25 ガブの戦い⑥
気絶から目を覚ましたオレが最初に見たのは、風に揺れる深緑のマントだった。
トゥーファはちょうど二本の剣を腰の鞘に納めたところらしく、一仕事終えた、とでも言うように深く息を吐く。
オレが目を覚ましたことに気付いたトゥーファは、
「ほれ」
と、ポーションの小瓶を投げて寄越した。それを一息で飲み干し、先ほどのトゥーファにならってオレもフーっと長く息を吐く。
辺りはとても静かだった。
傍らにはサイクロプスが倒れている。
お月様のような巨大な眼を見開いたまま絶命している。まるで涙のように流れた血が、オレの足元に赤い川をつくっていた。
オレが気絶していたほんの十数秒の間に、トゥーファはサイクロプスを片付けたらしい。そう、あの時、最後の一撃を食らい落下する視界の中で、目玉に剣を突き立てるトゥーファの姿が見えた気がする。
図らずも、囮になっちまったわけね。結局。
トゥーファは血溜まりの中から何かを拾い上げ、再びオレに向かって投げた。またポーションの類かと思い、手を伸ばしたが……
クルクルと回り飛んできたのは俺の短剣だ。
「あぶね! 殺す気か!」
足元に突き刺さった短剣に慌てるオレの姿に、トゥーファはケケケと悪びれた様子もなく笑う。
そのからかいも、結局オレが囮になってしまったことも、なぜだか不思議と嫌な気持ちはしなかった。
先ほどの戦いの余韻がまだ体に残っている気がして、オレはトゥーファから受け取った短剣を軽く握る。
あの時。
奴の目玉に向かって飛んだ時。
なんかわかんないけど、気持ち良かったな。
動きを制限してたのはオレ自身。トゥーファの言ってたことの意味は相変わらずよくわからない。だけど体には確かに、何かが残っていた。感覚の名残り。夢を見た後のような、不思議な余韻が心地良かった。
「さてさて、とどめを刺したのは俺だし、俺の勝ちってことで。おら、次行くぞ」
トゥーファはニヤニヤとした笑いを浮かべながら言った。まあ仕方ねえ。約束だ。オレはよっこいしょと立ち上がり、弄んでいた短剣を腰に差した。
「次って……また鷹の目で魔物探せばいいのか?」
「いや、次はあれだ」
そう言ってトゥーファは遠く、街の中央の方角を真っ直ぐに指差した。風が吹き、マントがたなびく。その堂々とした姿は悔しいがまったく絵になる……っておいおい。
「あれって……おい、まじかよ」
トゥーファが指差す先には、ウロウロと街を闊歩する黒いドラゴンがいた。
無茶だ。いくらトゥーファでもあいつはレイドボス。チャットも使えない今、冒険者たちを指揮し、まとめ上げ、時間制限もある中でドラゴンを討伐するなんて絶対に無理だ。
そんなオレのドン引きを察したのかトゥーファは言う。
「以外と歯応えあるイベントみたいだしよ。面白そうだろ。せっかくならつええのとやらないとな」
こいつ、このクソイベントを楽しんでやがる……。
「ま、俺がリーダーだし従ってもらうがなー」
そう言ってトゥーファは嫌味たらしくオレを見た。この野郎。調子乗りやがって……。
しかしさっきまでのオレなら、無理だ、無茶だ、無意味だ、と反抗していただろう。でもなんだか、不思議とそんな気持ちにはならなかった。あれ? オレ、なんかワクワクしてる?
「仕方ねえ。付き合う。約束だしな」
「そうと決まれば……って……なんだありゃ?」
ふいに怪訝な顔をして路地の向こうを眺めるトゥーファ。
その視線の先を追うと確かに、得体の知れない物体があった。
建物と建物が織り成す暗がりの中に、何かの塊がうごめいている。
微かな月明かりに目を凝らす。
無数の手足。
絡み合った体。
それはひしめき合う大量の魔物の姿だ。
柵がかかった排水溝の隙間へ、我先にと押し合うようにして身をよじり、挟まり、引っ掛かっている。それぞれが決して広くないその隙間へ殺到し、魔物たちが巨大な肉団子と化していた。
「気持ちわりぃ……あいつらバグってんのか?」
あんな異常行動は見たことがない。これもイベント特有の行動か?その様子を眺めている間にも、どこからか寄ってきた魔物が群れに加わる。みるみるうちに
肉団子は膨れ上がっていた。
「あの先は……下水道か。あそこ臭えし、嫌なんだよな。おーなんかゾワゾワしてきた」
そう言ってトゥーファはブルッと身震いする。
確かにあの排水溝は、カリア中に点在する下水道への入口のひとつだ。下水道……。そういえばおっさんたちが向かうって言ってたけどどうなったんだ?
オレは手早くマップを開く。
――なんだこれ?
マップには大量のマーカーがピン止めされていた。その位置は転々とし、下水道内をうろうろと彷徨っているのがわかる。オレたちに位置を知らせたいんだろうけど、余計分かりづらい。古いマーカー消せよな。おっさんらしいと言えばおっさんらしいが……。
マップとにらめっこするオレにトゥーファが「ほれ行くぞ」と急かす。
下水道。
魔物。
肉団子。
ウロウロするドラゴン。
変なイベント。
通信障害。
何か、嫌な予感がした。
オレ、行かなきゃ――――
「トゥーファ!」
今やオレを置いて出発しようとするその背中に声をかける。なんだよ、と振り向いたトゥーファに事の次第をどう説明していいかわからずしどろもどろになる。
「わりい、オレ、行かないと……。多分、友達が、いや、友達って言ってもいつも遊んでるギルドメンバーなんだけど……。まあとにかくその友達がピンチなんだ……。あ、いや、そもそもピンチかどうかもわかんないんだけど。ほら、俺がいないとダメな奴らだからさ。助けに行かないとだめかなーとか……。うーん、別に行かなくてもいいような気もしてきたけど一応行っとくかな的な? 約束破って済まないけど、この埋め合わせはするからさ、あ、いや、だめなら別に良いんだけど……」
ああ、そう。とトゥーファは意外とあっけらかんと答えたが、その表情には明らかな含み笑いが見て取れた。何の笑いだ? 何か変なこと言ったか? 必死で喋り過ぎた?
オレの怪訝な顔を察したのか、トゥーファはこう言った。その言葉はオレの予想の斜め上だ。
「いや、みんなこの世界じゃ『フレンド』って言うからよ。久々に聞いたわ、『友達』って。ま、フレンドは腐るほどいても友達は大事にしな」
そう言ってトゥーファは屋根の上に飛び乗る。
なに?
フレンドと友達、って同じ意味だろ? 意味わからん。何が違うんだ。
言葉の意味が理解できず立ち尽くすオレ。「ああ、そういえば」とトゥーファの声が頭の上から聞こえた。
「さっきの最後の一撃。届かなかったけどまあ、悪くなかったぜ」
それきり、深緑のマントは闇に消えた。
さらばも、じゃあなも、またなも無しにトゥーファは夜の中へ去った。
オレはその場にバカみたいにしばらく突っ立っていたが、遠くから聞こえた冒険者の叫び声で我に返る。
やべ、こうしちゃいられん。
急がなきゃ。
魔物が下水道にどんどん入り込んでるとしたら知らせなきゃならない。オレは再びマップを開きマーカーを確認した。
あいつらが行きそうな場所は何となく想像がつく。
下水道への入口はカリア中に点在してる。先回りできるはずだ。
仕方ない。
行ってやるか。
オレは路地を駆け出す。
その姿を、でっかい目玉みたいに浮かび上がる月だけが照らしていた。




