らすのは過去最速だった。各自の行動が自動化しているようにスムーズに連携し、まるで自分たちじゃなくて他の誰かの戦いを俯瞰で見てるみたいな、不思議な感覚があった。ダメージを受ければすぐさま誰かが反応し、敵の魔法には常に最適な処理をし、いくつかのミスがあってもそれをカバーし合えるほどに俺達の連携は完璧だった。
何の具合かは正直わからない。何度も何度も挑戦して、敵の動き、こちらの判断、多少の運が絡み合い 一番良い形で作用したのかもしれない。そもそも、みんな何だかんだとそこそこの熟練プレイヤーなのだ。たまにはこういう事があってもいい。
きっとみんな勝利を確信していた。頭の片隅でこの攻略の先にある新しい世界に思いを馳せる余裕もあった。なにより一体感が心地好く、ギリギリの攻防を楽しい、とさえ感じた。
ボスのHPが、残り二割を切るまでは。
【石灰のチョーク】
錬金術師はこれを用いて変成式を記すことにより、万物の性質を変化させることができる。通常その過程は、分解、変換、構築、命令の四段階から成る。上位のチョークは書き心地が滑らか。落書き禁止。




