26 下水道の乙女①
あれはいつの記憶だろうか。
おばあちゃんがまだ生きてた頃だからきっとわたしがほんの小さい頃。もしかしたら覚えている一番古い記憶なのかもしれない。
庭で遊んでいたわたしを、誰かが探すように呼んでいた。
ミレイ。
わたしの名前。
おばあちゃんがつけてくれたわたしの名前。
ゲームでも同じ名前にするくらいには気に入ってる。
曇り空と湿った土の匂い。霧雨が降って、空気が滲んでいたのを覚えてる。
わたしは他愛もない泥遊びとか、多分そんなことをしていたと思う。
田舎のおばあちゃんの家は、至るところに秘密があった。大きな庭の草むらの陰、隠された梯子に続く屋根裏、暗い地下室。まるでアニメに出てくる魔女の家みたいに、不思議な事がどこかしこにも隠されているようで、わたしはいつも胸を高鳴らせていた。
庭で泥遊びをしていたわたしのところへ、草むらを揺らしておばあちゃんが飼っていた猫がやって来た。普段は遊ぼうとしても全然つれないのに、その時だけはわたしを見つけて何故か嬉しそうに近寄って来た。
口に何かをくわえている。猫はまるで差し出すようにそれを地面にそっと置いた。今思えば、わたしにその獲物を自慢したかったのかもしれない。
ずんぐりとした汚れた何か。地面にしゃがみ、わたしはそれを覗き込む。
それは多分、ネズミだった。
図鑑や絵では見たことあるけど、本物を見たのは初めてだ。アニメのデフォルメされたネズミよりもずっと不細工で、汚ならしくて、全然ちっとも可愛くない。
猫が大人しく見守るなか、わたしはそれを枝で突っつき、何度か引っくり返し、泥をかけたり、湿った葉で覆ったり、まるで実験をしているように観察する。
数分間のその検証の結果わかったことは、きっと、おそらく、定かではないけど、このネズミは『死んでいる』ということだった。
思えば死んだ生き物を見るのも初めてだったのかも知れない。虫や、魚の死体は勿論見たことあるけど。そのネズミの姿は生々しくて、先程まで動いていた『生き物の死体』という実感が沸いた。
わたしは枝でネズミの死体をさらに突っついた。固いような、柔らかいような、不思議な感触。
尻尾も面白い。弾力があり、ゴムのようにしなる。まるでそこだけが別の生き物のようだ。
そして、無邪気な好奇心は段々とエスカレートする。
わたしは枝でその尻尾に狙いを定め、これまでよりも強く突いた。いや、強く、だったと思いたい。でもきっと真実は、子供なりの渾身の力を込めて、思い切り突いた、が正しい。
子供特有の残酷さ。
今では絶対に出来ないし。というかそもそもやらないし。枝の先が折れ、柔らかい土の地面に突き刺さる。
それでも構わずにグリグリと尻尾を押す。何かが千切れる感触が、枝を通して手に伝わったその時――
――ネズミが急に起き上がり、駆けた。
傍らで見守っていたネコが素早くその後を追う。草むらに音を立てて、二匹は茂みの中に姿を消した。
すべては一瞬の出来事だった。
驚いた。
驚きはしたけどそれだけだった。
怖さは感じなかった。きっと生きていたんだろう。もしかしたら死んでいたけど生き返ったのかも知れない。魔女の家ではきっとそういうことが起こるんだ、と子供なりに自分を納得させた。
そしてわたしは地面に何かが残されていることに気付く。
湿った葉の隙間に動く小さな何か。何だろうと顔を近づけ地面を覗きこむ。霧雨が強くなり、視界をぼんやりとさせる。地面に額がひっつくんじゃないかと思われるほどに顔を近づけ、その正体を見極める。
目の前にあったのは、びたびたと音をあげて、のたうち回っている何か。
それは千切れたネズミの尻尾だった。
◇
記憶はそこまで。わたしはきっと悲鳴を上げてその場から逃げた。何か恐ろしいことをしてしまったという罪悪感が、大人になった今でも胸にこびりついている。
それ以来ネズミが嫌い。いや、嫌いなんじゃなくて、怖い。
最近パパにその事を話してみたけど、笑われた。
「尻尾を切るのはネズミじゃなくてトカゲだよ。トカゲの尻尾切り、って言葉があるだろ。千切れたネズミの尻尾が動くわけない。何かとごちゃ混ぜになって勘違いしてるんじゃないか? 小さい頃の記憶なんてそんなものだよ」
パパはそう言ったけどわたしには何だか信じられなかった。わたしの記憶の中では確かにあの出来事は存在している。ほんとに起こったことじゃなくても、記憶にあるならそれはわたしにとっては事実と相違ない。
そして、わたしが今感じている『恐怖』も確かに存在するものだ――
あいつらの気配がする。物音がする度に体が自然と硬直する。息苦しい。首筋がゾクゾクする。
わたし、前にここに来たとき良くクエストクリアできたな、と思う。どうやって奥まで行ったんだろう。フジに手伝ってもらって進んだのは覚えてるんだけど、あんまり記憶に無いのは脳が自動的にその記憶を消したのかも知れない。そういうことって本当にあるって聞くし。
レドさんの残したマーカーは点々と下水道の先に続いて突然消えてた。なんなのあの人。バカなの? 適当な目印でこんな迷路みたいなとこで合流できるわけないし。フジもいるんだからもうちょっと上手くやってほしい。ベルさんは仕方ないとして、うちの男どもはホント頼りない。
そう思うと段々と色んなことに腹が立ってきた。さっき組んでたパーティー。前衛が自分勝手に突撃していくばかりでさっぱりだった。あげくに全滅した後に放った一言。
『もっと先読みで回復してくれないと無理。ほら、俺達根っからのアタッカーっていうの? 勇者タイプっていうかさ。下がるとかないから。その辺考えてよ』
思い出すだけでも腹が立つ。
勇者なめんなよ。
そもそもあの戦士、胸をはだけさせて何なの。初対面だと誰がどの職とかいまいち区別つかないし、前衛だったらわかりやすく鎧くらい着てほしい。
ネズミが目の前の曲がり角から走り出て、わたしの怒りは中断される。
心が折れそう。でもとにかく進まないと。こんなめちゃくちゃなイベントに巻き込まれてニアちゃん消えちゃったら可愛そうだし。
その時僅かな水音が通路に反響した。
またネズミ?
耳を済ますと通路の先から話し声が聞こえる。曲がり角の向こう。ランプの明かりに人影が揺らめいたのが見えた。はぁ、やっと追い付いた、と思わずため息が漏れる。
自然と早足になる。あ、わたし自分で思ってたよりもほっとしてる。頼りないと愚痴りつつも安堵している自分が少しだけ可笑しい。まあ、なんだかんだ楽だしあの人たち。一人きりの不安と、知らない人とパーティーを組んでいた緊張が緩む。ゲームしながら気なんか遣いたくないし。なんだかなあ。
「ちょっとー、 目印ちゃんとして、よ……」
角を曲がりながら発したわたしの言葉は宙に舞うように途切れた。目の前にはまったく知らない二人組がいる。鎧をまとった大男とフードを目深に被った軽装の小男。相手もびっくりしたようにこちらを見ていた。無言の一瞬が流れ、沈黙が辺りを包んだ。
「……」
「……」
お互い数秒の沈黙。
人違い。まずい。恥ずかしい。
いや、違う、そういうことじゃない。こいつら……
わたしは、近づいたそのままの勢いで二人の脇を抜け、何事も無かったように通りすぎた。
平然を装う。いつもの散歩コースですよ、と言わんばかりに背筋を伸ばし、動揺を悟られないよう振り向かずに歩く。だけど足は自然と早足になり、心臓は高鳴っていた。ヤバいヤバいヤバい――
そのまま次の角を曲がった瞬間、私は全力で駆け出した。
頭には疑問。
なんで?どうして?
闇の通路を走り抜けながら、今の二人組の姿を思い返す。
まさかこんなところで『赤目』に会うなんて――




