24 ガブの戦い⑤
尻が。
尻が。
尻が。
尻が。
尻が。
尻が。
尻が。
尻が。
オレたちを押し潰す――――
死を覚悟し目を閉じる。
その間際、俺は見た。
オレを見下ろすトゥーファの口元。
頬。
僅かな動き。
それはほんの一瞬。
見逃してしまいそうなほどのわずかな筋肉の動きだった。
死の間際。
隕石のように尻が迫るまさしくその時――
――トゥーファはニヤリと笑ったように見えた。
あ、いや、
もしかしたら先に笑ったのはオレの方だったのかも――――
それを合図にしたように、オレたちは同時に飛び退いた。
地面が砕ける轟音とともにぶっ飛ばされる。目の前が粉塵で真っ白になり、何も見えない。
まるで爆発だ。
ゴロゴロと転がり、巨大な瓦礫の破片に後頭部をぶつけて目の前がチカチカした。
痛え。でも生きてる。あいつは、トゥーファはどうなった?
飛び交う粉塵を手で払うが視界がはっきりしない。キョロキョロと辺りを見渡すと、ふいに傍らで声が聞こえた。
「おい、生きてるか」
トゥーファだ。
「お、おう」
とりあえず生きてはいるが起き上がれない。頭をぶつけたせいで一時的に脳震盪のバッドステータス状態にあるようだ。
「とりあえずあいつが邪魔だ。殺るぞ。お前との決着はそのあとだ」
オレの返事も待たず、トゥーファは腰の剣を抜き再び戦闘態勢に入った。
視界が開け、焦点が定まってくる。
ぼんやりとした巨大な影が、もがくように揺れていた。どうやらサイクロプスは地面に尻から突き刺さり、立ち上がれないようだ。
しかしそれはオレも同じ。今が攻撃のチャンスではあるが体の制御が効かない。
まるでじいさんのようにヨロヨロと立ち上がるオレにトゥーファが言う。
「敵であるお前に塩を送ってやるよ。アドバイスだ。この俺様がちょっとだけコツを教えてやる。ありがたく思え」
トゥーファはそう言ってまるで秘密の話をするみたいにオレに顔を寄せた。
「いいか、お前は動きが硬い。自分の動きをお前自身が制限してる。挙動を制御してるのはゲームのシステムじゃない、お前の頭だ。常識で考えるな。お前がリアルでどんなやつかは知らんが、そいつとお前は別だと思え」
なんだこいつ、急に。
眉を潜めるオレの表情から、意味がわかってないと察したのかトゥーファは続ける。
「つまりだ」
二本の剣を逆手に持ち直しトゥーファは言う。
「やれば出来ると思い込め、ってことだよ!」
そして、跳んだ。
サイクロプスが立ち上がる。
即座に振り下ろされた斧を避け、トゥーファはその腕に飛び乗る。筋肉で隆起した剛腕に二本の剣を突き立てながら一気に駆け上がる。赤黒い血の飛沫がまるで夜空にまで届くかのように吹き上がった。
巨人の絶叫が夜を震わす。
行くときだ。オレは小さな手で短剣を握りしめた。
やればできる。
やればできる。
やればできる。
先ほどのトゥーファの言葉が頭の中でグルグル回るが、そんな精神論でどうにかなるもんじゃないだろ。サイクロプスは狂ったように暴れ回り、そこら中を手当たり次第に破壊する。しかしトゥーファには当たらない。
自分で動きを制限してる、ってなんだよ。畜生、こっちは長い事この体でやってんだ。初心者じゃあるまいし、今さらコツもクソもない。リアルとこの世界が別だなんてわかりすぎてるくらいわかってる。
ふいにサイクロプスが標的を変え、オレに向かって突進してくる。
巨大な斧の薙ぎ払い。飛んで避けつつ、弓を射るが当たらない。避けながらじゃ無理だ。もっとギリギリで動け。体を意識しろ。
オレの体、短い腕、小さな足。常識で考えるな、ってどういうことだ。逆に体が重い気がする。脳震盪はとっくに解けてる。あれ? オレ今までどうやって動いてたんだっけ。
意識すればするほど、まるで水中にいるように体の制御は上手くいかない。
重りをつけたみたいにぎこちなく動くオレに対して、トゥーファの動きは先ほどまでと明らかに違っていた。ギアが一段階上がったように、とてつもない速度と連続性で敵の攻撃をかわし、それと同時にすぐさま反撃に転じる。
サイクロプスの皮膚を切り、肉を削ぎ、血溜まりの池をそこかしこに作っていく。今までは本気じゃなかったってことかよ。クソ。
お前とは違うよ馬鹿野郎。一般人は一般人なりにやってんだ。ランキングなんて入ったこともないし、年中仲間と適当に遊んでるだけだ。そのくせ、たまにはもしかしたらラスボス倒せるかもー、なんていっちょ前に夢だけは見てる。要はあれだ、根本的に努力が足りねえ。
でも、思うくらいはいいだろう。
憧れるくらいはいいだろう。
悔しいけど、オレも――
トゥーファみたいに動けたら――
ヤケクソだった。
振り回された斧を不格好に避ける。鼻先をかすめるその刃。ビビるな。大丈夫だ。当たっても死なない。いや、死ぬが。リアルのオレが死ぬわけじゃない。もっと自由に動け。サイクロプスの蹴りをかわしてその足に短剣を突き刺す。全然浅い。後ろに避けたら駄目だ。前に跳べ。攻撃をギリギリで避けつつ懐に入れ。空気を強引に切り裂く音が体を震わす。
退いたタイミングですぐに武器を持ち替え弓を打つ。だけど当たらない。敵の追撃がオレを捉えそうになるが、割って入ったトゥーファの猛撃でサイクロプスは膝を折り倒れた。地面が粉々に砕け散る。プライドも粉々に砕け散る。もう知るか。ちくしょう。
距離を取ったオレに向かってサイクロプスが身を屈めたまま吠える。体中に血管が浮かび上がり、まるですべてのエネルギーが頭に向かってせり上がるように首を伸ばす。今まで見たこともないモーション。その巨大なひとつ目が輝く。ヤバい。なんかくる。
光が収縮し、その瞳から赤い閃光が放たれたーー
夜を切り裂くように伸びた光線をオレは夢中で避けた。が、照射され続けるレーザーはオレを追って来る。
周囲の建物が破壊され、頭の上から瓦礫の山が降る。逃げろ逃げろ逃げろ。いや違う、逃げるんじゃ駄目だ。俺がやるんだ。俺が倒すんだ。ひできがなんだ。一般人を舐めるな。戦って勝ちたい。戦って、勝つ。シンプルだ。この上なくシンプルだ。
オレはやみくもに駆けた。自分の手足がどうなってるのかもわからないくらいに。足がもつれて転びそうになる。もんどりうって倒れる寸前に手で地面を掴み踏ん張る。脇目も触れず四つん這いになりながら駆けた。まるで犬。そう、俺は犬だ。ガブは元々犬だ。あいつは確かに自由だった。バカみたいに舌を出しながら楽しそうに走ってた。
あんな風に、オレも走りたい――
雨あられと降る瓦礫と、レーザーをかいくぐり、敵に向かう。もう少し、もう少しで辿り着く。
ふいにレーザーの照射が止む。力を使い果たしたのか相手は無防備にダラリと肩を落とした。今だ。今しかない。
「とうっ!」
そしてオレは跳んだ。
トゥーファみたいに動けたら、と願いつつ。
小さな体は重力から解き放たれるように空に舞う。
巨大な一つ目が近づく。
その瞳にオレの姿が映っている。
すべてがスローモーションに見えた。
気持ち良かった。上手く言えないけど。
――心なしか、月がいつもより近くに見えた気がした。
だけどオレの記憶はそこまで。
「ぶべっっ!」
行けたと思った。
何でもできる気がした。
オレの短剣が敵の瞳に届くより早く、復活したサイクロプスが振り抜いた斧が体を捉え、オレの視界は真っ黒になった。




